肝心の王が時間を割いてくれないのだから仕方がないと、自分に言い訳をして、氷河は瞬との面会を続けた。
“自分に言い訳をして”いる時点で、氷河には それが北の国の王としての務めから逸脱した行為だという自覚があった――少なくとも、逸脱していると感じてはいた――だろう。

自分に言い訳をして、氷河が瞬の許を訪ねるたび、瞬は 親しみやすく温かい態度で 氷河を迎え入れてくれた。
自分が南の大国の王の秘密を探るために この国に来た事実を忘れていたわけではなかったのだが、氷河は どうしても瞬に敵意を抱くことができなかったのである。
実際、瞬は親切で優しく、神経はこまやかで、思い遣りのある少年だった。
美しく優しいだけでなく、聡明でもある。
目から鼻に抜けるような小賢しさはなかったが、相手の気持ちを考えて 慎重に振舞っていることが その言動の端々から見てとれた。

“南北の大国同士で友好を結ぶため”という氷河の南の大国訪問の建前の理由を信じているらしい瞬は、友好関係を築こうとしている二者の間に秘密はあってはならないという考えのもと、氷河が尋ねることには何でも答えてくれた。
もちろん 瞬が答えてくれるのは 瞬が知っていることだけで、その中に軍事関係のことは含まれていなかったが。
その分野は兄王の担当で、遺漏なく管理運営されているはずなので、自分は気に掛けたことがないのだと、瞬は氷河に言った。
「僕は、兄の目が あまり行き届いていない分野に心を配りたいんです」
と。

北の大国の国王としては、南の大国の国王の目が行き届いている分野の情報をこそ 手に入れたいと思うべきだったのだろうが、瞬の そんな知識の偏りをすら、氷河は好ましく思わずにいられなかったのである。
生前の氷河の母が、まさに そんなふうだったから。

瞬が かもし出す温かく優しい空気に、氷河は 当初は 母といるような心地良さを感じていた。
そして、だが、瞬は母ではないのだと意識した瞬間、それは もう恋になっていた。
恋に落ちてしまった人間には、異国の軍兵が どれほどのものなのか、国王に領土的野心はあるのかどうかといった問題は、当然のことながら、二の次三の次のことになる。
神々が 瞬の兄に与えた祝福の内容すら、どうでもいい。
瞬への恋を自覚した氷河にとって何より大事な問題は、神々が瞬に どんな祝福を与えたのかということだった。

第二王子とはいえ、王の血を受けた男子。
瞬も 神々から何らかの祝福を与えられたはずなのだが、それが何なのかが、氷河にはわからなかったのである。
美しさ、清らかさ、優しさ――瞬には 人に勝る美質が多すぎたのだ。
王になる可能性の少ない第二王子なのだから、それは 戦いに有利な力ではないだろうと察しはついたのだが、では それ以外の いったい何なのか。
一口に軍事以外の分野といっても、それは多岐に渡る。
そして、広すぎる。
一個の人間にとって――人間が生きている世界のすべてにおいて――軍事、戦い、強さといった事柄は、その ごく一部を占める狭く小さな分野でしかない。
それに比して、軍事以外の事柄は その大部分を占める広く大きな分野なのだ。
そんな当たりまえのことに、これまで気付かずにいた自分を愚かだと、氷河は思った。

瞬と過ごす時を重ねるうちに、氷河は、瞬に与えられた神々の祝福は、“誰からも愛される力”なのではないのかと思うようになっていった。
でなければ、自分の気持ちに説明がつかない――と。

瞬が美しいのは事実である。
だが、いくら瞬が美しくても、だからといって これほど急激に 自分の心が瞬に傾いていくのは奇異なことだと、氷河は思った。
氷河は、どれほど美しい人間に出会っても、その人に一目惚れできるような優雅で軽薄な美徳を備えていない自分という男を知っていた。
これまで 幾人もの美女と呼ばれる者たちに会ってきたが、そのたびに氷河がしてきたことは、母と比べて“母以下”と判定を下すことだけだったのだ。
しかし、氷河は、瞬と出会った時、その美しさを母と比べることなど 思いつきもしなかった。
会うなり 母の話を出されて瞬に好意を覚えたにしても、“敵”になるかもしれない国の、しかも王子(男子)に、ここまで急激に恋の感情を抱くことは おかしなことなのだ。

にもかかわらず、その“おかしなこと”は起こった。
氷河が瞬に抱いた好意は、氷河自身も驚くほど短い時間で恋に変貌し、しかも、瞬に会うたびに強まり深まっている。
本当に、それは異様なことだった。

人間世界に、完璧な人間というものは存在しないはずである。
それが誰であれ、普通は、共に過ごす時間が長くなれば、一つや二つは 好意を持てない点が見えてくるものだろう。
実際、氷河は 瞬を完璧な人間だとは思わなかった。
だが、瞬は、氷河にとって全く不快な人間ではない。
その澄んだ瞳に惹かれ、何か不思議な力の存在を感じる
これが尋常のことであるはずがない。

瞬は 神々から何らかの――おそらくは、愛に関する――祝福を受けていて、だから、そのせいで 自分はこれほど瞬に心惹かれるに違いないと、氷河は思った。
それ以外に、この急激すぎる恋に どんな理由が考えられるだろう。
だから――氷河は、懸命に 自分の恋を抑えようとしたのである。
それが たとえ神であっても、第三者の力に心を動かされて落ちる恋など、人間の尊厳を貶めるものでしかないと考えて。
だが、瞬と共にいる時間は快く、瞬に会えない時間は苦しく つらい。
瞬は、神に与えられた力がなくても、人に愛されるだけのものを 数多く持っていると思う。
しかし、もしかしたら、そう思ってしまうのも、神によって与えられた力のせいなのかもしれない。

この恋は、いったいどこから生まれてきたものなのか。
そこに神の力は関与しているのか、いないのか。
関与しているなら、この恋は 神々に強いられたもの、まがいものなのではないのか――。
悩み考えあぐねた末に、氷河は瞬に尋ねてみたのである。
この世界に、これ以上の秘密はない秘密、“神々が王子に与えた祝福の内容”という秘密を。


「神々は、おまえに、対峙する人間を魅了する力を与えたのか? おまえの力は、人に愛される力か? おまえの両親は、それを おまえに望んだのか?」
「え……?」
それが、何よりも重大な、決して訊いてはならない禁忌だということを誰よりもよく知っているはずの氷河が、そんなことを異国の王子に問うてくることに、瞬は少なからず驚いたようだった。
だが、氷河は知らなければならなかったのだ。
知ってどうなるものでもないことが わかっていても。
神の力に逆らえるはずがないことを知っていても。

「でなければ、俺は、自分の気持ちが理解できない。俺は なぜ こんなに おまえを好きになってしまったんだ……!」
「あの……氷河……?」
「他に考えられない。いや、神々が おまえに与えた祝福が 優しさや美しさだということもあり得るとは思う。あり得るとは思うが、いくら おまえが美しくても、俺は、だからといって 他国の王子に一目惚れするような 無分別は持ち合わせていないんだ!」
この恋の秘密を知りたいと思うあまり、氷河は、それが恋の告白になっていることに気付いていなかった。
氷河の 自覚のない告白に困惑し、瞬が、恋の告白への答えとも思えない答えを 氷河に返してくる。

「僕は、そういう力は授かっていません」
「では、何だ !? おまえが神々に与えられた力は――」
決して訊いてはならないこと――を、氷河は重ねて瞬に尋ねた。
瞬が困ったように――むしろ つらそうに――左右に首を振り、秘密が秘密であることを 氷河に思い出させようとしてくる。
「僕、その力を人に知らせることを禁じられているんです。兄に与えられた力を余人に洩らすことがあっても、僕の力のことだけは 決して人に知らせるなと、兄に厳命されているの。それが両親の遺言で……教えられません。ごめんなさい」

これまで、知っていることは それがどんなことであっても 微笑んで氷河に語ってくれていた瞬の、初めての拒絶。
一国の王子として、瞬の拒絶は 当然のものだったのだが、それでも氷河は 瞬の拒絶に驚いたのである。
たとえ 南の大国の国王が持つ力を洩らすことがあっても、それだけは絶対に余人に知らせてならない力。
いったい それはどんな力なのか――と。

「それは……危険な力なのか」
「ごめんなさい」
王の力より固く守られなければならない瞬の秘密を知るためには、相応の代価を払わなければならないらしい。
そうと判断して、氷河は 自分の秘密を瞬に知らせたのである。
一瞬も ためらうことなく、どんな迷いも抱くことなく。
「俺は、“その行く手に立ち塞がる どんな敵をも打ち倒すことのできる力”を与えられている。おまえの敵は俺の敵だ。俺は おまえを おまえの敵から守ってやることができる。いや、守ってやりたい。守らせてくれ!」
それが熱烈な求愛になっていることも、氷河はまだ自覚できていなかった。

瞬が、余人には――まして、他国の王室の人間には――決して知らせてはならない秘密を、恐ろしく気軽に打ち明けてくる氷河に狼狽し、戸惑った様子を見せる。
だが、瞬はすぐに落ち着きを取り戻したようだった。
そして、やはり、氷河の望む答えを返してはくれなかった。
「優しいんですね。ありがとう。でも、僕に敵なんかいません。そうでしょう?」
微笑を浮かべた瞬に そう言われ――本当に自分には敵がいないと確信している口調で そう言われ――氷河は、もしかしたら 瞬に望み通りの答えを返されるよりも激しい混乱に見舞われてしまったのである。






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