西洋文明源流の地、ギリシャ。 そのどこかに、楽園への入り口がある。 それは、欧州全域は言うに及ばず、異教徒の国オスマン帝国のヘレスポントス海峡の向こうのアジア域や アフリカ大陸にまで流布している、一つの伝説だった。 先頃 発見された新大陸にも、おそらく もう伝わっているだろう。 氷河の故国ロシアのシベリアの果てにまで、その伝説は流れ着いていたのだから。 氷河が初めて その伝説に触れたのは、彼がまだ幼い子供だった頃。 彼が“北方のアレクサンドロス”と呼ばれるようになることなど思いもよらない、今より十数年も前のことだった。 その楽園は“聖域”と呼ばれ、人間世界では もはや信仰の対象ではなくなったギリシャの女神アテナによって支配されている。 聖域には、女神アテナの他には、アテナに仕えるべく 特に選ばれた少数の人間たちがいるばかりで、彼等は そこで人間界の醜悪とは隔絶した美しい世界を営んでいるのだそうだった。 その美しい世界は、当然のことながら、今は独立を失いオスマン帝国に組み込まれている現実世界のギリシャとは無関係。 聖域は、ただ聖域として存在し、聖域が戴く統治者は 女神アテナのみ。 現在のギリシャの支配者であるオスマン帝国の皇帝ですら、その場所は知らない――知りようもないのだ。 彼が どれほど その楽園の場所を知りたくても。 女神アテナに選ばれ、聖域に入ることが許された少数の人間は、不死の女神に仕えるために永遠の命を与えられる――と言われていた。 永遠の命は、ギリシャの神々の食べ物アンブロシアや神々の飲み物ネクタルを飲むことによって得られるのだという説。 いや、聖域には永遠の命の泉があって、その水を飲むことで人間は不死になるのだという説。 おそらくは、ハンニバルと争ったローマ帝国や アレクサンドロスが支配していたマケドニア帝国以前から伝えられてきた伝説には 様々なバリエーションがあり、聖域を支配しているのはアテナではなく 冥府の王ハーデスなのだという異説まである。 聖域について語られる噂や言い伝えは、楽園を夢見る人間たちの願望が縒り入れられ、長い時をかけて変化し、もはや真実の姿を留めていないのかもしれなかった。 それほどに、聖域の伝説は、語られる国、語られる人間によって 異なっていたのである。 様々なバリエーションを持つ、聖域の伝説。 それらのすべてに共通しているのは ただ一つ、“聖域に行けば永遠の命が得られる”ということだけだったかもしれない。 無論、伝説は伝説にすぎない。 聖域を見た者はいないのだ。 しかし、噂や伝説には、その噂や伝説が生まれるきっかけになった何かがあるものだろう。 まして、数千年の昔から、これほど広域に流布している伝説。 幾許かの真実が含まれていなければ、これほど長い間、これほど広い地域に渡って 語り継がれるはずがない。 その伝説の根拠となった何かが、ギリシャにはあるはずなのだ。 これまでの氷河なら、そんな伝説は伝説にすぎないと一笑に付していただろう。 少なくとも幼い頃、“楽園”の伝説を初めて聞いた時、氷河は その夢物語に ほとんど心を動かされなかった。 だが、“アテナ”と“聖域”。 大人になった(と言っても、氷河はまだ十代なのだが)ある日、その二つの言葉を聞いた時、氷河は、聖域が自分を呼んでいるような気がして、いても立ってもいられなくなってしまったのである。 否、幼い子供でなくなった氷河の心を揺り動かしたものは、もしかすると“時間がない”という一事にすぎなかったかもしれない。 馬鹿げていると思う気持ちがないわけではなかった。 今は、自然の神々やニンフが 人間と共存している平和で牧歌的な時代ではないのだ。 人間たちは 自然の中に存在する神を捨て、自分たちの神を作り、自分たちの作った神こそが絶対と信じて、覇権争いを繰り広げている。 つい1世紀前まで、西欧諸国は、聖地エルサレム奪還のために軍隊を組み、幾度もオスマン帝国に攻め入っていた。 そのエルサレムとて、イエスが その地で処刑されてから300年も経ってから、ローマ皇帝コンスタンティヌス1世によって――つまりは、人間によって――聖地として定められたもの。 イエスの時代から1500年の長きに渡って、人間たちは それぞれの利権のために、宗教の名を借りた戦いを続けてきた――今も争い続けている。 彼等は、人間が作った神など、本当は信じていないのだ。 ただ、その神の勝利が 自分に益をもたらすから、その利益を守るため、あるいは その利益を 新たに得るために、戦い続けているにすぎない。 しかし、“益”というのなら、有限の命をしか持たない人間にとって、“永遠の命”以上の益があるだろうか。 氷河は、聖地というのなら、イエスが 命を終えたエルサレムより、永遠の命が得られるギリシャ聖域の方が、はるかに その呼称に ふさわしい地だと思った。 とはいえ、氷河が“永遠の命”を求めるのは、己れの不死を願うからではない。 氷河は、“永遠の命”を、彼の母のために欲していたのだ。 たった今、彼の母親が死に瀕しているから。 母の延命のために、氷河は 何としても それを手に入れたかったのである。 エルサレム奪還のための十字軍は失敗のうちに終わっていたが、キリスト教国とイスラム教国の戦いは 今も続いている。 特に、40年前、ギリシャが組み込まれていた東ローマ帝国をオスマン帝国に奪われて以来、カソリック教国は 危機感を募らせていた。 東西の戦いは基本的に、カソリックとイスラムの戦い。 氷河の故国ロシアは正教国であるから、カソリックとイスラムの戦いには 本来は関わりがなかった――距離を置いていた。 とはいえ、欧州中の国を巻き込んだ異教徒の国との戦いは、無関係な第三国にも影響を及ぼさずにはいない。 そして、戦いは、シベリアの小さな村で母と二人きりで暮らしていた貧しい青年に、生活の糧を与えてくれるものだった。 オスマン帝国には カソリックもロシア正教も同じキリスト教でしかないらしく、その軍隊は たびたび ロシア国内にまで侵略の手と足を伸ばしてきた。 氷河が母と暮らしていた辺境の地にも。 都から遠く離れたシベリアの僻地に 強力な軍隊などあるわけもない。 そんな状況下で、氷河は、ろくな武器も持っていないというのに、巨人ゴリアテを倒したダビデのように たった一人で オスマン帝国の軍を撃退することを繰り返していた。 氷河は それを 信仰のために行なったわけではなかったのだが、それは結果的に 異教徒たちを倒すことになり、氷河が異教徒の軍に勝利を収めることは、キリスト教徒によって為された快挙と見なされた。 氷河は キリスト教圏では英雄視され、その勇名は ロシア国内はもとより欧州中に鳴り響くことになったのである。 オスマン帝国の軍隊を撃退できれば、それが誰の手によるものでも構わないらしいカソリック側は、正教徒である(ということになっている)氷河の活躍を称賛し喝采を送った。 氷河に“北方のアレクサンドロス”の呼び名を与えたのは、あろうことか ロドリーゴ・ボルジア――時のローマ教皇アレクサンデル6世だった。 悪徳の権化と評される教皇の称賛は、氷河に 望んでいたわけでもない栄誉と共に 経済的余裕をもたらし、同時に不運をも運んできた。 氷河に オスマン帝国の侵攻を食いとめてほしいロシア国内の貴族や 欧州諸国の王室から、援助として提供された多額の金品。 その財を使って、身体の弱い母のために 暖かい南方に居を移したことが、結果的に 氷河と氷河の母の災いになった。 黒海沿岸のクラスノダール地方。 そこは虚弱者の療養には いい土地だった。 つまり、“極寒”という防御璧がない土地だったのだ。 オスマン帝国は、好機到来とばかりに、“北方のアレクサンドロス”と その母が移り住んだ村に 軍兵を送り込んできた。 その際、敵を追い払おうとした氷河を庇い、氷河の母は オスマン兵が振りまわすヤタガンで 腕を切られてしまったのである。 傷自体は浅いものだったのだが、剣には毒が塗られていた。 それは、“北方のアレクサンドロス”を正々堂々と正面から打ち倒すことは容易ではないと判断しての奸計だったのだろう。 毒殺はボルジア家の お家芸だと思っていたのに、それは 世の東西を問わない卑劣な策略だったのだ。 質の悪いことに、氷河の母の腕を傷付けた剣に塗られていた毒は遅行性の毒だった。 オスマン帝国軍の司令官は、恨み重なる“北方のアレクサンドロス”に、一瞬で終わる幸福な死を与えようとしなかったのだ。 英雄と呼ばれている男が、その強靭な肉体を じわじわと毒に蝕まれ、病み衰える姿をさらしながら死んでいくことを、オスマン帝国は望んだらしい。 華々しい戦死で英雄伝説を彩るのではなく、英雄を弱らせ、無力化し――英雄を英雄でなくすることを、オスマン帝国は画策したのだった。 本来なら氷河の身体を侵していくはずだった その毒は 1年の月日をかけて ゆっくりと、だが 確実に、氷河の母の命を削り取っていった。 卑劣な毒に 生気を奪い取られ、彼女の身体は少しずつ死んでいくのだ。 『もって、あと三月』と 医者から宣告された時、氷河は、幼い頃に聞いた 永遠の命を得られる聖域の伝説を思い出したのである。 一日一日 生命力が失われ、若く美しかった母が やつれていく。 彼女の薔薇色の頬は 今は蝋のように白く、陽光のように輝いていた金髪は色あせて、風に なびく力さえ失われてしまっていた。 それでも――どんなに やつれても、氷河にとって彼女は この世界の誰よりも美しい人だった。 彼女は善良で心優しく、これまで常に 社会に虐げられる側にいた。 そして、どんな罪も犯したことがない。 おそらく、氷河という父のない息子を生んだこと以外には。 だが、それとて 聖母マリアとどう違うというのだろう。 女手一つで懸命に氷河を育て、貧しい生活の中にあっても、決して氷河に“愛に貧している”と思わせることのなかった母。 氷河が オスマン帝国の軍に立ち向かっていったのは、村を守りたかったからでも 信仰を守るためでもなく、ただただ 母を守るためだった。 その働きに 思いがけない栄誉と金品が与えられ、やっと母に楽をさせてやれると思っていた矢先の、この悲運。 それは、氷河に『この世に神などいない』と思わせるに十分な、理不尽な出来事だった。 無謀といえる戦いを続けてきた。 己れが信じる神のために命を捨てる覚悟でいるオスマン帝国の兵たちを、次々に打ち倒す氷河の戦いと勝利。 氷河の戦う様を見た誰もが、それは人間業ではないと言った。 所詮 人間にすぎないアレクサンドロス大王より、半神であるヘラクレスやペルセウスの呼び名こそが ふさわしい。彼は 神から 特別な祝福を授けられた救国の士であるに違いない――と。 言うのは勝手だと思い、氷河は あえて否定することもしなかったが、事実はそうではない。 氷河の戦いは すべて、常に、母のためのものだった。 神など信じていなかった(その点で、氷河に異教の英雄の名を冠する者たちの考えは正しかったかもしれない)。 母を守り、母の愛に報い、少しでも彼女を幸福にしたい。 そのためだけに、氷河は戦ってきたのだ。 父のない子を産んだために、彼女の人生は つらいものになった。 不運と不幸が、彼女に ついてまわった。 しかし、彼女を不幸にした彼女の息子は 今は大人になり、彼女を守れるほどの力を持つに至った。 氷河は、これからの彼女の人生を 幸福の時だけで満たすつもりでいたのだ。 このまま――不幸で不運なまま――母を死なせてたまるかと、氷河は、神によって与えられた運命に挑むように思ったのである。 そのために。 母を信頼できる老夫婦に預けて、氷河は、今はオスマン帝国領になっているギリシャに向かった。 迫りくる死の影を 母の上から取り除く“何か”を手に入れるために。 |