ナターシャは、パパは世界一 かっこいいパパだと信じているのに、紫龍おじちゃんや 星矢おにいちゃんは そんなパパを トンマでマヌケでワガママだと言う。 ナターシャは、パパを マーマと同じくらい優しいと思っているのに、吉乃は 冷たく見えると言う。 パパを 怖がる人がいるという話を、ナターシャは 蘭子ママから聞いたこともあった。 いったいパパは――本当のパパは、かっこいいのか トンマなのか。 優しいのか 冷たいのか。 どうして、あんなに優しい(はずの)パパを怖がる人がいるのか。 その謎を解かないことには、自分は これまでのように無心にパパに甘えていくことができない。 パパが――本当のパパが――自分の思っているパパと違っていたら、きっと自分は、何も考えずにパパに甘えていた自分を“お馬鹿さん”だったと思うことになるだろう。 そんな不安を抱かずに抱かずいられなかったから、ナターシャは もう一度 キッチンに立っていたマーマに尋ねてみたのである。 「パパはマヌケでトンマなの? パパは冷たい人なの? パパは恐い人なの?」 と。 本当のパパを知っている人は、マーマしかいない。 パパ自身が、『俺を いちばん わかってくれているのは瞬だ』と、星矢おにいちゃんや紫龍おじちゃんに いつも言っている。 マーマは――マーマなら、本当のパパを知っているはずなのだ。 「パパは かっこよくないの? ほんとのパパは優しくないの?」 「え?」 泣きそうな目をしたナターシャに尋ねられたマーマは、ナターシャの疑念というより、ナターシャの必死な様子に驚いたように、その瞳を見開いた。 そして、ナターシャたちの家に“遊びに来て”いた 紫龍おじちゃんと星矢おにいちゃんに、キッチンカウンターの窓越しに 怒ったような目を向けた。 リビングでマーマの視線を受けとめることになった紫龍おじちゃんと星矢おにいちゃんが、急に 慌てたように そわそわと落ち着かない素振りを見せる。 マーマは何も言わなかったのに、紫龍おじちゃんたちは マーマへの言い訳を、なぜかナターシャに向かっての訴え始めた。 「ナ……ナターシャ。ナターシャは そんなことを気に病む必要はないんだ。確かに、氷河は無愛想だし、要領も悪い。頓馬なこともするし、間も抜けている。瞬がいないと 犯罪者に間違われることさえある。だが、瞬がついてれば大丈夫。ナターシャは 何も心配しなくていいんだ」 「マーマがついてないと、パパは大丈夫じゃないの?」 「違う。そうじゃない。紫龍は、瞬がついていないと氷河は大丈夫じゃないと言っているんじゃなく、瞬が ついてるから 氷河は大丈夫だと言ってるんだ」 紫龍おじちゃんと星矢おにいちゃんが 二人して 一生懸命、ナターシャのパパは大丈夫だと言って、ナターシャを安心させようとする。 紫龍おじちゃんと星矢おにいちゃんは、『氷河は大丈夫』と それだけを繰り返し、『ナターシャのパパは かっこいい』とも『ナターシャのパパはトンマではない』とも言ってくれなかった。 「……」 やっぱりパパは かっこよくないのかと、ナターシャは がっかりしてしまったのである。 「星矢。紫龍」 リビングのテーブルに お茶を運んできたマーマは、ナターシャを しょんぼりさせた紫龍おじちゃんと星矢おにいちゃんを改めて 恐い顔で睨みつけた。 「二人共、ナターシャちゃんに何を言ったの! 変なことは言わないでって、あれほど――」 「あ、いや。ほら、ナターシャは、氷河を理想化しすぎてるところがあるから、いつか 決定的に幻滅しないように、今から耐性をつけといてやろうと思ってさ。俺なりの思い遣りだよ、思い遣り!」 星矢おにいちゃんは、マーマの声と目を遮るように ばたばたと大きく手を振って、引きつった笑いを その顔に貼りつけ、その場をごまかそうとしたようだった。 「星矢!」 星矢おにいちゃんの そんな素振りにごまかされるはずもなく、マーマが再び険しい声で星矢おにいちゃんの名を呼ぶ。 星矢おにいちゃんは震えあがって、突然 全く別の話をマーマの前に持ち出した。 「わわわわわっ、あ、そうだ、敵! 最近、変な敵が出没してる話を聞いてるかっ」 「ごまかさないで」 もちろん マーマは そんなことにもごまかされない。 マーマが星矢おにいちゃんを睨むのをやめたのは、だから、星矢おにいちゃんの慌てふためいた手振り身振りのせいではなく、 「星矢のそれは ごまかすためだろうが、最近 あちこちに変な敵が出没しているのは事実だぞ、瞬」 という、紫龍おじちゃんの落ち着いた声のせいだったろう。 マーマがナターシャを抱き上げて、星矢おにいちゃんと紫龍おじちゃんが掛けているソファの向かいの席に腰をおろす。 マーマが その膝の上にナターシャを横座りに座らせたのは、“変な敵”の話をする星矢おにいちゃんと紫龍おじちゃんの顔を ナターシャには見えないようにするためだったらしかった。 「変な敵……顔のない者? 剣闘士? ロスト聖闘士?」 「今のところは、どこの陣営なのかは不明だ。ただ――」 紫龍おじちゃんが、いったん 言葉を途切らせる。 それから紫龍おじちゃんは、少し訊きにくそうな声音で、 「おまえ、もし 一輝が敵として現われたら、その敵と戦えるか」 と、マーマに尋ねた。 「……それは どういうこと?」 ナターシャを抱いていたマーマの腕に、緊張したように力が加わる。 「本物の一輝じゃないぜ。一輝の幻魔拳やカーサ系統の、相手の弱点を突く技を使うみたいなんだよ、その敵。カーサみたいに その人の大切な人に化けるんでもなく、一輝の幻魔拳みたいに 心の底にある恐怖心を煽るものでもなくて――問題の敵の技は、どうやら 対峙する相手の心の底にある弱点を実体化させる技らしいんだ」 「心の底にある弱点を実体化?」 「ああ。つまり、その敵と戦う者は、自分の心と戦うことになるということだな」 「……」 マーマやパパや紫龍おじちゃんや星矢おにいちゃんが、地上の平和を乱す者と戦う正義の味方であることは、ナターシャも知っていた。 マーマたちは、最初のうちは そのことをナターシャには秘密にしておこうと考えていたらしかったが、その事実をナターシャに知らせずにおく方が危険だと思い直して、ナターシャに教えることにしたのだそうだった。 『もし ナターシャちゃんの周りで 変なことが起こったり、変な人が現われたりしたら、すぐに 僕か氷河に知らせるんだよ。それが悪者だったら、僕か氷河が退治するから』と、ナターシャはマーマに言われていた。 だから ナターシャは、“アテナの聖闘士”という言葉も“小宇宙”という言葉も知っていた。 “アテナの聖闘士”は、地上の平和を守るために戦う正義の味方で、パパやマーマがそう。 “小宇宙”というのは“アテナの聖闘士”が地上の平和を守るために戦う時のエネルギーで、平和を願う心や愛のこと。 アテナの聖闘士であるマーマが、アテナの聖闘士である星矢おにいちゃんや紫龍おじちゃんに、小さく頷く。 「カーサの時と同じようなことがあった時、ちゃんと戦えなかったら、兄弟の縁を切るって言われてるから、戦えると思うけど」 「アフロディーテやシャカならどうだ?」 「ロスト聖闘士の話?」 マーマが そう問い返したのは、“アフロディーテ”や“シャカ”が“自分の心の底にある弱点”だと、マーマは考えてはいなかったからなのだろう。 星矢おにいちゃんが、マーマの反問に横に首を振る。 「いや、そういう意味じゃなく――自分に関わりのある相手ってのは戦いにくいかと思ってさ」 「その敵の攻撃は、幻魔拳や幻朧拳のような精神攻撃技ではなく、心理攻撃のようなんだ。おまえに対して繰り出してくるなら、おまえが倒したくなかった相手とか、恩のある相手だろうから」 「ロスト聖闘士じゃなく、ただの偽物のアフロディーテやシャカなら、一輝兄さんの偽物よりは戦いやすいと思うけど」 「そうだな。てことは、やっぱり、この件でも、心配すべきは 氷河の前にカミュが現われた時かー」 星矢おにいちゃんが、星矢おにいちゃんにしては真面目な心配顔で、憂鬱そうに呟く。 「氷河は……大丈夫だよ。その時には、僕が氷河の代わりに戦うから」 マーマが微笑んで そう答え、 「その手があったか」 紫龍おじちゃんが 感心したように頷く。 星矢おにいちゃんと紫龍おじちゃんは、『ナターシャと遊びに来た』と言っていたが、今日の来訪の本当の目的は、“変な敵”のことをマーマに知らせることだったらしい。 マーマはナターシャの顔を覗き込み、いつものように優しく微笑してから、 「その敵のことは氷河にも伝えておくけど……。大丈夫だよ。僕は氷河よりクールだから。偽物なら、氷河の偽物だって倒してみせる。僕は 全包囲万全」 と、いつものように 優しい響きの声で答えた。 「ナターシャを守るためにも」 マーマが言葉にしなかったことを、代わりに紫龍おじちゃんが言葉にする。 マーマは、誰かを守るために戦う時が いちばん強いと、以前パパが言っていたことを、ナターシャは憶えていた。 だから 紫龍おじちゃんは、マーマが口にしなかったことを あえて口にしたのだったろう。 マーマに そのことを思い出させるために。 マーマは、正義の味方のくせに、戦うのが嫌いだから。 紫龍おじちゃんと星矢おにいちゃんが帰ってから ナターシャが尋ねると、“アフロディーテ”と“シャカ”というのは マーマの先輩の名前で、“カミュ”というのは パパの先生の名前だと、マーマはナターシャに教えてくれた。 |