前日、瞬が 宮子に詫びる機会を持つことができなかったのは、子供たちに捕まってしまったせいもあったが、それ以上に、宮子が瞬を避けたからだった。
一晩経てば、宮子の怒りも 気まずい思いも、前日よりは薄らいでくれているだろうと考えて――そうであることを期待して――翌日も 瞬は星の子学園に赴いた。
が、その日はその日で、星の子学園では また別の騒ぎが起きていたのである。
それは、いたって 静かな騒動だったが。

星の子学園の子供たちは、その3分の2が、父親もしくは母親もしくは両親のいる子供たちである。
仕事の都合や心身の状況等の事情によって、親としての役目が果たせないと見なされた親を持つ子供が全体の3分の2。
両親や祖父母等の近親がいない、いわゆる孤児が 残りの3分の1。
状況が改善し、親と暮らせるようになって 星の子学園を去る子供が、月に1人ほどの割合で出てくる。
それは、星の子学園を去る子供当人には喜ばしいことなのだが、学園に残る子供たち――親と離れた暮らしを続けざるを得ない子供たちや、そもそも親がいない子供たち――の心に、複雑な感情を生む慶事だった。

その日は、同じタイミングで、2人の子供が星の子学園を去ることになっていて、瞬が星の子学園に足を踏み入れた時から、学園内には 嬉しさ明るさと 寂しさの入り混じった、いわく言い難い空気が漂っていた。
同時に2人の仲間を失うことになる残留組の子供たちは皆、複雑な表情をしていて、その中の一人――もう2年以上 母親と会えずにいる女の子が、ついに 泣き出してしまう。
今日の日を 幸福と希望の門出にしなければならない美穂たちは、今日 星の子学園を去る二組の母子のために、その場を取り繕わなければならなくなり、慌てて残留組の子供たちを遊戯室に移動し隔離したらしい。
瞬が 学園の遊戯室に入っていった時、泣いている少女と 泣きそうな顔をした子供たちを、宮子が懸命に励ましていた。

「寂しくても、元気を出さなきゃ駄目よ。寂しさや不幸に負けちゃ駄目。元気を出して!」
そんな言葉で宮子が励ますほどに、泣きそうな子供たちは 一層 泣きそうになり、既に泣いている少女の嗚咽は 一層 激しいものになる。
泣いている少女の上に、兄と引き離された時の自分の姿が重なり、瞬は――瞬もまた、泣きたい気持ちになってしまったのである。
遊戯室に入っていった瞬の姿を認めると、宮子に『寂しさに負けちゃ駄目』と励まされていた少女は、
「瞬ちゃんー!」
と瞬の名を呼んで、瞬の許に駆けてきた。

瞬は彼女を励ます どんな言葉も思いつくことができなかったのである。
瞬には、彼女の欲しいものを彼女に与えてやることはできなかったから。
瞬にできることは、彼女の小さな身体を抱きしめ、その髪を撫でてやることだけだった。
他の子供たちが、そんな瞬たちの周りに集まってくる。
中には、瞬と一緒に 少女の髪や背中を撫でてやる子もいて、彼等の優しさが 瞬の心にまで沁みてきた。
そんな優しさに包まれているうちに、瞬に抱きしめられていた少女の嗚咽が、やがて小さくなっていく。
そして、その段になって初めて、瞬は気付いたのである。
芳司宮子が、ひどく憤った目をして、自分を睨んでいることに。
彼女が なぜ自分に そんな目を向けているのかが、瞬にはわからなかった。
泣いていた少女は、彼女の仲間たちの優しい心によって、その涙を消し去ろうとしている。
この場 この時に、なぜ宮子は そんな目をしているのだろう?

「芳司さん……?」
瞬が 呟くように宮子の名を口にすると、宮子は憤った目をそのままに、無言で遊戯室を出て行ってしまった。
唐突で 冷淡な宮子の振舞いに戸惑い、二度三度と瞬きを繰り返すことになった瞬の上着の袖を握りしめ、瞬の側に来ていた年長の女の子の一人が、思いがけない言葉を吐きだす。
「私、あの人、嫌い。あの人は、私たちのこと、かわいそうな子供だって言う。普通のうちの子じゃないって言う。私たちは かわいそうな子供なの?」
「あ……」
子供の心と感受性の、何という鋭敏、多感、そして、傷付きやすさ。
瞬は、すぐに はっきりと力強く 首を横に振った。
「そんなことないよ。きっと、芳司さんは、みんなに強い子になってほしいと思ってて、だから そんな言い方をしちゃうんじゃないかな。みんなのために言ってくれているんだよ」

だが、瞬の否定は、既に遅すぎたらしい。
もしかしたら 星の子学園の子供たちは、美穂よりも先に 宮子の奇妙さを感じとり、その正体も見抜いてしまっていたのかもしれない。
「あいつは、俺たちのこと嫌いなのに、嫌いじゃない振りしてるんだ」
星の子学園の子供たちのリーダー格であるアキラの口調は、大人のように自分の感情を隠すこともせず――できず――憎々しげだった。

宮子も気になるが、こんな子供たちを放ってはおけない。
「そんなことないよ。芳司さんは、みんなに幸せになってほしいって思うから、ここに来てくれてるの。みんなのことを嫌いだったら、芳司さんは とっくに学園に来るのをやめてるよ。そうでしょう?」
せめて子供たちには、善意の表わし方は 人それぞれなのだということを知っていてほしい。
宮子への不信に満ち満ちた目をしている子供たちに、瞬は語りかけた。
同時に、氷河に、すがるような目を向ける。
瞬の視線の意を汲み取った氷河は、いかにも しぶしぶといったていではあったが、瞬の代わりに宮子のあとを追ってくれた。






【next】