「瞬は、自分の自由な意思で、清らかでいるから美しいんだ。清らかでいることを選ぶ心の強さこそが、瞬を美しくしている。貴様にエリシオンに連れていかれ、自由を奪われ、清らかでいることを強いられるようになれば、瞬は もはや真の意味で清らかな人間ではなくなってしまうだろう。貴様と一緒にいると、瞬は瞬でなくなってしまう。貴様は、自分で自分の好きな瞬を殺してしまうんだ。貴様は、その手で瞬の美しさを消し去る。それが 貴様の望みか」

人間は、人間にしか持ち得ない力を持っています。
死ぬ力、自由であること。
太陽神は 永遠に太陽神でいなければならず、海神は 永遠に海神でいなければなりませんが、人間は 自分の意思で 自分のなりたいものになることができます。
寂しく冷えた心をもった泥棒が、熱い恋の炎を胸に抱く恋人になることも、容易にできます。
愛する人のために、神に詭弁を弄することも――もとい、真実の言葉を神を説得することも――もちろん 簡単にできてしまうのです。

ハーデスが提示した期限の日、新月の夜。
王城の大広間。
ハーデスと共に冥界に行く覚悟を決めているらしい瞬王子と ハーデスの間に立ち塞がって、氷河は冥府の王に言いました。
瞬王子は、人間界に置くべきだと。
瞬王子から自由を奪うことは、愚か者の仕業だと。
氷河は、神の意思に従わず、それどころか、その考えの誤りを指摘し、その決定を覆そうとしたのです。
人は 神の意思には諾々と従うのが常識で 当たりまえの世の中で、氷河のその行動は 大胆不敵で非常識なものでした。
けれど、人間は自由で――自由だから、自分を変えることは もちろん、世界を変えることもできるのです。
氷河にとっては幸いなことに、ハーデスは、神にしては比較的 柔軟な思考力と賢明を備えた神でした。

人間は 自由な存在だからこそ魅力的なものであり得るのだということを、ハーデスは知っていました。
であればこそ、ハーデスは、瞬王子の命を奪って 自分の支配下に置こうとはせず、生きたままエリシオンに連れて行こうとしたのです。
ハーデスが自分のものにしたいと思ったのは、彼の命じる通りにしか動かない綺麗な人形ではなく、生きていて自由で、その上で清らかな瞬王子でしたから。
ハーデスは、氷河の主張を、実に尤もなことと得心してくれたのです。






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