いつか 巡り会う日






投げ飛ばされた空中で 身体を二回転させ、三回目の回転に入ったところで、ナターシャの身体は氷河の手に受けとめられた。
「もう少し早いタイミングで回転を始めれば、ダブルアクセルもいけるな」
ナターシャの身体を受けとめた氷河が、感情の感じられない声で独りごち、氷河に受けとめられたナターシャは、氷河の過激な“高い高い”に頬を真っ赤にして興奮気味。

「ナターシャちゃん、危ないよ」
瞬の注意に返ってくる返事は、
「パパが受けとめてくれるから、ヘイキー」
「氷河、ナターシャちゃんに無理させないで」
氷河に釘を刺しても、これまた返ってくるのは、
「無理をさせているわけじゃない。ナターシャには才能がある」
という、何か どこかが ずれた返事。
いったいナターシャに 何の才能があるというのか。
今のところ、この地上世界には“高い高い”の技を競う競技会などというものは(おそらく)存在していないというのに。

“高い高い”で宙に飛ばされ、空中で手足を ぱたぱたさせているうちに 宙返りができてしまい、それが爽快だったのか、その時以降、ナターシャは “高い高い”の様々な技を編み出し続けていた。
氷河と遊んでいる分には構わないし、ナターシャの楽しみを奪うつもりはないのだが、ナターシャが 重力や落下の危険や恐怖を感じられない高所平気症の子供になるのは困る。
ナターシャは 怪我をしない程度に“落ちたら痛い”という経験をしておいた方がいいと思うのだが、そんな状況を意図的に作るわけにもいかない。
宙に向かって 身体を5メートルも放り投げられることに どんな恐れも感じず、ただただ 楽しい興奮だけを覚えているらしいナターシャを見て、瞬は 細く長い溜め息を洩らしたのである。

そして、他の家の子供はどうなのだろうと、周囲を見まわす。
残念ながら、氷河とナターシャのように派手な“高い高い”をしている親子連れは、この公園内に 今はいなかったが。
他の公園でも、今でなくても、そんな親子連れはいないに違いない。
結局、瞬は よその家の子供たちの“高い高い”の興じ方を確かめることはできなかった。
それはできなかったのだが。
代わりに 瞬は、“高い高い”に興じている よその家の子供とは別のものを、公園内に 見い出すことになったのである。

春の晴れた平日の昼下がり。
公園の入り口にある三分咲きの桜の木の側に立ち、氷河とナターシャの無茶な遊びを見詰めている一人の青年の姿を。
彼の視線は 一直線に、氷河と 氷河の腕に抱きかかえられているナターシャに 向けられている。
今の今まで その視線に気付かずにいた自分に、瞬は少なからず慌てた――否、むしろ 戸惑った。
アテナの聖闘士が、その意識を自分と自分の家族に向けている人間の存在に――しかも、彼は意識して気配を消しているわけでもないのに――気付かずにいるなど、あっていいことではない。

アテナの聖闘士が、なぜ これまで 彼の視線に気付かずにいたのかは、だが、すぐに わかった。
その視線が どんな力も有していなかったから――その視線が いかなる力も備えていないから――なのだと。
害意や敵意はもちろん、好意や悪意、嫌悪といった、どんな感情も意思も、その視線は帯びていなかったのだ。
だが、特定の対象物を まっすぐに見詰めている人間の視線に どんな力も含まれていないということがあるだろうか。
それは、本当に奇妙な視線だった。

ともかく、彼が、氷河とナターシャの非常識な遊戯を その視界に映しているのは事実である。
氷河とナターシャの遊戯は、一般人の目には、かなり危険なものとして映るだろう。
へたをすると、児童相談所に幼児虐待で通報されかねない。
「氷河、ストップ。今日はもう、“高い高い”はやめて」
瞬は、そんな事態になることを危惧し、すぐさま 氷河を止めた。
『マーマの“命令”は絶対』というのが、氷河一家の 必ず守られなければならない不文律である。
ナターシャは不満そうだったが、氷河は 瞬の命令に従った。

桜の木の横に立つ青年の歳は 20歳前後。もしかすると、まだ10代かもしれない。
この公園では 見掛けたことのない青年である。
背が高く、髪は漆黒。
鼻筋が通っており、極めて端正な――異様なほどシンメトリーな顔立ちをしていた。
氷河の顔立ちも綺麗で端正だと思うが、その黒髪の青年の“端正”は、アンシンメトリーなところが全くなく、まるでコンピュータに計算させて設計した設計図を基に3Dプリンターで作成したような――自然が作った端正ではなく、人工的な端正。
氷河が“磁器人形のよう”なら、彼は“ロボットのよう”だった。

まさしく作り物。といった風情。
そんな姿をした青年は、氷河とナターシャの“高い高い”が終わっても、その視線を 氷河とナターシャの上から逸らそうとしなかった――その視線を 氷河とナターシャの上に据えたままだった。
「氷河」
瞬が、氷河の名を呼ぶことで、氷河に その青年の存在を知らせる。
“普通”でないことはわかるのだが、彼のどこが“普通”から逸脱しているのかが、瞬には わからなかった。
その事実が、瞬の戸惑いを更に大きくする。

脅威は感じないのである。
害意、憎悪、憤怒、攻撃性といった、いわゆる“敵”が敵に対して抱くはずのものは、全く感じられない。
しかし、味方でもない。
そして、“敵でも味方でもないもの”でもない。
“敵”ではなく、“味方”でもなく、“敵でも味方でもないもの”でもない。
“敵”ではなく、“味方”でもなく、“敵でも味方でもないもの”でもない、何か。
そんなものが、この世界に存在するはずがないのに。
彼の瞳が備えているもの――尋常ではない、その何か――に、無理に名前をつけるなら、“無関心”という名こそが最もふさわしいだろうと思う。
彼の瞳は、確かに、アテナの聖闘士たちと その娘を じっと見詰めているというのに。

彼の濃い色の瞳を、瞬は、音を持たない湖のようだと思った。
人が足を踏み入れたことのない山奥で、水の揺らめき一つなく 美しく静かに佇む湖を見付けた時、人は 今の自分のような気持ちになるのではないか――と。
湖自体は どんな感情も意思も持っていない。ただ そこにあるだけである。
だが、その湖の静けさや 動きのなさは 周囲の命をすべて飲み込んでしまったゆえのものなのではないかと、そんなことを その湖に出会った者に想像させるのだ。

その青年を見た氷河の感想は、しかし、瞬のそれとは いささか趣を異にしていた。
氷河は、瞬の示した青年を一瞥してから、彼を、
「優性遺伝の集大成のようなガキだな」
と 短く表した。
氷河の声音には、どんな感慨も感じられない。
抑揚もなく、ただ、事実を告げただけ。
氷河は、その青年に 全く関心がないのだ。
氷河は、瞬に注意を促されたから、彼を見たにすぎない。

関心のないものに対して無感動――それは 普通のことである。
普通の人間なら、自分を凝視し続けている人間に 関心を呼び起こされないということは 滅多にないだろうが、氷河は そういうことが多々ある。
そして、氷河は そういう男だということを知っている人間には、氷河の無関心を“普通のこと”“いつものこと”と思うことができる。
だが、氷河が そういう男だということを知らない人間は、氷河の無関心を奇異と感じるだろう。
この事態は そういうことなのかもしれない――と、瞬は思ったのである。
自分は優性遺伝の塊である青年の人となりを知らないから、彼の様子を奇異に感じているだけなのかもしれない――と。

桜の木の青年とは対照的に、劣性遺伝の集大成のような氷河。
だが、どちらも美しい。
さりげなく 彼に話しかけてみようかと、瞬は思った。
幼い子供の保護者が、我が子を凝視している 不審(に見えないこともない)人物を気に掛けることは、昨今の世の中、常識に反した行為ではない。
が、瞬が その考えを行動に移す前に、青年の方が先に動いた。
ゆっくりと 瞬たちの方に歩み寄ってきた その青年は、瞬たちの前で 歩みを止め、瞬と氷河に、
「アクエリアスの氷河とバルゴの瞬?」
と尋ねてきたのだ。
彼の声は、その姿や雰囲気とは違い、瞬には快く感じられる声だった。意外にも。
昔 聞いたことがある、郷愁を感じさせる声。
発言内容は、とんでもないものだったが。
彼は、幼い少女と遊んでいる善良な市民(に見えるはず)の二人の秘密の呼び名を知っていた。






【next】