愛の謎






昔々、世界の北の端に、美しく優しい王妃様の治める国がありました。
国の民は彼女を王妃様と呼んでいましたが、本当は前国王の未亡人で、正式な身分は王太后。
夫である前国王亡き後、成人前の王子様が親政を始めるまでの摂政役。
たった一人の息子である王子様が 国の民に愛され尊敬される立派で幸福な王様になれるようにと、それだけを願い、そのために努めている優しいお母様でもありました。
摂政である王妃様の名前をナターシャ、王子様の名を氷河といいます。
父王は氷河王子が幼い頃に亡くなって、母一人子一人。
氷河王子は、美しく優しいお母様が大好きで、いちばんの自慢。
二人は大変 仲のいい母子でした。

ところが。
美しく優しい人は 多くの人に愛されますが、同様に神にも愛されるもの。
いよいよ 来年には 氷河王子も成人し 親政を始めることになるだろうという初春の頃、王妃様が病を得て亡くなってしまったのです。
愛するお母様が亡くなって、氷河王子は すっかり生きる気力を失ってしまいました。
摂政である王妃様が亡くなってしまった今、氷河王子は氷河国王になって 国を治めなければならないというのに、氷河王子は 戴冠式の“た”の字も口にしません。
氷河王子が 国の民に愛され尊敬される立派で幸福な王様になることが 王妃様の切なる願いだったというのに。

けれど、それも致し方のないこと。
たとえ国の民に愛され尊敬される立派な王様になっても、優しく美しいお母様が褒めてくれないのでは、やる気になりません。
お母様が亡くなってしまってから、それまで真面目で勉強家だった氷河王子は すっかり だらけて、怠け者の無気力王子になってしまったのです。


これでは国の行く末が心配。
氷河王子には一刻も早く 王妃様を失った悲しみから立ち直って、立派な王様になってもらわなければなりません。
王家の人間には 国と国の民に対する責任というものがあるのです。
どうしたものかと頭を寄せ合って あれこれ思案した北の国の大臣たちは、“氷河王子に お妃様を迎える”という策を思いつきました。
氷河王子は、どんなに頑張っても 美しく優しいお母様に褒めてもらえなくなって やる気をなくしているのですから、美しく優しいお母様の代わりに 氷河王子を褒めてくれる 美しく優しいお妃様を お城に迎えればいいと、大臣たちは考えたのです。

そうと決まれば、善は急げ。
北の国の大臣たちは 早速 氷河王子のお妃様選びの大舞踏会を催すことにしました。
国のため、亡き王妃様の悲願を叶えるためですから、大臣たちは大張り切り。
もちろん、国中の娘たちは大臣たち以上に大張り切り。
王子様のお妃になるのは、いつだって どこの国でだって、女の子の憧れ。最高の夢。
その上、氷河王子は 国いちばんの美男子で、強くて賢い王子様だと(王妃様が生きていた頃は)評判でしたから。
ええ、みんな張り切っていました。
張り切っていないのは、氷河王子だけだったでしょう。
張り切るどころか!
大臣たちの お妃様選び計画を聞いた氷河王子は、
「ペライのアルケスティスのように、自分の命を差し出して、俺のマーマを生き返らせてくれる娘がいたら、その娘を妻にしてもいい」
なんてことを言い出したのです。

ペライのアルケスティス。
それは、テッサリアにあるペライの国王アドメトスのお妃様の名前。
夫であるペライ国王に死期が近付いた時、夫の身代わりに死ぬことで、夫の命を救った王妃様の名前です。
氷河王子の その言葉を聞いて、大臣たちは――国中の娘たちも――みんな 唖然としてしまいました。

普通は――尋常の方法では、死んだ人を生き返らせることはできません。
どうしても 生き返らせたかったら、代わりに命を一つ 差し出すのが、生者の生きる地上世界と 死者の暮らす冥界の掟でした。
つまり、氷河王子は、彼のお母様を生き返らせるために 死んでくれる娘がいたら、その娘を妻にしてもいいと言い出したのです。
そんな無茶な話はありません。
氷河王子は、死んだ娘をお妃にするつもりなのでしょうか。
張り切っていた国中の娘たちは皆、氷河王子の言葉を伝え聞くと、張り切るのをやめてしまいました。

それは そうです。
何事も、命あっての物種。
死んでしまったら、何にもならない。
死んでから氷河王子のお妃に迎えられたって、ちっとも嬉しくありません。
普通の娘は、死んで王子様のお妃として認められるより、生きて平民の若者の妻になることの方を望むものです。
そういう経緯で、氷河王子のお妃様選びの大舞踏会の計画は、いつのまにか(出席者がいないのですから当然のことですが)立ち消えになってしまったのでした。






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