多分、まだ十代――の女の子。 平日の日中から 公園のベンチに 腰掛けているんだから、あまり勤勉じゃない大学生か、平日がお休みの仕事をしている勤め人。 ニートとか、夜のお仕事をしているようには見えない。 公園に行くたびに 毎回 会うというわけじゃないから、彼女は“僕たちに偶然会ったら、僕たちを必ず見る”っていうスタンスでいるんだと思う。 その見方が普通じゃない――他の人たちとは違う。 可愛い小さな女の子と 娘に甘いパパを眺めて、気持ちを和ませている――っていう、普通の人たちとは違う目、違う眼差し。 彼女は、まるで地上の平和を乱す邪悪の徒を見るような目で 僕たちを凝視してるんだ。 何かを探っているような彼女の視線は、特に氷河に向けられているように感じられる。 最初は、顔の無い者の一味なのかと疑った。 彼女は、特に変わったところのない、どこにでもいる若い女の子に見えるけど、油断はできない。 以前は 顔の無い者のギルドの長の一人だったナターシャちゃんだって、見た目は非力で小さな女の子だったんだから。 ナターシャちゃんは 今は普通の――ううん、普通よりずっと素直で可愛い小さな女の子だけど。 ナターシャちゃんの身に何かあったら――万々が一にもナターシャちゃんを失うようなことがあったら、氷河は尋常でなく荒れると思う。 憤るのか悲しむのか、それは その時の状況によるだろうけど、氷河が その時に、冷静な父親でいることも、クールな聖闘士でいることも、優しい人間でいることもできなくなるのは 火を見るより明らかだ。 だから、とにかくナターシャちゃんを守るのが僕の至上義務。 僕は、ナターシャちゃんの周囲から危険を取り除き、不穏な空気や不審の空気は 速やかに排除して、ナターシャちゃんを守らなきゃならない。 僕は、相手が若い女の子だからって油断せず、彼女が何者なのか、ナターシャちゃんにとって危険な存在なのか、そうではないのかを、迅速かつ慎重に確認しなければならなかった。 とはいえ。 もしかしたら一般人なのかもしれない人に、まさか『あなたの目的は何ですか』なんて、直接 訊くわけにはいかない。 ナターシャちゃんに危害を加えようとしている敵だったら、なおさら そんなことはできない。 どうしたものかと考えあぐねた僕は、一度、ちょっとした風を起こして、ナターシャちゃんのリボンを飛ばし、それを追いかける振りをして彼女に近付いてみたんだ。 彼女は一般人――顔の無い者でも 聖闘士でも 剣闘士でもないという意味で一般人――だった。 一般的な人間にとっての常識から逸脱した力を持っていない人間――むしろ、普通の人より意欲や覇気が感じられないような人。 それを確かめて、そういう次元では、僕は ひとまず心を安んじた。 でも 僕は、先週、僕が勤めている病院の看護師から、医師の家族を狙った誘拐事件の話を聞いたばかりだったものだから、彼女が一般人だからといって 安全な人間だとは限らないと、すぐに 思い直したんだ。 もっとも、その看護師さんが言う“医師の家族”は 人間ではなかったんだけど。 「ウチの はす向かいのマンションの3階で、3日前に、ちょっとした事件があったんですよ。そこ、大学を卒業して、奨学金返済に困ってた20代の女の子の部屋だったんですけど――ペット不可のマンションなのに、毎日 犬の鳴き声で わんわんきゃんきゃん騒がしくて、隣りの部屋の住人がマンションの管理人に、どうにかしてくれってクレームを入れたんだそうです。それが尋常の騒がしさじゃなかったし、そもそもペットを飼うのは契約違反だったから、その管理人さん、かなり強引に部屋の中を検分したんですって。そしたら、部屋の中に小型犬が5匹もいたんですよ。首輪に記されてた名前とか、住人の言い訳がものすごく不自然だったんで、結局 警察に通報することになったんですけど、その5匹の犬っていうのが全部、あちこちの お医者様の飼ってるペットだったんですよ。その女の子は、ペットの誘拐犯だったんです」 僕に その話をしてくれた看護師さんは、その誘拐犯は どうして そんな、すぐに ばれるようなことをしたのか、呆れているような口振りだったけど、もちろん、黙らせておくことのできる人間なら誘拐してもいいわけじゃない。 どっちにしても、その誘拐犯は愚かなことをしたとは、僕も思うけど。 「その子、さらってきた犬を飼い主のところに連れていって、謝礼金をせしめていたんだそうです。偶然拾って数日間 世話をしてたって言うと、最低でも10万くらいの謝礼金をもらえてたんですって。最初はほんとに偶然だったらしいんですけど、それで味をしめちゃったんでしょうね。お医者様はお金を持ってて、命の大切さも知っている。ペットなら、万一 さらってきたってことが ばれても、営利誘拐じゃなく窃盗罪で済むって、変なところで知恵のまわる子だったみたい。でも、いずれ人間の子供を誘拐するようになっていたんじゃないかって、みんな言ってましたよ。人間の子供は吠えて騒がしくしないから、近所に ばれにくいし、一人で100匹分くらいのお金になるもの」 彼女は冗談のつもりで言ったんだろうけど、ナターシャちゃんの世話をしている僕には、それは 到底 笑うことのできる冗談じゃなかった。 アテナの聖闘士には、へたな邪神より 一般人の女の子の方が ずっと危険で、大きな脅威だ。 戦うわけにはいかず、倒すことで解決を図ることもできないんだから。 でも、そう考えると、公園で見掛ける彼女が、主に氷河を睨んでいるのは、ナターシャちゃん誘拐のための隙を狙っているから――と考えることもできる。 覇気がなさそうなのは、彼女が追い詰められているからなのかもしれない。 とはいえ、誘拐も窃盗も、頭の中で企んでいるだけなら、それは罪ではないし、僕(たち)も対抗のしようがないんだ。 だから。 公園で彼女の姿に出会うたび、僕は、心身の緊張を余儀なくされている。 乙女座の黄金聖闘士が、どんな特別な力も持っていない一人の女の子のために。 |