「俺が……宇宙人……?」 氷河が滅多に表情らしい表情を作らないのは、そうするのがクールだという十代の頃の思い込みが主原因なのだが、今 彼が表情らしい表情を作らずに そう呟いたのは、単に、こういう場合 自分はどういう表情を作るべきなのかが 全くわからなかったからだった。 瞬に救いを求めて視線を巡らせたのだが、さすがの瞬も 非力な女子大生の決意(思い込み)の内容と激しさに圧倒されたのか、微笑のかけらも浮かべられないまま、唖然とした様子で非力な女子大生の顔を見詰めている。 この場では 非力な女子大生と最も親しいらしいマチガイ青年も、それは同様。 瞬に抱きかかえられていたナターシャが、 「パパは宇宙人じゃなく、ナターシャのパパだヨー」 と非力な女子大生に訴えたが、非力な女子大生の答えは、 「ナターシャちゃんみたいな子供は騙せても、私は騙されないわよっ!」 だった。 「お……俺は、夢美――五貝沢が 悪い男に騙されて、捨てられて、落ち込んでるんだろうって思って心配してたのに、な……なに馬鹿なこと言ってんだよ……!」 マチガイ青年が、非力な女子大生の決めつけを“馬鹿なこと”と断じたのは、彼が いわゆる常識人だったから――だったろう。 少なくとも、非力な女子大生よりは はるかに。 「そんな ノンキな事態じゃないのよ! ほんと、あんたは、子供の頃から ノンキで能天気で……! ちょっとくらい女の子に人気あるからって、うぬぼれるんじゃないわよ! 女の子たちは、あんたの優柔不断を優しさだと勘違いしてるだけなんだから!」 非力な女子大生は、だが、マチガイ青年の常識的勘違いを 力いっぱい否定した。 マチガイ青年が、塩を降りかけられたナメクジのように小さくなる。 「た……確かに俺は、おまえほど勇猛果敢じゃないかもしれないけど……」 「ナターシャちゃんのママは優しくて、普通の人みたいだったし、ナターシャちゃんも素直で可愛い子だったから、きっと宇宙人が化けた偽物のパパに騙されてるんだと思った。地球人にしては 髪が きらきらしすぎてて、私、変だと思ってたのよ。ナターシャちゃんと遊んでる時も 全然 笑ってなくて、もう何もかもが不自然! 宇宙人でなかったら、普通 笑顔になるでしょ! こんな可愛い子と一緒にいたら!」 「まあ……それは そうかもしれないけど、でも 宇宙人ってのは さすがに……」 マチガイ青年は、非力で勇猛果敢な女子大生に 絶賛片思い中らしい。 彼女が“悪い男”に向けていた視線が“好意”の視線でなく、“憎悪”の視線でもなく、宇宙人に対する“不審”の視線だったことを喜びたいのに、宇宙人疑惑をかけられた相手の手前、素直に喜んでしまえない。 マチガイ青年は、そういう顔をしていた。 瞬が、非力で勇猛果敢な女子大生に、 「じゃあ、あなたはナターシャちゃ――ナターシャを誘拐しようとしていたんじゃなかったんですか」 と問うと、非力で勇猛果敢な女子大生は、 「誤解です!」 と、言下に否定。 「俺はてっきり、この女は 瞬に気があるのだとばかり……」 という氷河の呟きには、 「私、そんな趣味、ありません!」 という返答。 勇猛果敢な女子大生は、自身の答えが大いなる誤解に基づいたものであることには、まるで気付いていないようだった。 「パパがかっこいいから、パパをユーカイしようとしてるんだと思ってたヨー」 ナターシャの推理には、 「そんな恐いことするわけない……」 少々 怯えた様子を見せたが、氷河の目には、それは出来の悪い芝居としか映らなかった。 本当は怯えても恐れてもいないのに、無意識に“気の弱い私”を演出する女子が、世の中には五万といる。 もちろん、それは出来の悪い芝居に決まっていた。 本当に気の弱い女子が、地球侵略を企む宇宙人に向かって、 「さっさと正体を現しなさいよ! あなた、宇宙人なんでしょ! でなきゃ、あんなふうに一瞬で消えたりするわけないっ!」 と、攻撃的発言をぶつけてくるわけがないのだ。 彼女は、何が何でも、アクエリアスの氷河を“地球侵略を企む邪悪な宇宙人”に仕立て上げようとしている。 瞬の兄が、何が何でも、氷河という男を ろくでなしの悪党にしたがっているように。 氷河が 一輝の一方的な侮辱と決めつけに かろうじて反撃せずにいられるのは――瞬の兄に、ある種の仲間意識を抱くことさえできているのは――瞬の兄が、瞬の願いであるところの“地上世界の平和”のために戦うことを第一義としている男だからである。 氷河が勇猛果敢な女子大生に本気で腹を立てることができなかったのも、同じ理由。 宇宙人の地球侵略計画に気付いた彼女が、家族や友人たちのために その計画を阻止すべく立ち上がった正義の味方だったから。 アテナの聖闘士を邪悪な侵略者と思い込むなど 言語道断の誤解ではあるが、彼女は、ともかく、自分だけは助かりたいと考えるような卑劣な人間ではなかったのだ。 だから、氷河は、この場を穏便に収めなければならなかった。 その方策を思いつくことができず、瞬に救援を求める。 勇猛果敢な女子大生に 正義の味方の資質を見い出したのか、彼女を見詰める瞬の瞳には、いつも以上に優しく温かく嬉しそうな光が宿っていた。 「氷河が宇宙人だというのは誤解だと思いますが……。念のために お尋ねしますけど、氷河が消えるのを、あなたが見たのはいつのことですか?」 瞬の声音は落ち着いている。 この場を、瞬がどのように収めるつもりでいるのかは皆目わからなかったが、もう大丈夫だと、氷河は思った。 「いつ……って――桜が散って、1年の講義の登録が終わって、暖かくなった頃――今から1ヶ月くらい前よ。すごく晴れた日で――でも、あれは絶対に錯覚でも見間違いでもなかった! ほんとに、ナターシャちゃんのパパは 私の目の前で消えたの! 私、嘘なんか言ってない!」 深刻な病気に侵されているのではないかという疑心暗鬼やパニックに陥りかけている患者の心を穏やかに落ち着かせるのは、瞬の得意技である。 瞬は、勇猛果敢な女子大生を やわらかい微笑で包み込んだ。 「五貝沢夢美さん……でしたっけ。あなたが嘘をついているなんて、僕は思っていませんよ。あなたは真実を話している。あなたは見間違えもしていない。氷河は確かに あなたの目の前で消えたんでしょう。でも、それは氷河が宇宙人だからではなく、メタマテリアルのマントのせいなんです」 「メタマテリアル……って?」 サイエンス・フィクションを読むのは好きでも、“サイエンス”には今ひとつ疎い文系女子に その路線で攻めるかと、氷河は 瞬が選んだ戦法に感心した。 それは、SF好きの勇猛果敢な文系女子大生にとっては、親近感はあるが遠いところにあるもの。 受け入れることは易しいが、理解はできないものであるに違いない。 氷河(と瞬)の予想通り、勇猛果敢な女子大生は、初めてイースト菌でパンが膨らむ様を見た小さな子供のように 不思議そうに首をかしげた。 「メタマテリアルというのは、負の屈折率を持った物質のことです。物体の背後から来た光が前方に回り込んで、それによって、その物体が不可視化される技術というのがあるんですよ。米国等の一部の軍隊では 既に透明化スーツとして実用化されているんですけど、氷河は それを試してみたんです。屋内では試せないので、公園で。氷河が それを手に入れたのが、ちょうど桜が終わった頃でしたから、五貝沢さんは たまたま その場面を見てしまったのだと思います」 「透明化スーツ……って、なぜ そんなものを――」 実に尤もな質問。 「氷河は、ミリタリーマニアなんです。武器や乗り物ではなく、軍服やシューズ等の装備の」 「はあ !? 」 瞬の答えを聞いた勇猛果敢な女子大生が、素頓狂な声をあげる。 「ミリタリーマニア !? この顔で !? 」 ミリタリーマニアにふさわしい顔とは どんな顔なのか。 それは氷河には わからなかったし、もしかしたら勇猛果敢な女子大生自身にも 明確な定義はなかったのかもしれないが、ともかく 彼女は、瞬の説明に かなり驚いたようだった。 “驚いた”ということは、その説明を“信じた”ということ。 勇猛果敢な女子大生にとっても、“ミリタリーマニア”は、その存在を断固否定できるものではなかったのだ――その存在を認め受け入れることのできるものだったのだ。 おそらく、アテナの聖闘士の存在よりは はるかに容易に。 「す……すみません」 呆然としている勇猛果敢な女子大生より先に 氷河たちに謝ってきたのは、勇猛果敢な女子大生の横で瞬の説明を聞いていたマチガイ青年だった。 「いいえ。人目のあるところで、不用意にそんなことをした氷河が悪いんです」 マチガイ青年の謝罪に、瞬が謝罪で答え、 「なんで、あんたが謝るのよ!」 勇猛果敢な女子大生は、マチガイ青年の謝罪に ご立腹の様子。 「ナカヨクしなきゃ、チジョウのヘイワは守れないヨー」 ナターシャに たしなめられると、勇猛果敢な女子大生とマチガイ青年は、一瞬 視線を見交わし合い、それから二人揃って、 「お騒がせしましたっ!」 と、氷河一家に頭を下げてきた。 |