東シベリア在住の俺とカミュが、聖域からの命令で南氷洋に行くことになったのは、そんな時だった。
南氷洋っていっても、目的地は、南氷洋なのか太平洋なのか大西洋なのかインド洋なのか わからない微妙な海域で、まあ、要するにオーストラリア南岸だ。
そこで聖域に対抗する不穏な動きがあるとか、何とかの壺が見付かったとか 消えたとか、出張の はっきりした目的は 俺には教えてもらえなかったけど、とにかく何かの調査のため。

けど、それはカミュの出張理由で、俺に何かしろって命令が聖域から あったわけじゃない。
俺自身は まだ聖闘士でも何でもないガキにすぎないんだから、それは当たりまえのことで、ほんとは俺がカミュと一緒に行く必要なんかなかったんだ。
もしかしたら、カミュは、俺がマーマの沈んでる東シベリアの灰色の海ばっかり見てるから、それをやめさせようとして、俺を南氷洋に連れて行くことにしたのだったかもしれない。

南氷洋――“南の氷の大海”って言ったって、南極より オーストラリアに近い場所。
カミュが俺を連れて向かったのは、ここがリゾート地でなかったら、コート・ダジュールだってマイアミだって ただの漁村だって言いたくなるようなリゾートリゾートした島だった(コート・ダジュールやマイアミが どんなところなのか、俺は知らないけど)。
島とその周辺の風景の どこを どう切り取っても絵はがきの図柄に使えそうな、青い海、青い空、白い浜、白い雲。
観光ルートに入ってない小さな島で、ホテルもなくて、島の人口は20人足らず。
自然保護区に入っているとかで、世界中の大学や調査機関の研究者や調査員たちが入れ替わり立ち替わりやってくるから、島には常時100人くらいの人間がいるらしい。
ホテルはなかったけど、そういう客たちのための宿舎はあった。

カミュは、ノヴォシビルスク大学で人間環境学を研究している研究員っていう触れ込みで、その中に紛れ込んだ。
自然環境が子供の発達に及ぼす影響を調査するとか何とか理由をつけて、ほんとは子供の上陸が許されていないらしい島に、ちゃっかり俺まで上陸させた。
俺は、発達障害のある子供っていう設定。
失礼な話だ。
おかげで、島にいる他の大人たちに愛想を振りまかずに済んだんで、俺には その設定は有難かったけどな。

そういうわけで、島にいる子供は俺一人。
そのせいか、俺みたいに可愛げのない子供に、大人たちは みんな親切だった。
設定が設定だったし、親切な大人なんて、俺には不気味なだけの存在だったから、俺自身は 大人たちの干渉を避けて、一人で浜に出てることが多かったけど。
ちなみに、カミュは、島に着くなり、自分の仕事に取りかかって、俺のことは放っぽってた。
俺には教えられない任務みたいで(当たり前か)、カミュが何を調査してるのか、俺は全然 知らない。

初めての南半球。
シベリアの海とは、全然 表情の違う青い海。
暖かい土地じゃ、人は凍えて死ぬことはない。
穀物や野菜や果樹は、放っといても育つから、飢える心配もない。
だから、南方の人間は、北方の人間より のんびりしてるっていうか、緊張を維持できない体質なんだと思う。
この俺でも、青くて軟弱なリゾートっぽい海や空を眺めてるうちに、頭がぼやーんとしてくることが多かった。
カミュが発達障害児の対処療法研究のために 俺をここに連れてきたっていう触れ込みも、完全に作り話じゃないのかもしれないって、俺は思うようになってた
まあ、俺を一人 シベリアに残して出張に出ると、カミュの監視がないのをいいことに、俺がマーマのところに行こうとして無茶をするかもしれないから、そんなことをさせないため――っていう理由もあったんだろうけど。


カミュは『諦めろ』と言う。
でも、瞬は逆。
『氷河は いつか マーマに会いに行くんだね。そして、マーマに『ありがとう』って言うんだね。強い聖闘士になった氷河に会ったら、氷河のマーマも嬉しいと思う』
瞬はそう言う――そう言ってくれた。

正しいのは、多分、カミュの方。
でも、俺が好きで、嬉しくて、頑張れるのは瞬の言葉の方。
正しいことより、好きなことの方を選んじゃいけないんだろうか。
島に来てからずっと、甘ったるい青い海を眺めながら、俺は そんなことを考えてた。






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