正義の正体






「君には最強の聖闘士になってもらう」
彼は、瞬に そう言った。
「青銅聖闘士、白銀聖闘士、黄金聖闘士を問わず、全聖闘士の中で最強の聖闘士になる。それが 君に課せられた至上義務なのだ」
と。

「は……?」
アフロディーテが何を言っているのか、瞬には全く理解できなかったのである。
完全に、完璧に、まるっきり、一から十まで、徹頭徹尾、心の底から、理解できなかった。
一度目は双魚宮。
二度目は嘆きの壁。
既に二度は 死んだはずの男が、ギリシャ聖域の晴れた日の午後、彼が生前 守護していた宮の薔薇園の前に立っている。
死んだはずの人間が生き返ったという事実に関しては――瞬は、とうの昔に 驚くことも理解することも放棄していた。
が、『君には最強の聖闘士になってもらう』というアフロディーテの言葉は、その意味を理解して、適切に対処しなければならないこと(のはず)である。

痩せても枯れても、生きていても死んでいても、相手は黄金聖闘士。
その要求を無視するのは失礼というものだろう。
それが地上の平和や人類の存亡にかかわらないという条件付きで、瞬は長幼の序を重んじる人間だった。
青銅聖闘士が黄金聖闘士の意向を無視することは、もちろん大変な失礼である。
瞬は そう考えた。
瞬は そう考える人間だった。
だが、理解できない。
瞬は首をかしげて、アフロディーテの説明を待ったのである。
ヒマワリの種を両手を抱えたハムスターのように可愛らしく、やわらかな春の微風に揺れているヒナギクの花のように清らかな風情で。

時には邪悪の徒の命を奪うことで地上の平和をまもるアテナの聖闘士とも思えない 瞬の その様子が不快に感じられたのか、アフロディーテは いらいらしたように手近にあった薔薇の茎を握りしめた。
もしかしたら、棘の痛みで、自らの苛立ちを抑えるために。
アフロディーテの機嫌が悪いらしいことは わかるのだが、どうすれば機嫌を直してもらえるのかが わからない。
怒れるアフロディーテの前で、瞬は身体を縮こまらせたのである。
自らの苛立ちを消し去れていないような低い声で、アフロディーテは瞬への説明を始めた。

「君は私を倒したのだ」
「す……すみません……」
「そこで謝るな! 君には、もっと毅然と――いや、傲然と威張っていてもらわなくては困るのだ!」
『傲然と』『威張る』
それらは、瞬の辞書には載っていない言葉だった。
アフロディーテは その辞書を改訂させたいらしい。
だが、なぜ。何のために。
その単語の載っていない辞書に、これまで ただの一度も不便を感じたことのなかった瞬には、アフロディーテの意図が、やはり どうしても わからなかった。

「い……威張る……?」
「そうとも。君には威張る権利も資格も理由もある。君は、神であるハーデスにも その実力を認められているのだ。自信を持て」
「実力……って……」
瞬は、自分が その戦闘力を見込まれて ハーデスに利用されかけたのではないことを知っていた。
たとえ そうだったのだとしても、ハーデスに操られ 地上世界に害を為そうとしたことは、聖域のみならず、世界中の すべての人に謝罪しても謝罪しきれないこと。
威張っていいようなことではない。

「いえ、あの、僕は――微力ながら、地上の平和を守るために努めたいと、それだけで……」
アフロディーテの発言の意味も、アフロディーテの不機嫌の理由もわからない。
ただ 彼がアンドロメダ座の聖闘士の生きる姿勢に変革を求めているらしいことだけは感じ取れたので――瞬は、これからも一層 聖闘士としての務めに励むつもりでいることを、ごく控えめな態度と口調で、アフロディーテに告げたのである。
“威張る”の反意語は“へりくだる”。
アフロディーテは、黄金聖闘士の命令に 真っ向から逆らってきた瞬に ますます憤りが募ったようで、更に両の眉を吊り上げた。

「おどおどと怯えているような、その卑屈な態度をどうにかしたまえ! 君は私を倒したのだ。私を倒した者は、青銅聖闘士、白銀聖闘士、黄金聖闘士を問わず、全聖闘士の中で最強の聖闘士でいてもらわなくては困る。君の評価が低いと、その君に負けた私の評価は更に低いものになるのだ。そんなことは、私の誇りが許さない。君には どうあっても最強の聖闘士になってもらうぞ!」
『そんな無茶を言わないでください』と、(ごく控えめに)魚座の黄金聖闘士の無謀を言い立てることすら許されないような空気。
アフロディーテが、アンドロメダ座の聖闘士に 最強の聖闘士になることを要求する事情はわかったが、瞬には それは間違った考えであるように思われた。
地球が 人口100人の村だったなら、99人までが瞬の判断に賛同したことだろう。

しかし、アフロディーテは、瞬の考えも 瞬の意思も、99パーセントの人類の判断も 考慮するつもりがないらしい。
彼は 彼の目的を実現するために、瞬の同意を得ずに 速やかに、彼のしたいことを実行に移し始めた。
「まず、ちょっと突かれたら『ごめんなさい』と叫んで逃げだしそうな、そのおどおどした 態度を、本日ただ今をもって 永久に放棄したまえ。そして、威張る特訓を始めよう」
「威張る特訓?」
いったい それは何なのか。
瞬の論理では、“最強の聖闘士であること”と“威張ること”は、その間に いかなる相関関係もない、完全に別の事柄だった。
が、アフロディーテの論理では、“最強の聖闘士”と“威張ること”は全く同じもの、“最強の聖闘士”は“威張っている”ものであるらしい。






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