「大事なのは、自分は強者なのだという印象を 人に与えることだ。自分は 誰よりも強く正しく、間違いなど犯したことのない完璧な人間だというイメージを構築する。人に そう思わせ、自分自身も そうなのだと信じる。自他 両方のイメージが、その人間の精神を作るのだ。人に強者だと思われ、自分でも自分を強者なのだと信じる人間の精神は、強者のそれになる。実力は、イメージのあとから ついてくる。とにかく、自分は最強だというイメージを 自分の内外に構築するのだ」
「あ、じゃあ、実際に最強になる必要はないんですか?」
「実力は あとから ついてくると言っただけだ。もちろん、君には最強の聖闘士になってもらう」
「はあ……」

イメージが人間の精神を作るという考えは、100パーセント間違った考えではないかもしれない。
肩書が その人間の人格に影響を及ぼすということは、大いに あり得ることだろう。
しかし、聖闘士の世界で、イメージ先行が許されていいのだろうか――許されるのだろうか。
聖闘士の世界は、“まず実力ありき”ではないのか。
アフロディーテの理屈に ついていけない。
アフロディーテの理屈に ついていけてしまっていいのかとさえ思う。

だが、そんな瞬の疑念と不安を完全無視で、アフロディーテは 彼の理屈と信念に基づき、“威張る特訓”の講義を猛然と――疾風怒濤の勢いで、進めていくのだ。
「人に弱みを見せてはいかん。何かミスを犯しても、そのミスを認めず、巧みに言い繕う。自分は 常に正しく強いのだという態度を、どんな状況にあっても崩してはならない」
「自分のミスを認めないなんて、いくら何でも、それは卑劣なのでは……」
「卑劣なものか。上に立つ者がミスを犯すと、その下についている者に迷いを生じさせることになる。完全無欠のポーズは、人の上に立つ者の思い遣りなのだ」

だしとても、ミスはミス、誤りは誤り、過ちは過ちだろう。
誤りを認めずにいるということは、つまり、その誤りを正す機会を持てないということ
強烈なリーダーシップを発揮して 他者に迷いを生じさせないことの有益が、誤りを正さないことの不利益を補って余りあるものだとは 思えない。
誤りの土台の上に どれほど立派なビルを建てても、そのビルは いずれ 崩れ落ちてしまうのだ。
何より 瞬は、人の上に立ちたいという望みを抱いたことが、これまで一度もなかった。

「主人公に敗北した途端、主人公の味方になりザコキャラ化していく、少年漫画のライバルキャラの王道など辿ってはならん。我々の歩む道は、敗者の王道ではなく勝利者の覇道なのだ」
「いえ、僕は そんな道を歩むつもりは……」
最初から主人公側にいた瞬には、それは関係のない話。
負けてザコキャラ化しないライバルキャラと お友だちになりたいのなら、アフロディーテには兄を紹介してもいい。
瞬自身は、アフロディーテの提唱する勝利者の覇道など歩みたくなかった。

「あの……もしよかったら、僕の兄を紹介しますが……」
恐る恐る、瞬はアフロディーテに提案してみたのである。
兄ならアフロディーテの期待に沿うことができるような気がしたから。
瞬の提案は、だが 残念なことに、“威張る特訓”の教材をアフロディーテに提供しただけだった。
「そう。君にはフェニックスという、偉そうな態度では人後に落ちない手本があったな。あれも、一つの威張りの手法だ。登場時、高笑いから入る。それだけで、敵は かなり ビビるはずだ」
「……」

この場合の“敵”とは、いったい誰なのだろう。
そこからして、瞬には わからなかった。
「もう一つの代表的手法は、沈黙から入るパターンだ。最初の5分間 沈黙を維持し、相手に言いたいことを言わせてから、フッと鼻で笑う。間違っても『こんにちは』とか『はじめまして』などという、無意味な挨拶から入ってはならない」

「挨拶が無意味ということはないでしょう。初めて会った人には まず挨拶と自己紹介をしないと、相手の人を不快にして、うまくコミュニケーションをとることができないのでは……」
「そんなことを気にする必要はない。強者は他者とのコミュニケーションなど必要としないのだ。強者は、ただ命令し、ただ主張する。それ以外のことをしてはならない。強者が強者らしく振舞わなければ、哀れな弱者は迷うだけだ。弱者は結局 強者に従うことになるのだから、迷う時間は無意味で無駄だろう」
人が迷う時間を無意味で無駄だと断じるアフロディーテ。
つまり彼は、弱者には自分で考え判断することをさせるべきではないと言っている。
それは、瞬には全く理解できない理屈だった。
アフロディーテ自身、最強の人間ではないというのに。
アテナの聖闘士は、戦う術と力を持たない人々を守るために戦う者であり、そのために存在するものだというのに。

「『ごめんなさい』『すみません』も禁句だ。日本人は、自分に非がないことでも、口癖のように『すみません』という言葉を口にするそうではないか。そんな礼儀は、命のやりとりをする戦場では通用しない」
「それは そうかもしれませんが、その『すみません』は『私が悪かった』という意味ではなく、『あなたは大丈夫ですか』と、相手の人を気遣っている言葉なんです。それは、相手の人との間の空気を円滑に保って、その場を戦場にしないための知恵なんです」
という瞬の説明を、もちろんアフロディーテは聞いていなかった。

「たとえば、私は、アテナの強さを正確に見極めることができずに 君と戦い、敗れたわけだが、そこで『ごめんなさい』を言うようでは、黄金聖闘士としては素人。適切な詭弁を弄して 自分の非をなかったことにし、逆に、私を倒した君を 私が許してやる――という状況を作り出すくらいのことができて初めて、黄金聖闘士らしい黄金聖闘士と言える。それが 黄金聖闘士として正しい対応なのだ」
「適切な詭弁なんてものがあるんですか? そんな理屈の通らないことは、認められないと思いますけど……」
決してアフロディーテに『ごめんなさい』を言ってもらいたいわけではない。
師の霊には詫びてもらいたいと思うが、そう思うのも瞬であって、アルビオレ自身ではない。
アルビオレ自身は アフロディーテの『ごめんなさい』など求めることなく、アフロディーテが地上の平和とアテナのために力を尽くしてくれればそれでいいと考えるだろう。
瞬自身、自分がアフロディーテを倒したのは、アフロディーテではなく自分に力が足りなかったからだと思っていた。
詫びはいらない。
しかし、それは、アルビオレの場合、自分の場合であって、万人がそう考えるとは限らない。
万人は そう考えないだろう。

「そうだ。理屈が通らない。だが、その理屈の通らないことを 詭弁と迫力で通すのが黄金聖闘士なのだ。サガが、デスマスクが、カミュが、シュラが、生き返ってきた時、『ごめんなさい』を言ったか? アテナに敵対したことを『申し訳ありませんでした』と謝った者が一人でもいたか? 君たちに拳を向けたことを『すみませんでした』と詫びた者がいたか? いないはずだ。それも当然。人に『ごめんなさい』を言うような男は、黄金聖闘士にはなれない」
瞬が 一瞬 呆けたのは、アフロディーテの言葉が紛れもない事実だったから。
黄金聖闘士の口から『ごめんなさい』という言葉が発せられる場面に、瞬は居合わせたことがなかった。
サガが、自らの命で自らの罪を贖った事実があったので、自分は、黄金聖闘士たちを 率直に己れの罪を認める潔い人たちなのだと思い込んでいたのかもしれない――と、瞬は 今更ながらに 今更ながらなことを思ったのである。
ともあれ、もし黄金聖闘士が 誤りを犯しても『ごめんなさい』を言わない人種だというのなら、瞬はそんなものには絶対になりたくなかった。

「僕は、黄金聖闘士になりたいわけではありませんから、そんなことはしなくても――」
「なりたくないのなら、黄金聖闘士にはならなくてもいい。だが、最強の聖闘士にはなってもらうぞ。私の名誉のために」
「……」
青銅聖闘士に負けた弱者と言われるのが不本意なら、自身が強くなって、汚名を返上すればいいではないか。
自分を倒した相手の地位を高めて、自分の面目を保とうとするのは、どう考えても真っ当なやり方ではない。
王道でないどころか、覇道でもない。無論、正道でもない。
それこそ邪道である。

もともと『力こそ正義』『強い者こそ正義』という考えには賛同できなかったが、瞬は今 『力こそ正義』『強い者こそ正義』という考えの無意味を知った思いがした。
力とは、人間の戦いにおける強さや弱さというものは、相対的なものであり、絶対的なものではないのだ。
しかし“正義”は違う。
“正義”は、複数の異なった正義が並列することはあっても、あちらの正義より こちらの正義の方が強い(もしくは、弱い)ということはない。
――と、アフロディーテに訴えても、自分の面目体面を守ることに汲々としているアフロディーテは聞く耳を持っていなさそうである。
彼を倒すことでしか問題の解決を図れなかった自身の未熟と力不足を思うと、アフロディーテの考えを強く糾弾することもできない。
その負い目があるせいで、今のアンドロメダ座の聖闘士は、今の魚座の黄金聖闘士に対しては、“相対的に”弱者だった。

瞬からの反論がないので(あっても無視したろうが)、アフロディーテは どんどん彼の話を進めていく。
その様は、まさに“主張し命令することしかしない黄金聖闘士”の姿そのものだった。
「とにかく、君には全聖闘士最強の称号を手に入れてもらう。とはいえ、聖闘士全員と戦うのは時間の無駄だし、それは ほぼ不可能。まあ、サガとシャカあたりと戦って勝てば、それでいいだろう」
「どうして その二人なんです」
「事実かどうかは疑わしいが、あの二人は、黄金聖闘士の中では最強レベルと思われているらしいからな。あの二人を倒せば、君は聖闘士最強という評価を得られるだろう。事実 最強なのかどうかということは考えなくていい。世間に最強と思われれば、それでいいのだ。現時点で、サガとシャカは、“最強”のイメージ戦略に最も成功している黄金聖闘士と言っていいだろう。君も見習いたまえ」
『見習いたくありません』と口答えすることは、アフロディーテに負い目を抱えている瞬には、もちろん できない。

「アテナへの反逆の首魁であったにもかかわらず、いつのまにか ちゃっかりアテナ陣営。それも、何気にリーダー格。あの厚顔ぶりは実に素晴らしい。サガこそ黄金聖闘士の鑑だ」
自らをアテナに反逆する道に引き入れたサガを、アフロディーテは大絶賛。
彼には、サガを責める気も恨む気もないようだった。

全聖闘士最強の者は誰なのか、『事実はどうでもいい』と、あっさり言い切るアフロディーテ。
『世間に最強と思われれば、それでいい』と、きっぱり確言するアフロディーテ。
自らの道を誤らせたサガを恨む気配すらなく、『黄金聖闘士らしい振舞いをしている』という理由で是とするアフロディーテ。
もしかしたら彼は 恐ろしく潔い男なのかもしれないと、半分は自棄、半分は本気で、瞬は思ったのである。






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