『その時には、お二人を倒さなければならなくなりますが……。でも、僕に そんなことはさせないでくださいね。そんなことになったら、僕、どうすればいいのか……』
じわりと瞳を涙で潤ませて切なげに身悶えながら、あっさりと言ってくれたアンドロメダ座の聖闘士。
瞬の得体の知れなさが気になって 収まりがつかなかったサガは、瞬の仲間たちに 瞬の実力を確認してみることにしたのである。

折しも、その日は、月に一度の社会貢献活動の日。
瞬の仲間たちは、日本から空輸した竹ボウキで十二宮の階段を掃除中。
サガはシャカと共に、人馬宮と磨羯宮の間の階段付近で奉仕活動に いそしんでいた星矢たちの許に向かったのである。
ちなみに、一輝は いつも通りにサボリ。
瞬が階段掃除を免除されているのは、『ネビュラストリームで一気に階段掃除を行なうのは、社会貢献活動とも奉仕活動とも言えない』というアテナの判断によるものだった。

「アンドロメダの実力は、実際のところ、どの程度なのだ? アフロディーテを倒したという事実だけでは、その力のレベルを見極めることは難しい」
サガは、何気に かつての反逆仲間に対して ひどいことを言っている。
それを“ひどい”と指摘しないシャカや 瞬の仲間たちも、かなり ひどい人間なのかもしれなかった。
その場に集った者たちが 事実“ひどい”人間なのかどうかという判断は さておいて、サガのひどい発言を あっさりスルーした星矢の答えは、
「瞬の実力? 本気で怒らせさえしなきゃ、瞬は誰より優しい奴だぜ。大人しくて控えめだし、無類のお人好しだし。瞬の前で、非力な一般人や 瞬の仲間である俺たちを傷付けたり いじめたり、世界を滅ぼそうとしたりさえしなきゃ、瞬は どんな奴にも親切で優しい。困ってる奴は 骨身を惜しまず助けてくれるし、ほんと、いい奴だぜ」
というものだった。

自分の質問に不備があったことに気付いたサガが、質問の仕方を変える。
「私が知りたいのは、アンドロメダが優しくない時のことだ。アンドロメダを本気で怒らせると どうなるのだ?」
落葉の季節なら、落ち葉を集めて焼き芋を焼くこともできるが、春から夏にかけて聖域の階段に落ちているのは、どこからか飛んできたハゴロモジャスミンやアカンサスの枯れ花だけ。
星矢が竹ボウキで あちこちに飛ばした それらを、紫龍が律儀に掻き集めている。
星矢は、自分が 掃除という作業とは真逆のことをしている事実を認識していないようだった。

「俺、そんな命知らずなこと しないからなー。何事も 命あっての物種だろ。瞬を本気で怒らせて、地上世界どころか 宇宙が消滅したりしたら、アテナに怒られるに決まってるし」
宇宙が消滅したら、アテナに怒られる以前に星矢自身が死んでいるだろう。
星矢は冗談を言っているのか、それとも 真面目に言っているのか。
それが“いいサガ”には わからなかったのだが、これは彼が“悪いサガ”であっても わからないことだったろう。

「アンドロメダは宇宙を消滅させるほどの力を持っているというのか」
「だから、瞬は、優しい奴だし、命の大切さも知ってるから、そんなことしないって。安心してていいよ」
星矢の それが冗談ではなく真面目な発言だったとしても、それではアンドロメダ座の聖闘士の実力はわからない。
弱いのか強いのかすら わからない。
要領を得ない星矢の答えに、サガは少々 苛立ち始めていた。
サガの苛立ちを感じ取ったのか、星矢が 竹ボウキで枯れ花を撒き散らすのをやめ、サガの方に向き直る。

「んー……。まあ、どうしても仲間内で誰かと戦わなきゃならないことになったら、俺は瞬だけは避けるかなあ」
「それは もちろん、俺も瞬とだけは戦いたくない」
星矢に今日の清掃活動を完遂させることを ついに諦めたらしい紫龍が、初めて 会話に参加してくる。
竹ボウキを振り回しながら、星矢は仲間の言葉に頷いた。
「一輝も、ここで倒さなきゃ 地上が滅びるって時に、ハーデスに支配されてた最愛の弟を倒せなかっただろ。瞬は、敵としては最悪の敵なんだよ」
「うむ。私も その話は聞いている」
瞬の実力が どれほどのものであるのかは わからないが、青銅聖闘士たちにとって 瞬は、最強でなかったとしても最悪の敵ではあるらしい。

アンドロメダ座の聖闘士は、あの一輝が倒せない相手。
そして、サガは、瞬同様 さほど強そうには見えないのに なぜか必ず勝利する星矢の得体のしれない強さを知っていた。
その星矢が、瞬とだけは戦いたくないと断言するアンドロメダ座の聖闘士が ただ者であるはずがないとも思う。
しかしながら、『得体がしれない』『ただ者ではなさそう』だけでは、その評価には客観性というものが全くないではないか。

日清戦争以前、欧米諸国は、清朝中国を“眠れる獅子”と呼んで恐れていた。
広大な国土、豊富な資源、桁外れの人口と経済力を有する世界屈指の大国。
実力は謎に包まれていたが、それこそ本気になれば どの国も太刀打ちできないだろうと、誰もが考えていたのである。
だが、アジアの小国 日本に、巨大な獅子は あっけなく敗れ、以後 西欧諸国の中国侵略は激化の一途を辿ることになった。
イメージと実力は、時に 呆れるほど かけ離れているものなのだ。
『得体がしれない』『ただ者ではなさそう』だけで、アンドロメダ座の聖闘士を“強い”と判断することはできない。
それでいったら、あのアフロディーテとて、瞬と戦い敗北を喫するまでは 負けることを知らない聖闘士だったのだ。

「アンドロメダと実際に戦ったことのある者はいないのか」
実際に瞬と拳を交えたことのある者の話を聞かなければ 瞬の実力はわからない。
そう考えて問うたサガへの答えは、
「瞬と戦った奴は、みんな死んでるからなー」
という、戦慄すべきものだった。
「邪武がいるじゃないか」
「邪武は、別に地上の平和を乱そうとしてたわけじゃないし、瞬だって、ゲームで人を殺すわけにはいかなかったんだろ。それ以前に、邪武じゃあ、瞬の敵としては役不足もいいとこだ」
星矢は“役不足”を誤用している。
この場合、正しくは“力量不足”と言うべきだろう。
ともあれ、紫龍の指摘に、星矢は平然と そう応じた。

「……」
サガは、自分の喉に何かが詰まったような、実に微妙な気持ちになったのである。
それが、優しくて人のいいアンドロメダ座の聖闘士の所業だというのなら、“優しい”“人のいい”の意味が、青銅版の辞書と黄金版の辞書では 全く異なっているのだ。
そんな物騒な会話を 笑顔で和やかに交わしていられる星矢たちとて、十分に得体がしれない。
サガは、今の星矢たちの会話は聞かなかったことにしたのである。
そして、サガは、即座に この場を去ることに決めた。
この得体のしれない青少年たちなら、黄金聖闘士としても立派にやっていける。
自分の病み具合いを自覚できていないあたりは、黄金聖闘士の伝統芸。
その芸を、彼等は既に体得している。
もはや この地上世界には いかなる憂いもない。
――という逃亡の言い訳を用意して、サガが不気味な青銅聖闘士たちに背を向けようとした時だった。

「俺はあるぞ。瞬と手合わせしたことが」
という、妙に得意げな響きの声が サガの耳に飛び込んできたのは。
キグナス氷河の その声が、サガを引きとめた。






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