「アンドロメダと手合わせしたことがある? では、おまえはアンドロメダの実力がどれほどのものなのかを知っているのか」 「無論だ」 「そけは どれほどのものなのだ?」 戦った者は ことごとく命を落とすアンドロメダ座の聖闘士。 そのアンドロメダ座の聖闘士と手合わせをしたことがあるという白鳥座の聖闘士。 彼は、アンドロメダ座の聖闘士同様、黄金聖闘士の命を一つ奪った男である。 それも、自らを聖闘士に育てあげてくれた師の命を。 彼もまた心のどこかを病んでいるのか、氷河は、この場面で自分の顔に満面の笑みを貼りつけていた。 そして、氷河は 楽しそうに瞬の実力を語り始めた。 「瞬の実力は、まさに神の域に達していると言っていいだろう。瞬は、奇跡のように素晴らしい力の持ち主だ。瞬は優しくて、控えめで、大人しくて、可愛くて、しなやかで力強く、俺の望みは 何でも、俺が望む以上に叶えてくれる。瞬が俺の期待を裏切ったことは 一度もない。夕べも、俺が――」 「キグナス、黙れ! そんなことは どうでもよい!」 突然、かすれ 上擦った声で、シャカが氷河の報告を鋭く遮る。 「サガは、瞬の戦闘力がどれほどのものであるのかを知りたいのだ! おまえの寝言はどうでもよい!」 キグナスはアンドロメダの戦闘力について語っていたのではないのか――と、サガは訝ったのだが、氷河はシャカの諌止に そういう反論はしなかった。 とはいえ、発言の腰を折られたことは不愉快だったらしく、彼は、その眉を僅かにひそめた――僅かに眉を ひそめることだけはした。 「瞬は 人を傷付けるのが嫌いだし、命の大切さを知っている。アブラムシ1匹 殺せない」 「アフロディーテは、アンドロメダにとっては、アブラムシ以下なのか?」 サガが ぼそりと尋ねると、 「薔薇の命を奪おうとするアブラムシは、天使のように優しい瞬でも退治するさ」 氷河も ぼそりと応じてきた。 そうしてから また気を取り直したように、顎をしゃくる。 「だが、瞬は優しく寛大だから、自分が乱暴にされたり 焦らされたりしても、よほどのことがない限り、許してくれる。健気に耐える様が可愛くて いじらしくて、俺は ますます そそられてしまうんだ」 シャカが、今度は氷河の言葉を遮らなかったのは、氷河が自分の語りたいことは どんな妨害があっても語る男だという事実を思い出したからだったのか、あるいは、サガが氷河の発言の意味を全く理解できていないことに気付いたからだったのか。 ろくでもないことを語っている氷河が ほぼ無表情なので、サガは、白鳥座の聖闘士が何を言っているか わかっていないらしい。 やにさがり緩んだ顔で 氷河が それを語っていたら、白鳥座の聖闘士は ただのろけたいだけなのだということがサガにもわかってたかもしれないが、氷河は それを ほぼ無表情で語っていたのだ。 通常営業の氷河と、氷河が何を言っているのかが わかっていない“いいサガ”と、こめかみを引きつらせているシャカ。 絶妙の不協和音を奏でている三者の仲介役――むしろ、通訳――は、星矢と紫龍の仕事だった。 「だからさ、瞬は寛大すぎて、お人好しすぎて、瞬を一時的にでも本気にさせるのは難しいんだよ。筋金入りの悪党でないと。現に、瞬の奴、今はアフロディーテの無茶に 真面目に付き合ってやってるんだろ。放っときゃいいのに、ほんと、人がいいんだから」 「うむ。瞬を本気で怒らせることのできる者は、尋常でない悪党の才能か、通常では考えられないほど 卑劣の才能に恵まれている者と言えるだろうな。なにしろ 瞬は、この氷河の振舞いを笑顔で許してしまうほど寛大な人間なんだ。あの瞬を一時的にとはいえ本気にさせたのだから、アフロディーテは余人が持っていない才能を持っている男――と言えるかもしれない」 「あ、そういう意味じゃ、俺、アフロディーテを 滅茶苦茶 尊敬してるぜ。アフロディーテは、『力こそ正義』の信念を貫いて、あの瞬に真正面から立ち向かっていったんだろ。この世に 人として生まれ落ちたからには、瞬とアテナだけは敵にまわさないでいた方がいいに決まってるのに。ほんと、俺には 死んでも真似できない無茶振りだぜ」 「『男には 負けるとわかっていても戦わなければならない時がある』と福沢諭吉が言っている。アフロディーテが福沢諭吉を知っていたとは思えんが、魚座の黄金聖闘士は美の探究者なんだろう? 負けるとわかっている瞬との勝負に、アフロディーテが挑んでいったのは、滅びの美学を追及しようとしたのかもしれん」 「『力こそ正義』『強い奴が正義』を信念にしてる奴が 滅びの美学なんか追及するわけないじゃん。瞬の力を見くびってただけだろ。つーか、自分の実力も正しく把握できてない素人だったんだよ、アフロディーテは」 「……せっかく明言を避けていたのに……」 『滅茶苦茶 尊敬している』と言った舌の根も乾かないうちに、素人呼ばわり。 青銅聖闘士の分際で、黄金聖闘士に対して言いたいことを言ってくれるものだと思いはしたが、それが事実だったので、サガは 生意気な青銅聖闘士たちに何も言うことができなかったのである。 “勝ち”に“不思議の勝ち”はあっても、“負け”に“不思議の負け”はない。 敗者は、常に負けるべくして負けるもの。 アフロディーテも、負けるべくして、瞬に負けたのだ。おそらく。 ――というように、明確になったのはアフロディーテの敗因だけで、瞬の実力がどれほどのものなのかは、相変わらず 謎に包まれたまま。 だが、そんなサガにも、地上の平和を守るためには 瞬を本気にさせるべきではないと、それだけはわかった――感じ取れたのである。 得体のしれない力を持つ青銅聖闘士たちが、『最も戦いたくない相手』と 口を揃えるアンドロメダ座の聖闘士。 そのアンドロメダ座の聖闘士を恒常的に本気にさせないことこそが、地上の平和を守ることなのだろう。 そう、サガは思った。 そのアンドロメダ座の聖闘士は今、『最強の聖闘士になれ』というアフロディーテの命令に難渋している。追い詰められている。 人の好いアンドロメダは、自分が倒した黄金聖闘士の顔を立てるために我慢するだろう。 我慢して、我慢して、忍耐の限界を超えた時、アンドロメダ座の聖闘士はどうなるのか。 追い詰められたアンドロメダ座の聖闘士が忍耐の臨界点を超え 爆発してしまったら、この地上世界はどうなるのか。 アンドロメダ座の聖闘士は、窮鼠ではないのだ。 アンドロメダ座の聖闘士を追い詰めるのは危険。 それが、サガが辿り着いた結論だった。 そして、サガは――“いいサガ”に生まれ変わったサガは――何としても 地上の平和を守らなければならなかったのである。 アフロディーテが アンドロメダ座の聖闘士を追い詰めることのないよう、彼は 何としても アフロディーテを止めなければならなかった。 地上の平和を守るために――サガは、アフロディーテの守護する宮に向かったのである。 地上の平和を守るために、アフロディーテがこれ以上 無謀な真似をするのを阻止するために。 |