ディミトリオス・ジシス青年の母君は、 「このたびは、愚息が とんだ ご迷惑をおかけして――」 と幾度も詫びながら、城戸邸の厨房に女王のように君臨し、ムサカと特製ケフテデスを どっさり作ったらしい。 そして、彼は、ママの手料理を食べて、本当に記憶を取り戻したらしい。 常人の一食の3倍の量のムサカとケフテデスを、ものも言わずに がつがつと途轍もない勢いで平らげ、満腹した彼は、 「ママの料理は最高だよ!」 と雄叫んで、再び ママに頭を ぶっ叩かれた――のだそうだった。 氷河は、瞬が危険なストーカー男に会うことを断固として反対し、沙織も その方がいいだろうと言うので、瞬は、すべてが終わってから――2日後、記憶を取り戻した息子と彼の母親が 帰国のために空港に向かってから――母子の世話役を務めた星矢と紫龍から事の次第を聞くことになったのである。 ディミトリオス青年と その母君の説明をまとめると。 ディミトリオス青年は、ギリシャのナショナルチームのメンバー候補になるほどのバスケットボールプレイヤーであるらしい。 ところが、2ヶ月前、彼は祖国のナショナルチーム・メンバーの選に漏れたことを知らされた。 メンバー入りは確実と思っていただけに、選から漏れた落胆は大きく、やけになった彼は 練習もしなくなり、アテネの街をふらふらする日々を過ごすようになってしまったのだそうだった。 「金は ほとんど持ってなかったらしいんだけど、ガタイはいいし、顔もいい。口もうまいし、まあ、たらしの才能があったんだろうな。若い女の子の旅行者を掴まえて、観光ガイド 兼 ボディガードとして売り込んで、飯や酒を奢ってもらってたらしい。ほんとかどうかは知らないけど、当人は、挨拶レベルのキス以上のことはしてないって、そこのところは力説してた」 「ママがいたから、そう言うしかなかったのかもしれないが、全くの嘘とも思えなかったな。彼が 引っ掛ける旅行者のメインターゲットは中国や日本の女子だったらしいから。あの体格は、観光ガイド 兼 ボディガードとしてはよくても、アバンチュールの相手としては 危険と見なされたのかもしれん」 ギリシャは、海運業と観光業の国。 アテネの街は、犬が歩いて棒に当たる確率より高い確率で、通りを歩けば 史跡に出会う街である。 ディミトリオス青年が言うような その日暮らしは、十分に可能だろう。 その点に 疑念は抱かない。 瞬が不思議なのは、 「そんな人が どうして、僕を知ってたの。どうして僕の写真を持ってたの」 ということだった。 「それが傑作でさ!」 星矢が、一刻も早く その件について語りたいと言わんばかりに気負い込み、身を乗り出してくる。 「2ヶ月くらい前にさ、アクロポリスのエレクティオンだかプロピュライアだかで、日本人観光客の女の子たちが変な男たちに掴まって絡まれてたらしいんだな。で、逆走男は その子たちを自分が助けて、その子たちのガイドの座をゲットしようとして、様子を見守っていた。そしたら、そこに ちょうど おまえが来てさ、観光客に絡んできた男共を 目にもとまらぬ早業で、あっという間に倒しちまった。その時のおまえの雄々しい姿に ママの強さを見て、あの逆走男、すっかり おまえに心を奪われちまったんだと」 「は?」 雄々しい姿が 料理のうまいママの強さに重なる理屈が わからない。 「父親を早くに亡くして、女手一つで、たくましく育ててくれた最愛のママらしいから」 紫龍の補足説明が、ディミトリオス青年の最愛のママに重ねられてしまった仲間のためのフォローなのかどうかさえ、瞬には わからなかった。 「まあ、オイディプス王の例もある。ギリシャはマザコン発祥の地だ」 紫龍が、これは氷河に向かって言う。 『同じ病に罹っている者同士、腹を立てずに、相哀れめ』ということのようだった。 「ナショナルチームのメンバーに選ばれて、ママの自慢の息子になれると意気込んでたのに、その予定が狂って、にーちゃん、滅茶苦茶 落ち込んでたらしいぜ。自暴自棄になってたところに、最愛のママに重なる美少女 降臨。これは運命の恋だと、逆走にーちゃんは思い込んだわけだよ」 「彼は まだ 24歳らしい。バスケ選手としては、あと10年は現役でいられる。これから いくらでもチャンスはあるのに諦める気か! と、ママに どやされていた」 「逆走にーちゃん、自分より頭二つ分 背の低い母親に怒鳴られて、あの でかい図体をママより小さくしてた。まあ、許してやることだな」 「……」 最愛のママの自慢の息子になり損ねて自暴自棄になっていたと言われると、瞬としても同情心の方が先に立つ。 その上、最愛のママに叱られ、怒鳴られ、励まされて――そんな幸せな人を、瞬は責める気には なれなかった。 「そうだね……。そんなに素敵なお母さんに重ねられたのなら、僕は光栄に思わなきゃならないね」 「ママの横幅は、おまえの2倍くらいあったけどな。料理は確かに美味かった」 星矢のディミトリオス青年弁護は、彼のママの料理の美味しさに感じ入ってのことらしい。 瞬は、ディミトリオス青年の母君に免じて、ディミトリオス青年を許してやるしかなかった。 |