そうして、幼い瞬と手を繋いだ瞬と、幼い氷河の手を取る気もない氷河は、沙織の執務室のドアの前で ばったり出会ってしまったのである。 自分が どんなに氷河を好きだったか。 自分が どんなに瞬を好きだったか。 顔を会わせた途端、そのことを思い出して、自分たちが冷戦中だったことも忘れ、氷河と瞬は切ない気持ちになったのだった。 本来は過去に属する幼い二人に、彼等にとっては未来に当たる現在のことを詳しく語るわけにはいかない。 だから、現在に属する者たちは、幼い子供たちには 現在の詳細を ほとんど語らなかったのである。 幼いながら、その辺りのことは心得ているらしく、二人の子供は“語られない未来”に不満を覚えているような素振りは見せなかった。 というより、もしかしたら幼い二人は、そんなことより 自分たちが今 置かれている状況の方が 何よりも重大な問題だったのかもしれない。 「違うの。僕は、氷河のマーマのお話を聞くのは大好きなの。でも、氷河は、そのあとで必ず 寂しそうな顔をするから、氷河は マーマがいないことが寂しいんだろうって思ったたんだよ。だから、僕、氷河のマーマを生き返らせてもらおうって思ったの」 「違うんだ。俺は、おまえがマーマのこと憶えてないこと知ってるのに、ついマーマの話をして、おまえを悲しそうな顔にさせてしまう自分に腹を立ててたんだ。もうそんなことはしたくなかったんだ。だから、マーマのことを忘れてしまえば、おまえにマーマの話をして 悲しい思いをさせずに済むだろうって思ったんだ」 幼い二人を元の世界に戻してもらうために、大人の氷河と瞬が 二人の事情をアテナに説明するのを聞いて、子供たちは自分の誤解に気付いたらしい。 「そうだったんだ」 「そうだったの」 誤解が解けると、二人は 大人になった自分から離れて、あろうことかアテナの前で しっかりと互いの手を握り合うという暴挙に出た。 「おい。気持ちは わかるが、その手を離せ。アテナの前で“お手々 つないで”なんて、していいことと悪いことが――」 「して 悪いことではないわ」 沙織が、グラード財団総帥にふさわしく重々しい執務用デスクの席から、楽しそうに氷河を諫める。 それから彼女は、しっかり手を握り合っている二人を見て、 「大好きで大切な人の幸福を願う思いほど 強い力はないわね。その気持ちだけで、未来に飛ぶなんて」 と、言葉を続けた。 「え?」 「なに?」 いくら 大好きで大切な人の幸福を願っていても、神でもない二人が その心だけで 時を超えることなどできるはずがない。 この事象には、絶対に神の――おそらくは、アテナとクロノスの――力が働いている。 そう確信するがゆえの瞬の『え?』と 氷河の『なに?』を、アテナは華麗に無視した。 無視して、幼い二人の上に視線を移動させる。 「あなた方が ここにいることは、時の流れの法則に反することなので、私は あなた方 二人を 元の世界に送り返さなければなりません」 幼い二人の中では、もしかしなくても、今 彼等の目の前にいる女神アテナと“我儘な沙織お嬢様”が結びついていないようだった。 無理からぬことだと、その場にいる大人たち――幼くない者たちは、(沙織も含めて)思っていたのである。 幼い瞬の手を握りしめたまま、氷河が、 「俺と瞬は聖闘士になれるのか?」 という核心を突いた疑念を口にする。 沙織は、 「努力すればね」 と答え、微笑した。 「今のあなた方にとって、ここは、やがて 至るかもしれない未来の一つ。あなた方の未来が こうなるとは決まっていない。“ここ”は可能性の一つにすぎません。一つの夢の世界のようなものよ。聖闘士になれると たかをくくって 遊び呆けていたら、あなた方は絶対に聖闘士になることはできない。それは わかるわね?」 「じゃあ、俺は、真面目に努力すれば、こんな可愛げのない面の大人にならずに済むかもしれないんだ!」 幼い氷河が、未来の自分の(不出来な)一例に ちらりと一瞥をくれてから、実に可愛げのないことを言う。 その声音が、皮肉を言っている人間のそれではなく、自らの人生に希望を見い出した素直な子供のそれだったので、かえって氷河は機嫌を悪くした。 「あ……」 二人の氷河の様子を見た幼い瞬が、おそらく その場の険悪を霧散させようとして、沙織に確認を入れる。 「え……えと、じゃあ、僕たちは、ちょっと 不思議で幸せな夢を見たと思えばいいんですね」 「賢いこと。その通りよ」 「一晩 寝て起きれば、どうせ俺は大抵のことは 忘れてるぜ。瞬が可愛くて優しかったことは 忘れないけどな」 「自分にとって何が いちばん大切なのか、氷河は ちゃんとわかっているのね」 今 彼の目の前にいるアテナが“我儘な沙織お嬢様”と結びついているのか いないのか、幼い氷河はアテナに褒められて 得意げな顔になり、そして 畏れ多くも 彼はアテナが気に入ったようだった。 アテナはアテナで、幼い子供に気に入られたことが 存外 嬉しかったらしく、彼女は楽しそうな含み笑いを洩らした。 「小さな氷河、小さな瞬。では また、いつか会いましょう。クロノス」 アテナが、時の神の名を呼ぶ。 やはり、この現象はアテナとクロノスが仕組んだことだったらしい。 アテナとアテナの聖闘士たちの前から、しっかりと互いの手を握りしめ合っていた二人の姿が消える。 時の神は、速やかに 小さな二人を彼等の元の世界に送り返したようだった。 |