秩父氏の娘は、少々 野暮ったいところのある秩父氏とは かなり印象の違う若い女の子だった。
“女の子”といっても23、4歳。
立派に成人しているし、服装も化粧も年齢にふさわしいもので、特に幼い外見をしているわけではないのだが、視線に落ち着きがなく 頼りない。
大人の落ち着きが全く感じられず、そのため どうしても“女の子”としか表しようのない“女の子”だった。
前職を辞した後は 深夜のコンビニでバイトをしているということだったから、いつもは眠っている時間なのかもしれない。
いかにも“普通”で“真っ当な”暮らしを営んでいる人々が集う、日中の健全なティーラウンジの明るさに、彼女は気後れしているようだった。

瞬は もっと地味で垢抜けない女の子が現われるのだろうと思っていたのだが、内面は ともかく見た目は“普通の若い女の子”。
若さが作り出す可愛らしさも 備えている。
これから先は どうなるか わからないが、幼い頃の彼女は十分に可愛らしい少女だったろう。
秩父氏が、彼らしい不器用さで、どれほど娘を可愛がっていたか、瞬には容易に想像できた。
可愛い可愛い可愛い娘。
秩父氏は、それこそ たった一人の大切なお姫様を育てるような気持ちで、娘の成長を見守ってきたのだ。
おそらく、かなり不器用に。そして、かなり 野暮ったく。
瞬は、その様も、本当に容易に思い浮かべることができた。

氷河が どういう理由をつけて 秩父氏父娘を呼びだしたのかは知らないが、秩父氏の娘は、その場に歌舞伎町の超有名ホストクラブの新しいナンバーワンホストがいることに かなり驚いたようだった。
しかも、その金髪のナンバーワンホストの膝には、娘とおぼしき小さな女の子。
隣りの席には、娘(とおぼしき小さな女の子)に『マーマ』と呼ばれている妻(らしき人物)。
秩父氏父娘とは、もちろん三人共、今日が初対面である(秩父氏は氷河を記憶していなかった。それどころではなかったのだろう)。

秩父幸子は、氷河たち一家を見た大抵の人間が そうするように、まず 瞬たちに羨望の視線を投げてきた。
そして、氷河たち一家を見た大抵の人間が そうするように 目を細めて微笑むことをせず、今にも泣き出しそうな人間のように 眉を歪めることをした。
フロアの明るさに 場違い感を覚えているらしい父娘が、氷河たち親子を怪しみながら、席に着く。
二人を案内してきたスタッフが立ち去るのを待って、瞬は 掛けていた椅子から立ち、秩父氏父娘に頭を下げた。

「氷河がとんでもないことを してしまいました。申し訳ありません」
「あ……あの…… !? 」
ティーラウンジの客たちの目を引いていた華やかな親子連れ。
テーブルの空いている席には どんな人物がやってくるのかと 気にかけていたところに、華やかな親子とは対照的な父娘がやってきて、華やか組の一人が彼等に腰を折る。
その奇妙な光景が 人目を引かないはずがなく、ラウンジの客たちの注目に気付いた秩父氏父娘は かなり慌てたようだった。
慌てて――瞬に着席するよう、目と手で頼んでくる。
瞬は、落ち着かない様子の父娘のために、静かに席に着いた。

「わざわざ お運びいただいて、申し訳ありません。氷河が何をしているのか、つい先日まで、僕も知らされていなかったものですから。事情を知って、お二人に どうしても お詫びしなければならないと思い、この席を儲けさせていただきました。幸子さんには、全く事情が飲み込めていないこととは思いますが……」
「あ……え……あの……はい……」
全く事情が飲み込めていない娘の隣りで、その父親が、娘以上に 事情がわかっていない顔をしている。
瞬は、病院で患者に病状説明をする時のように、意識して穏やかな口調で、父娘に事の次第を説明した。

「本当に すみません。ある人が、あなたのお父様の苦境を知って、どうにかできないものかと氷河に相談してきたんです。氷河は、あなたのお父様が あなたを思う気持ちに打たれ、同じ 娘を持つ父親として すっかり腹を立ててしまい、その……問題のホストの方をナンバーワンの座から追い落とすことを考えたのだそうです」
瞬の説明を聞いた秩父氏の娘が ぽかんとした顔になり、その隣りで父親が首をかしげる。
娘が ぽかんとしているのは、ホストクラブのシステムを知っているからで、父親が首をかしげているのは、彼がホストクラブのシステムを知らないから。
しかし、二人は二人共、ホストクラブのナンバーワンという地位は、“追い落とそう”と考えて、実際に あっさり追い落としてしまえるようなものなのかと、同じことを同じように疑っているようだった。
事情を説明している瞬自身、『この氷河に、よく そんなことができたものだ』と『氷河なら、それくらいのことはできて当然』という、相反する二つの思いを抱えていたので、父娘の疑念は よくわかる。

「氷河は、何というか――これが正義と思ったら、周囲の迷惑を顧みず 一直線に突き進んでしまうところがあって……。ですが、氷河も、あなたのお父様も、あなたのお父様の窮状を氷河に相談してきた方も、あなたに良かれと思って 一生懸命だったことだけは――責めるなとは言いませんが、事実として認めてやってください。氷河にも娘がいるので、氷河は、あなたのお父様の心痛を 他人事と思えなかった。一ヶ月も 本来の仕事をさぼって、家族にも何も言わずにホストクラブ勤めなんて、もう本当に滅茶苦茶」
「は……」
「氷河のしたことは、とても独りよがりなことです。それでも、それは――氷河が氷河なりに、あなたと あなたのお父様のためになるだろうと思ってしたことなんです。その暴走が あなたを傷付けてしまった。本当にすみません」
「……こんな人が、どうして私なんかのために……」
「こんな人とは どんな人だ」

まるで反省の色を見せずに、氷河が ぼそりと呟く。
秩父氏の娘が 怯えて肩をびくりと震わせる様を見て、瞬は氷河を睨みつけた。
「パパ、パパ。ナターシャ、マロンのケーキが食べたいヨー」
鋭くマーマの意を酌んだナターシャが、パパを“恐そうな人”でなくすために、アフタヌーンティー用三段スタンドの上段にあるケーキをねだる。
すぐにナターシャ所望のケーキを皿に取り、娘にフォークを持たせてやる氷河を見て、秩父氏の娘は、氷河に対する恐さを半分くらいは忘れてくれたようだった。
娘の幼い頃を思い出したのか、ケーキを食べ始めたナターシャを見た秩父氏が目を細める。
そんな秩父氏に、瞬も微笑した。

「氷河が そんな無茶をしたのは――あなたが あなたのお父様に愛されている娘さんだからです。そして、氷河が娘を愛しているから。他に理由はありません」
「……」
瞬の言っていることの意味が わからない。
秩父氏の娘は そういう顔をした。
瞬が、ゆっくりと一度、瞬きをする。
「あのお店のホストだった方に、あなたは お姫様のように遇してもらっていたかもしれません。けれど、残酷なことを言ってしまいますが、それは彼にとっては あくまでも仕事の一環。そこに心までが伴っていたとは限りません。むしろ、心を殺していたから、彼は優秀なホストでいられたのでしょう。そういう意味でなら、氷河の方が ずっとあなたのことを思っていたと思います」

瞬の言葉を聞いているのかいないのか、氷河は、ナターシャがクリームを上手く すくえるように、ケーキの載った皿を手近に引き寄せ、いざという時のためにナプキンを手にしてスタンバイ状態。
これだけの気配りとサービス精神を、氷河は なぜ職場で発揮できないのだろう。
接客業従事者の業務態度も十人十色だと、氷河の氷河らしい振舞いを見て、瞬は思った。
それほどに――おそらく 娘というものは特別な存在なのだ。
世界中の父親にとって。

「彼は ホストという仕事に従事していた。自分の仕事を遂行していた。彼は 本心から あなたをお姫様のように大切に思っていたのではないと思います。でも、あなたのお父様にとって、あなたは いつだって、誰より大切なお姫様なんです。幾つになっても、どんなことになっても」

颯爽としているとは言い難い、武骨で不器用な ずんぐりむっくりの王様が、大切なお姫様の隣りで 気恥ずかしそうに、くしゃくしゃのハンカチで汗を拭っている。
彼が もう少しスマートで、もう少し 口が達者だったなら、彼の愛情は 娘に届いていたのだろうか。
血の繫がった父と娘でも、思いを伝えることは これほど難しいのだ。
人と人が心を通わせ合うことは、本当に難しい。
だが、だからこそ 人は、思いを伝えるための努力を続けるべきなのだろう。
その努力を怠ると、人は孤独になる。

「あなたのお父様、あなたのお父様を氷河に紹介した人、氷河。みんな、あなたに幸せになってほしいと思っています。僕も そうなることを願っています。あなたは、氷河が幸せになってほしいと願っている人なんですから」
「ナターシャもー」
ケーキを食べ終えたナターシャが、早速 その“努力”を実行する。
この場で 最も“思い”を伝える才能に恵まれ、そのための努力を怠らずにいるのは、おそらくナターシャだったろう。
「うん。ナターシャちゃんもね」
素直で努力家のナターシャに、瞬の口許は自然に ほころんだ。

「幾人もの人が、あなたに幸せになってほしくて、自分にできることをしたんです。あなたが知らないだけで、あなたは多くの人に愛されている。そのことを忘れないでください」
氷河にホストまがいのことまでさせた人間が 無価値であるはずがない。
無価値でいることなど許されない。
そんなことを、瞬は許すつもりはなかった。

「母さんも おまえのことを案じている。母さんのところに帰ろう。そして、これからのことを みんなで考えよう」
不器用な父親は、相変わらず、自分の思いをうまく伝えることができないようだったが、娘は そんな父親の気持ちを推し量ることができるようになったらしい。
「うん……」
彼女は 少し気まずそうに、それでも父の言葉に深く頷いた。






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