それは紛う方なく、一つの“事件”だった。
『俺が誰なのか、詮索するな』
と記された手紙(脅迫状?)が 城戸邸に出現したのだ。
手紙の文字は、瞬が幼い頃に受け取った手紙同様、鏡文字で書かれていた。

鏡文字の手紙、同じメモ用紙。
手紙が置かれていたのも、幼い瞬に鏡文字の手紙が届けられた時と同じ(部屋は違っていたが)窓の桟。
以前の手紙と違うのは、書かれている文に漢字が使われていることだけ。
手紙の送り主は常用漢字を覚えたらしい。

その手紙は、瞬を驚かせ、そして、星矢を色めき立たせたのである。
手紙の送り主は 自分の正体を暴かせないために その手紙(脅迫状である)を書いたのだろうが、星矢にとって、それは、犯人の正体を突きとめるための新しい手掛かり。つまり、新たな推理材料に他ならなかったのだ。
「詰まんねー小細工をして墓穴を掘る犯罪者の典型だな。犯人は 相当の馬鹿だぜ。自分は 生き残り10人――瞬を除いた9人の中にいるって言ってるようなもんじゃん。俺たちは、そういう馬鹿を探せばいいんだよ」
もはや犯人逮捕は時間の問題とばかりに、星矢が色めき立ったのは当然のことだったろう。

「いや、そうとも言えなくなってきた」
そんな星矢とは対照的に、紫龍の声と表情は憂鬱の色を濃くしていた。
「へ? なんでだ?」
新しい手掛かりの出現によって、50人いた容疑者が9人に絞られた。
それが、星矢の認識だった。
もちろん、その9人の中から自分自身を除いて、残りは8人。
犯人が8人のうちの誰であっても、“彼”は生きているのだから、瞬が悲しむことはない。
それが星矢の意気込みの理由だった。
そして、だが、紫龍の憂鬱の理由は、50人の容疑者が9人に絞られていないことにあったのである。

「昨日は 庭の大掃除で、城戸邸の使用人が 総出で庭に出て落ち葉を掻き集めていた。誰もがラウンジの窓に、手紙を置くことができただろう」
「あ、そーいや、辰巳が号令かけて、みんなに落ち葉掃除させてたな。メイドたちだけじゃなく、庭師のじーちゃんに、厨房のおじちゃん おばちゃんたち。運転手のおじちゃんに、掃除担当のじいちゃんたち、警備のにーちゃんたちに、バイトも何人か入ってた。ここの庭、広いから。ああ、そっか……」
星矢も、やっと その事実に気付いたらしい。
つまり、数年前、瞬が問題の手紙を受け取った時、城戸邸にいたのは子供たちだけではなかった――ということに。
「まさか 辰巳ってことはないだろうけど――そっか。犯人は、聖闘士になって帰ってきた奴とは限らないってことか」

城戸邸には、住み込みと通い、合わせて20人超の使用人がいる。
昨日に限って言うなら、広い庭の落ち葉を掻き集めるために 臨時雇いも複数人名、邸内に入っていた。
臨時雇いは除外するとしても、現在 城戸邸にいる使用人たちのほとんどは、聖闘士候補の子供たちが城戸邸にあふれていた頃から城戸邸で働いていた者たちだった。
待遇がよく、セキュリティの問題上、信用できる人間しか雇わず、入れ替えも滅多にしないので、長く勤めている者が多いのだ。

「ここで働いてる奴等も容疑者に入れるんだったら、沙織さんって可能性もあるか。沙織さんなら、花を贈るなんてことも考えそうじゃん」
「いや、沙織さんは除外していいだろう。たとえ 自分の正体を隠すためだったとしても、沙織さんが『俺』などという言葉を使うとは思えん」
「あ、確かに」
「そもそも、子供の頃の手紙の送り主と 今回の手紙の送り主が同一人物とは限らない。瞬の話を聞いてから、手紙のことを皆に聞いてまわったからな。誰とは言わないが、誰かが城戸邸の あちこちで、かなりの大声で。今や、瞬が受け取った手紙のことは、城戸邸にいる者なら誰でも知っている事実だ。模倣犯も出るし、愉快犯も出る」
「えーっ! 誰だよ、んな容疑者の範囲を広げるみたいな、余計なことしてくれたのはっ!」

真顔で、素で、全く本気で、そう怒鳴ってしまえるのが星矢の才能である。
真顔で、素で、全く本気で、紫龍は星矢の才能に感服した。
ともあれ、そういうわけで、結局、新たな手掛かりは容疑者の範囲を広げただけだった。
そして、犯人の数を(もしかしたら)増やしてくれただけだったのである。






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