「ナターシャちゃん!」
エントランスゲートから出てきたのは、乙女座の黄金聖闘士。一輝の最愛の弟にして、ナターシャのマーマでもある、瞬 その人だった。
「ここにいたの。姿が見えないから、心配したよ!」
ナターシャの無事を目で確かめ、その腕にナターシャを抱き上げてから、瞬は嬉しそうに、
「兄さん! 来てくれて、嬉しい!」
と、兄を呼んだ。

プライオリティNО.1がナターシャで、兄は2番目。
そんなことに拗ねる一輝ではなかったが(氷河の次でさえなければ、彼は それで満足だったが)、いつも瞳を涙で潤ませて兄のあとを追いかけてきた瞬は もうどこにもいないのだと思うと、少し切ない。
切なく感じている自分に腹を立てて、一輝は外していたサングラスを再び 装着した。
瞬は、それを、弟にも甘い顔を見せたくない兄の照れ隠しだと思ったのだろう。
相変わらずの兄。
瞬は、変わらぬ兄の無事な姿を 満面の笑みで喜んでから、エントランスホールに淀み群れている仲間たちを、改めて訝ったようだった。

「でも、どうして、みんな、こんなところにいるの」
氷河の嫌がらせを受けて――と、本当のことは、ナターシャの前では言いにくい。
真実を答えられなかった一輝たちの代わりに、ナターシャが、
「ナターシャは、イッキニイサンと、マーマがナターシャのマーマになった時のお話をシテたんダヨー」
と、“みんなが、こんなところで”何をしていたのかを、瞬に説明してくれた。
「え……」

乙女座の黄金聖闘士がナターシャのマーマになった時のお話。
それは いったいどういうことなのかと、瞬は兄を見詰め、瞬に見詰められた一輝は、気まずそうに横を向いてしまった。
おかげで、事情説明の仕事が星矢たちにまわってくる。
いつも弟を放っておいているくせに、一輝は瞬に嫌われることを恐れているのだ。
氷河といい、一輝といい、どうして瞬は 素直でない男にばかり好かれるのか。
素直でない男たちが、瞬の素直さを愛し、瞬の素直さに救われていることを知っているだけに、一輝たちに面倒事を押しつけられるたび、星矢は 彼等の子供じみた振舞いが嘆かわしく感じられた。

「すまん。一輝が、俺の弟は男だーって、ナターシャに言っちまったんだけど……」
なぜ俺が瞬に謝らなければならないのか。
卑怯にも逃げを打った瞬の兄を、星矢は睨みつけた。
一輝は、彼の心をサングラスで覆い隠している。
それがまた、星矢の気に障った。

「あ……」
事情を察したらしい瞬が、星矢に、
「ごめんね、星矢」
と小声で謝ってくる。
それも筋の通らないことだと、星矢は思ったのである。
星矢の立腹に気付いて、瞬は『ごめんなさい』を繰り返した。
そうしてから、瞬は、兄と仲間たちに、自分がナターシャのマーマになった時のオハナシをしてくれたのである。
瞬は、腕にナターシャを抱きかかえている。
それは、ナターシャに聞かれてはまずいことではないようだった。
「僕が このマンションに引越してくる前に――お仕事に行く氷河からナターシャちゃんを預かるために、公園で待ち合わせした時にね」


日が暮れかけた公園。
ちょうど、公園で遊んでいた子供たちがママと手をつないで家路に就く時刻だった。
三々五々に公園を立ち去っていく母子たちの後ろ姿を見詰めているナターシャの細い影が どこか寂しそうに感じられて、瞬は つい、
『ナターシャちゃん、ママが欲しいのかな』
と呟いてしまった。

氷河は、氷河にしては真面目に、その呟きの意味するところを考えたらしい。
といっても、10秒にも満たない短い時間である。
その10秒が過ぎると、氷河は、よその家の親子連れを 不思議そうな目で見詰めていたナターシャを抱き上げ、
『ナターシャ。俺は、ナターシャにママは連れてきてやれない。だが、マーマなら、ナターシャが好きな人を選んでいいんだ』
と言ったのだそうだった。

『ママとマーマは違うの?』
『ママというのは、一般的には女性の親のことを言う。マーマというのは、ナターシャが世界でいちばん綺麗で優しくて強いと思う人のことだ。そして、俺が世界でいちばん綺麗で優しくて強いと思う人のこと。もちろん、ナターシャが大好きな人。ナターシャを大好きでいてくれる人。ナターシャをいつも守ってくれる人。それがナターシャのマーマだ』

ナターシャは、人の言葉を おざなりに聞かない。
いつも真剣に聞き、真剣に その意味を考え、理解しようとする。
氷河に“マーマ”の何たるかを教えられたナターシャは、氷河を見、その隣りに立つ瞬を見、更に何事かを考えて、最後に、
『そうだったんダ!』
と歓声をあげ、笑顔になった――らしい。






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