人々の注目を集めることには慣れていた。 どうあっても、凡俗の中に溶け込めない氷河の容姿と雰囲気。ナターシャの明朗。 人の目を引くのは仕方がない。 今日も、マンションを出た時から、幾つもの様々な視線を感じていた。 視線を感じても、いつものことと 気にもしなかった。 それらは、ほとんど、好意や羨望や 軽い驚きでできていて、強い力を有してはいなかったから。 だが、それは――今、瞬と瞬の家族を見ている視線には 尋常ではない力が込められていた。 むしろ 途轍もなく強大な力が視線になっていると言った方が適切かもしれない。 乙女座の黄金聖闘士が力を惜しまずに強固な結界を張っても 防ぎ切れないほどの力。 それは 異様で強大で――奇異な力でもあった。 果てしなく深く悲しみ、喪失感、虚無、苦悩。 金色の並木道の脇。 葉を散らし続けているイチョウの木の横に、二人の人間が立っている。 彼等は瞬を見ていなかった。 氷河とイチョウの葉を拾っているナターシャをじっと見詰めていた。 瞬が感じているのは、彼等の力の余波でしかなかった。 にもかかわらず、その力は 瞬にまで 甚大な影響を及ぼし、瞬の心身を掴み、捕え、自由を奪ってしまうのだ。 “敵”を前にして、これほど絶望的な気持ちになったことはない。 これまで 瞬は、対峙する敵との間に圧倒的な力の差を感じても、決して絶望することはなかった。 若く未熟だった時も、神に対峙した時も、いつも希望を持っていることができた。 だが、これは――この敵は――。 瞬は戦う前から、その悲しみに圧倒され、立っていることも困難になりかけていた。 (馬鹿な。僕はバルゴの黄金聖闘士だぞ……!) そう思うことにすら、絶望を感じる。 アテナの聖闘士――しかも 黄金聖闘士が これほど脆弱な存在だったのかと、瞬は、今 初めて思った。 (僕は乙女座の黄金聖闘士だ。でも、勝てない。勝てないと感じる。なぜ……。氷河は―― ナターシャちゃんは……) 氷河とナターシャを守らなければならない。 だが、意識を保っていられない。 気が遠くなりかけて――実際、そのまま、瞬は気を失ってしまっていたかもしれなかった。 一つの小宇宙が 瞬を助けに来てくれなければ。 瞬は 最初は、それをアテナの小宇宙だと思った。 バルゴの瞬の小宇宙を はるかに凌駕できる小宇宙が 他にあるはずがない――と。 しかし、それはアテナの小宇宙ではなく――もっと 身近に親しんだ、むしろ自分に同化した小宇宙。 (そんな 馬鹿な……) その小宇宙が誰のものなのかに気付いて、瞬は愕然としたのである。 そんなことがあるはずがない。 だが、間違いない。 間違いなく、それは 乙女座の黄金聖闘士の小宇宙だった。 そして知った。 悲しんでいるのは、水瓶座の黄金聖闘士。 そんな氷河を救おうとしてる乙女座の黄金聖闘士。 否、それは逆なのかもしれない。 より悲しんでいるのは、乙女座の黄金聖闘士の方かもしれなかった。 二つの小宇宙が融合し、溶け合い、支え合い、必死に立っていようとしている。 瞬が勝てないと感じたのも道理。 瞬が“敵”と思っていた二人は、二人で一つの小宇宙を形作っていたのだ。 悲しみと寂寥。 苦しみと喜び。 強さと弱さ。 明るさと暗さ。 僅かな希望。 まるで、すべてを贈られた女の匣である。 二人が作る小宇宙には、すべてが込められていた。 二人が、瞬の側に歩み寄ってくる。 二人は、バルゴの瞬とアクエリアスの氷河だった。 |