「なぜ……。僕と氷河……?」
「いいえ。違います。全くの別人です。同じ人間は、同じ時の流れ、同じ場所に、同時に存在することはできない」
答えたのは“瞬”だった。
瞬が見知っている自分の顔。
声は、瞬が聞き慣れている自分の声とは少し違っていたが、それは骨導音と気導音の違いに過ぎず、同一人物のものと言っていいほどの違いでしかないだろう。

「でも……あなた方は 水瓶座の黄金聖闘士と乙女座の黄金聖闘士……ですよね?」
「アクエリアスの氷河とバルゴの瞬です。けれど、別人なんです。僕が あなたと こうして話していられるのは、僕たちが別人だからです」
「……」
一度 自らの命を終えた黄金聖闘士たちが蘇り――ただ蘇るだけなら まだしも、若返って蘇ることすらある この世界で、今更 滅多なことでは驚かない――驚けない。
しかし、いくら別人と言われても、自分と対峙するのは奇妙な気持ちがする。
実際、瞬は戸惑っていた。
別人の自分と対峙することに。

「時は、それぞれの世界で、それぞれに流れている。世界と その時の流れは、無数に流れている川のようなもので――僕たちは、僕たちの隣りを流れている川の、少し上流に来たんです」
「その隣りの川が、僕たちの世界――この世界なんですか」
「ええ。すぐ隣りの川なので、とても似ている。けれど違う世界」
つまり、彼等は 異世界の氷河と瞬。
とても似ているが、全く同じではない乙女座バルゴの瞬と、水瓶座アクエリアスの氷河――ということらしい。

その異世界の氷河は、何も言わず、この世界の氷河とナターシャを ただ見詰めている。
つい 先ほどまで 瞬が意識を保つことを阻害するほど苛烈だった彼の眼差しは、今は穏やかなそれに変わっていた。
否、それは激しく強いままだったのだが、憤りという要素が薄らいでいた。

「自分の川の上流には行けないんです。そこには、僕たち自身がいて、同じ世界で無理に時を溯ろうとすると、同じ僕と僕、同じ氷河と氷河が出会って、対消滅を起こす。そして、どちらかが消えてしまう。僕たちは あなた方とは別人で――おそらく、僕たちはあなた方より少し年上です」
言われてみれば、異世界の氷河と瞬の姿は、この世界の氷河と瞬のそれとは少し違っていた。
異世界の氷河と瞬は 二人とも髪が長く、腰にまで届いている。
異世界の氷河には、右の耳の下から鎖骨にかけて15センチほどの古傷があり、彼は それを隠すために髪を伸ばしているようだった。
異世界の瞬は、そんな氷河に付き合って、自身も髪を伸ばしているのかもしれない。
異世界の氷河と瞬は、この世界の氷河と瞬とは 違う戦いを戦ってきた、もしくは、同じ戦いを違う戦い方で戦ってきたのだろう。

「別の世界の僕と氷河がなぜ……」
「氷河を……僕の氷河をナターシャちゃんに会わせてあげたくて」
「ナターシャちゃん?」
異世界の瞬が、隣りに立つ異世界の氷河に、短く視線を投げる。
その視線に釣られるように、瞬も異世界の氷河の顔を見詰めたが――彼の視線は、この世界のナターシャの上に据えられたまま 微動もしなかった。
嫌な予感がする。
異世界の瞬は、随分長く ためらってから、瞬が感じた“嫌な予感”を言葉にした。

「僕たちのナターシャちゃんは消えてしまったんです」
「……」
自分の声とは違って聞こえる異世界の瞬の声は 抑揚がなく静かで、だからこそ一層――激した声より一層――つらく悲しく寂しげだった。
瞬の胸が、鋭すぎるメスで切り裂かれたせいで痛みを自覚できない人間のように――無痛で切り裂かれる。

「もちろん、あなたと僕、あなたの氷河と僕の氷河が別人であるように、あなた方のナターシャちゃんと僕たちのナターシャちゃんも別人です。僕たちのナターシャちゃんは、あんなに髪を長くしていなかったし、ツインテールにもしていなかった。お出掛けの時には髪は結ばず、セミロングの髪に、氷河のお下がりの青いカチューシャをしていた。お花のついた、もっと可愛いカチューシャを買ってあげるって言ったのに、パパが使っていたカチューシャの方がいいって言って……」
説明をしているうちに、説明が思い出話になって、彼等の消えてしまったナターシャの姿が、異世界の瞬の中に蘇ってきてしまったらしい。
異世界の瞬の瞳は、涙の膜で覆われ始めた。
“瞬”の話を聞いていないようだった異世界の氷河が、無言で 彼の瞬の身体を引き寄せる。

「でも、それ以外はみんな同じだ。元気で明るくて、パパが大好きで……」
異世界の瞬が、“パパ”とイチョウの葉っぱを吟味している この世界のナターシャの上に視線を投じる。
それは、おそらく この世界の瞬に自分の悲しみを見せないため。
そして、異世界の氷河が 相変わらず睨むように この世界のナターシャを見詰めているのは、おそらく彼自身が泣いてしまわないため――だった。






【next】