結局、俺は その脅迫者に腕を掴まれ(ありえん!)、駅から2、300メートルほど離れたところにあったティーハウスとやらに連れ込まれた。
壁の一面が巨大な棚になっていて、ずらりと紅茶の缶が並んでいる不気味な店。
店内にいるのは、見事に女ばかり。
居心地悪いこと、この上ない店だった。
俺を脅してギャラクシアン・ウォーズのプラチナチケットでも手に入れようとしているのか――脅迫者は、俺を店の奥にあるテーブルの席に着かせると、
「ロシア風でなくて悪いんですけど……」
と言いながら、勝手に お茶とスコーンを頼んでしまった。

その女は、妙に細い体つきをしていた。
そして、可愛げのない顔。
だが、頭の回転は速いんだろう。
咄嗟に脅迫ネタを思いつくあたり、侮れない。
俺がギャラクシアン・ウォーズに出場することになっている男だということ知っているなら、聖闘士の何たるかは知らなくても、俺がある種の戦闘技術をマスターした男だという認識はあるはず。
にもかかわらず、臆することなく、俺を脅してくるんだから、度胸もある。

まだ子供といっていい歳なのに、頭の回転が速くて、歳に似合わぬ度胸を持ち合わせ、かつ 不機嫌の極致の俺の顔を見ても、怯えた様子ひとつ見せない人間。
さっきのチンピラに比べれば、10倍も尊敬に値する人物だと思いはしたが、脅迫されている人間が 自分を脅迫してくる人間に 良い印象を持てるはずがない。
その女に対する俺の印象は、至極当然のことながら、最悪だった。

「なんだか 元気がないようですけど……」
脅迫者の分際で、女は、俺の元気のなさを気遣って(?)きた。
アテナの聖闘士が、一般人の女子の脅迫に屈して、元気でいられるか!
――と怒鳴りつけるわけにはいかない。
俺は、脅される側の人間。
立場が弱いのは、俺の方なんだ。
仕方なく、俺は、俺が元気のない 他の理由を口にするしかなかった。

「出たくもない見世物に出ることを強要されているのに、浮かれる気にはならん」
普通の人間なら怖気づくはずの、俺の凶悪な顔。
だが、その女は、俺の不機嫌を嘲笑うかのように、気楽な茶飲み話をするような顔で(実際、それは茶飲み話なんだが)、
「出たくて出るわけではないんですか」
と、また俺に尋ねてきた。
「当たりまえだ。本当は、日本に帰ってくる気もなかった」

マーマの側にいられれば、それでよかったんだ、俺は。
俺が聖闘士になった理由は、それだったんだから。
その俺が、“生きて”日本に帰ってきたのは、聞くのも言うのも恥ずかしい名前を冠したイベントに出るためじゃなく、瞬に会って これからの自分の身の振り方を決めるためだった。
だというのに、瞬に会えないことが確定したんだから、俺は自分の身の振り方を 改めて考える必要はなくなった――なくなってしまったんだ。

まさか俺の思考が読めるわけではないんだろうが、女の次の質問は、
「なのに、帰ってきたのは なぜ?」
だった。
「会いたい人がいたんだ」
答える義理もないのに、女のテンポの良さに釣られて、つい答えを返してしまう。
見ず知らずの女に乗せられてしまっている自分に腹を立てる余裕も、俺には与えられなかった。
「その人も聖闘士?」
グラードは、いったい どこまで事情を公表してるんだ。
この女、本当に、聖闘士という言葉、その存在まで知っていやがる。

「その人には会えたの?」
頭の回転が速くて、歳に似合わぬ度胸を持ち合わせ、かつ 不機嫌の極致の俺の顔を見ても、怯えた様子ひとつ見せない人間。
十分に尊敬に値する人物であるにもかかわらず、印象は最悪。
そして、残酷。
それを訊くのか。この女は、この俺に。
そして、俺は答えるのか。その残酷な質問に?

「いや」
「なぜ」
「多分、死んだんだ」
「多分?」
本当に――なぜ俺は、この女の質問に いちいち答えを返しているんだろう。
もしかしたら 俺は誰かに ぶちまけたかったんだろうか。
非情な現実への、やり場のない憤りを。

「俺たちを管理しているグラードの手先が、聖闘士候補者たちが送り込まれた修行地から 生きて帰ってくるのは、俺を入れて9人だけだと言っていた。既に8人の面子が揃っている。その中に、俺の会いたかった人はいなかった」
「9人? なら、生きて帰ってくる人は、もう1人いるんでしょう? 最後の一人が、その人ということはないの?」
「ない。もう一人、絶対に死なない奴がいて、そいつが まだ現れていない。最後の枠は、多分、そいつだ。俺の天敵」
「あなたの天敵? 意地悪な人なの?」
「いや、いい奴だ。俺と違って、少し――かなり暑苦しい男だが」
いい奴?
俺は、一輝を“いい奴”だと思っていたのか?
そんなこと、俺は全く知らなかったぞ。

「イイヤツが天敵なの」
「イイヤツってのは、俺が好きな人にも好かれる」
そして、俺が“いい奴”を天敵だと思っていた理由が それだということも、俺は 今初めて知った。
いや、俺は知っていたんだろうな。
その事実を、事実と認めたくなかっただけで。
瞬が誰よりも一輝を慕っている事実を。

「あなたの好きな人っていうのが、あなたの会いたかった人? あなたの好きな人が そのイイヤツさんを好きだからって、あなたを嫌いになるわけではないでしょう。それとも、あなたの好きな人は、そういう人なの?」
次から次に、矢継ぎ早の質問。
『もう何も答えないぞ』と思う間さえ、俺には与えられない。
与えられても、その質問だけは、俺は否定していただろうがな。
瞬を誤解されるのは、たとえ その誤解をするのが行きずりの人間に過ぎなくても嫌だ。
「瞬は誰も嫌わない」
女は、俺のその答えを聞くと初めて、テンポのいい質疑応答の流れを途切らせた。






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