「瞬……さん……っていうのが、あなたの好きな人の名前なの?」 「……」 自分が口を滑らせたことに気付いて、俺は胸中で舌打ちをした。 瞬の名前を、こんな残酷で図々しい女に知らせるなんて 迂闊もいいところだ。勿体ない。 それは、俺にとって何よりも大切な宝物の名なのに。 女の誘導尋問の巧みさに苛立ちながら、それでも俺が、 「そうだ」 と答えたのは、事実そうだったから。 『違う』と答えたら、この図々しい女は、『じゃあ誰だ』と、また余計な質問をしてきそうで――そっちの方が面倒なことになりそうだと思ったからだ。 俺は、嘘をつくのが嫌いだ。 辻褄合わせを考えるのが面倒だから。 だから いつも寡黙を装っているのに、この女は、俺がそうすることを許そうとしない。 そして、俺のペースを乱しまくる。 非力な一般人のすることだと思うから、我慢して、力を行使せずに相手をしてやっているんだぞ、俺は。 俺の この菩薩のような寛大が わかっているんだろうか、この女は。 「“誰も嫌わず、みんなを好きな人”は“誰も好きじゃない人”と同義――という理屈? 瞬さんて、そういう人なの? 八方美人?」 図々しい女が、いちいち 突っかかってくる。 俺が いつ、そんなことを言った。 “誰も嫌わず、みんなを好きな人”は“誰も嫌わず、みんなを好きな人”だろう。 瞬は そうだった。 それを“誰も好きじゃない”ことと同じにするのは、ただの捻くれ者だ。 「そんな理屈を瞬に適用するな。瞬は、人を嫌うということはしない子だった」 と言ってしまってから、そうではなかったことを 俺は思い出した。 そうじゃなかった。 「いや……瞬にも、一人だけ、嫌いな奴がいたな……」 「え?」 一瞬、その女が怪訝そうな顔をして、ほんの少し――1ミリ2ミリ 首をかしげる。 かしげた首を元の位置に戻さず、次の質問。 「どなた? あ、聞いてもわからないでしょうけど」 そうとも。 貴様は聞いてもわからない。 貴様は、瞬を知らないんだから。 瞬が嫌っていたのは――。 「瞬自身だ」 瞬は いつも、自分を弱いと言い、自分が一輝のお荷物になっていると思っていた。 そんなことがあるはずがないのに。 瞬なしの一輝なんて、春の夜の夢より、風の前の塵より、弱く儚い存在だ。 瞬がいるから、奴は異様なまでに しぶとく 強いんだ。 「“一人だけ嫌い”は“その人だけ特別”ということだよ。“自分だけが嫌い”は“自分だけが好き”と同じ。あなたの好きな人は、きっとナルシストなんだ」 この女、とんでもなく捻ねくれてるな。 こんな女に、瞬を語ってほしくない。 そんな権利は、この女にはない。 「だったら よかったんだがな。だが、残念ながら、瞬は そんな馬鹿じゃない。瞬は本当に、人を嫌うことのない子なんだ。いつも 人のことばかり気遣って、誰にでも優しくて――」 「あなた、その人のことを清廉潔白な天使か何かのように思っているようだけど、きっと その人は ただの詰まらなくて下らない人間だよ。あなたは、その人を買いかぶっているんだ」 「だとしても、俺にとって 瞬は 清らかで優しい天使なんだ。他人に とやかく言われる筋合いはない。まして、瞬を知らない奴には」 「あなたを怒らせたなら、ごめんなさい。瞬さん……瞬さんね。じゃあ、改めて――その瞬さんて、どんな人? 強い人?」 「なに?」 わかる必要は全くないと思うんだが、この女の思考回路が、俺には まるで理解できない。 なんなんだ、その質問は。 「この話の流れで、『強い人?』と訊くか? 普通は、『綺麗な人?』とか『可愛い人?』とか――」 「じゃあ、綺麗な人?」 「……」 素直に質問を変えたのは、もしかしたら 称賛すべきことなのかもしれないが、この女の これまでの言動を鑑みるに、その素直さが――素直すぎて、馬鹿にされているような気がする。 まあ、この女が馬鹿にしている相手が俺で、瞬でないのなら、俺は別に構わないんだが。 「俺は、瞬の外見に惚れたわけじゃない。瞬の優しい心に惚れたんだ」 「それって、不細工だということ?」 この女は――言うに事欠いて、瞬を不細工だと? 瞬を知らないんだから、仕方がないと言えば仕方のないことなんだろうが、瞬に対してでなくても、それは失礼千万な質問だろう。 『不細工なのか?』とは。 俺が、むっとするだけで、その場を済ませたのは、ひとえに、この無礼な質問者を非力な一般人だと思うからだ。 むっとして――俺は答えた。 「瞬は可愛かった」 「どれくらい?」 『とれくらい?』だと? そんな無意味で下らない質問にも、俺は答えなければならないのか。 だが、どうやって? 「美しさを測る客観的な指標や度量衡があるのか?」 『少しは自分の馬鹿さ加減に気付け』という願いを込めて、俺は、質問に質問で答えた。 が、無礼な質問者は 俺の願いを叶えてくれなかった。 己れの馬鹿さ加減を理解するどころか! 無礼な質問者は、とんでもない物差しを俺に手渡してきやがった。 無礼な女は、なんと、 「じゃあ、僕と比べて、どっちが可愛い?」 と、訊いてきたんだ。 何を言ってるんだ、こいつは。 あの可愛く優しかった瞬と こんな無礼な女を比べるなんて、それは 瞬に対する不敬というものだろう。 女の思い上がりに、いっそ感動して、俺は 初めて まともに その女の顔を見たんだ。 正面から対峙したら、俺の目は この女を恐がらせてしまうんじゃないかと、それを気遣って、それまで 俺は彼女の顔をほとんど見ていなかった。 その思い上がり振りから察するに、この女は そんな気遣いなどする価値もない人間だったんだと、俺は俺の親切心を悔やみながら、その女の顔を見た――というか、睨んだ。 |