――んだが。 自分を“可愛い”の物差しに指定してくるだけあって、その女の顔の造作は なかなかのものだった。 見た目だけなら――案外、この女には、思い上がる権利があるのかもしれない。 見た目だけなら。 「おまえ、意外に可愛いな」 『顔の造作だけは』と続けなかったのは、思い遣りでも親切心でもない。 俺は、その女を“可愛い”と感じている自分に、少なからず驚いたんだ。 “美しい”“綺麗”というのなら ともかく“可愛い”というのは、顔の造作だけへの評価ではないだろう。 “可愛い”は、顔の造作だけでなく、表情や印象込みで下される評価だ。 無礼な女は、無礼な女のくせに、その顔に優しさや親しみやすさを たたえていた。 一拍 置いて、無礼女が、 「ありがとう」 と応じてくる。 少し、はにかみながら。 無礼な女のくせに、本当に可愛い。 「だが、その『ボク』はやめた方がいい。何を気取ろうとしているのかは知らないが、軽薄な馬鹿に見える」 俺が その女に そう忠告したのは、今度は親切心からだった。 せっかく こんなに可愛いんだから、何も僕女などしていることはあるまい――という。 可愛い無礼女は、俺の忠告を容れようとはしなかったが。 「僕は、『僕』とか『俺』とか、そういう男子だけが用いるものとされている一人称代名詞が、日本の男女差別を助長していると思っているんです」 だから、そういう社会を批判するために、あえて“僕”なのか? 間違ったファッションではなく? そういう体制批判の仕方もあるんだろうか。 「……確固たるポリシーがあって、その言葉を使っているのなら、やめろとは言わんが」 人が抱く価値観や思想は人それぞれ。 それを否定するほど、俺は思い上がってはいない。 だから俺は、無礼女の“僕”を許容しようとしたのに。 自分の軽率な忠告を、虚心に反省しさえしたのに、この無礼女! にこにこ笑って、 「なーんて、嘘に決まっているでしょう」 と きやがった。 「なに?」 嘘? 嘘なのか? この女は、俺を からかったのか? 「今どき、キャラを作らずにいる人はいないよ。あなたもクールを気取っているでしょう?」 何を言っているんだ、この無礼女は。 本気で腹を立て、俺は 今度こそ 遠慮せずに 真正面から 無礼女を睨みつけた。 「俺は素でクールだ」 無礼女は、そんな俺を見て――笑った。 どういう意味だ、その笑いは。 「ごまかさないで。僕と、あなたの好きな人と、どっちが可愛い?」 俺が、いつ何をごまかした。 前言撤回。 この女は、全く可愛くない。 瞬と自分を比べるなんて、思い上がりもいい ところだ。 「たとえ、俺以外の世界中のすべての人間が、瞬より おまえの方が可愛いと言っても、俺には瞬が世界一可愛くて、優しい人なんだ」 “可愛い”とは、そういう意味の言葉だろう。 表情込み。印象込み。人柄込み。 もちろん、瞬の方が、こんな厚かましい女より百倍も可愛いに決まっている。 俺は、確信をもって、そう断言したのに。 「子供の頃に可愛くても、その瞬さん、会わずにいた数年の間に、すごく凶悪な顔になってたりするかもしれないよ」 「それでもいいんだ。瞬の心が 俺の好きな瞬のままなら」 「人の心は変わるよ。あなたは、子供の頃と同じままのようだけど」 言うことが、いちいち気に障る。 俺が、ガキの頃のまま、成長がないと言いたいのか? 瞬を好きな心は 確かに変わっていないが、俺は ちゃんと大人になった。 心はともかく、行動や考え方は。 俺は、ガキの頃のように、行き当たりばったりに行動することはしなくなった。 俺は、計画を立てて、事前に練習し、行動するってことを、学習・体得したんだ。 すべては無駄になったが。 俺の練りに練った計画も、積み重ねてきた練習も、すべては無駄になってしまったが。 「俺は……瞬に好きだと告白するために、帰ってきたくもない日本に帰ってきたのに、告白もしないうちに失恋だ」 「え?」 「俺は、あらゆる状況をシミュレートし、どんな状況にあっても、俺の気持ちを間違いなく瞬に伝えられるよう 練習を繰り返し、万全の態勢を整えて 日本に帰ってきたのに、すべてが徒労に終わった……」 そんな用意周到、慎重な言動は、子供には不可能。 そもそも 子供は、そんなことは考えもしないだろう。 俺は、計画性と実行力を備えた大人になったんだ。 だが、俺の努力は すべて水泡に帰した。 この虚しさは、無礼を武器に生きている馬鹿女には わかるまい。 ――と、俺は憤ったんだが、予想通り、無礼女は何もわからなかったようだった。 俺の苦悩の様を見て きょとんとしていた無礼女は、やがて気を取り直し、笑いをこらえるのに必死と言わんばかりに口許を引きつらせ、あげく、 「あなた、本当に自分のことをクールだと思ってるの? 告白の練習だなんて、そういうの、クールな人のすることなの?」 と、ほざいてみせやがった。 何を言ってるんだ、こいつは。 人間ってものは、誰だって完全でも完璧でもない。 ガキはもちろん、大人だって未熟、不完全。 クールに決めるためには、計画と練習が大事なんだ。 いわゆる、PDCAサイクル。 Plan, Do, Check, Action。 計画、実行、検証、改善を繰り返して、完璧を目指す。 それができるのが大人で、できないのが子供だ。 「練習せずに、一か八かで本番に臨み、それで成功すると安易に思っているなら、浅はかもいいところだぞ。そんなのは、ガキの幻想に過ぎない。人の努力を笑うのは――それこそ、現実というものを知らないガキの仕業だ」 「あ……僕は、あなたの努力を笑うつもりは――」 『なかった』とは言わせないぞ! ――という俺の怒りを感じ取ったんだろうか。 無礼女は『なかった』とは言わなかった。 代わりに、 「ごめんなさい……」 と、俺に謝ってくる。 そして、彼女は、もしかしたら 俺のために無理に笑顔を作った――のかもしれない。 そして、もしかしたら 俺のために、実に不愉快なことを言い出した。 無礼女は、 「せっかく練習したんだし、それを徒労にしないために、別の好きな人を――次の恋を探せばいい」 と、糞くだらない提案をしてきやがったんだ。 本当に、糞くだらん。 「次はない。この世界に瞬以上に優しい人は、きっといない」 「でも、もう その人には会えないんでしょう? 死んじゃったんでしょう? だったら、次の人を探すしかないでしょう?」 いったい、何なんだ。 その、“こっちが駄目なら、あっち”的思考は。 人間の心ってのは、そんなに簡単に割り切れるものじゃないし、そんなに簡単に方向転換できるものでもないぞ。 「おまえは、親しい人や好きな人の死に立ち会ったことがあるか」 「なくもない……ですけど」 あるのか。 あって、そんなことを言えるのなら、この女の心は木石でできているんだ。 いや、木石の方が まだましだ。 木石には、少なくとも、温度の変化はある。 「なら、わかるだろう。生きている人間が、死んだ人間を超えられないことくらい。俺は、瞬に幻滅して訣別することさえできなかった。それは つまり、俺は この先、瞬以上の恋人には 決して出会えないということだ」 「……」 無礼女は、絶対に俺より年下だ。 時折 妙に大人びた輝きを 瞳の中に垣間見せるが、間違いなく俺より年下。 俺自身、大人と言える歳じゃないが、その俺より更に子供。 もしかすると、リアル中二病世代。 中二病っていうのは、あれだろう。 平凡な自分を特別な自分に仕立て上げようとして、悪党ぶったり、マイノリティぶったり、変人ぶったりと、子供じみたことをするド阿呆。 そういう輩には、“悲劇の主人公な自分”はOKで、“普通に健全で前向きな自分”はNGなんじゃないのか? なのに、現役中二病世代のはずの無礼女は、妙に ありきたりな――前向きで健全な教科書的なことを言い出した。 |