「あなたの好きな人――瞬さん? 瞬さんは本当に死んだの? あなたが絶対に死なないと信じている人の方が亡くなっていて、あなたの好きな人の方が生きているということもあるかもしれないでしょう……?」
前向きで健全なことを、悲しそうに、無礼女が言う。
だが、そんな言葉は気休めにもならない。
こっちの事情も知らず、いい加減な慰めを言われることほど、腹の立つことはない。
いや……腹を立てている間は悲しまずに済むから――そうだな。それは、気休めには なるのかもしれない。

「一輝は――死なない。あいつは死なない。そういう奴なんだ。奴は、瞬に再び会うために、絶対に死なない。奴が 生き延びて聖闘士になったのは 確実だ。だが、瞬が死んでしまったのでは、奴も……」
「すごい信頼」
「奴は、たとえ地獄の底に落とされても必ず蘇ってくる奴なんだ。奴は死なない。絶対に。俺は、俺の目の前で奴が死んでも、奴の死を信じない」
「そう……」
何が『そう』だ。
何もわかっていない――瞬も一輝も知らないくせに、わかったような顔をして頷くんじゃない。
いらいらする。

「あなた、かわいそう。そんなに 一生懸命、告白の練習をしたのに」
「……」
だから、急に、そんなふうに本気で俺を かわいそうな男にするな。
本当に自分が かわいそうな男になったような気になる。
かわいそうな俺。
中二病は俺の方か。
ふん。
いいな、それも。

「なんとかギャラクシアン・ウォーズに出ずに済むようにして、シベリアに帰って、墓守でもして暮らすさ。瞬の墓でも作って。きっと俺は、死神か疫病神なんだ。俺が愛した人は、皆 死ぬ」
我ながら、見事に中二病満載の台詞。
だが、事実だ。
事実なのに。
「そんな思い込み、馬鹿げてる」
無礼女が、俺の病気を軽く いなしてのける。
それだけなら、病気の治療と思うこともできるが、
「『汝の敵を愛せよ』。そうすれば、あなたは人生の勝利者になれるよ」
というのは どうなんだ。
俺に、死神の道を極めろというのか。

「呪い殺しならぬ、()で殺しか。そんなことは――」
面倒臭くてできない。
そもそも、死んでほしいような奴を、どうすれば愛せるっていうんだ?
無茶苦茶なことを言う女だと、俺は思い切り 呆れたのに。
「えっ?」
それは、俺の勘違いだったらしい。

「僕、そういう意味で言ったんじゃ……」
「違うのか」
死神である俺は、敵を愛して殺せばいい――というのではなく?
俺が問い返すと、無礼女は やたらと真剣な目をして縦に首を振り、それから横に首を振った。
「あなたが死神だなんて、そんなことがあるはずないんだから――。“汝の敵を愛して”いたら、その人には 敵がいなくなって、誰とも戦う必要がなくなるでしょう? それが 人間のいちばんの幸福で、真の勝利なのだろうと――」
は。それはまた。
つい声を失う。
口をつぐんだ俺を、無礼女は怪訝そうに見詰めてきた。

「……なに?」
「いや。途轍もなく善良な考え方で、驚いた」
「どうせ!」
無礼女が 拗ねたように ぷいと横を向く。
可愛げのない女だな。
俺は褒めたわけじゃないが、馬鹿にしたわけでもないぞ。
ただ事実を言ったんだ。“その善良さに驚いた”という事実を。
この無礼女の考え方が、俺の瞬に似ていたから。

「俺の瞬も、そういう考え方をする子だった。優しくて 温かくて――腕力や戦いの技術なんかなくたって、聖闘士候補として集められた100人の子供たちの中で、瞬が いちばん強い子だった」
「いちばん強い子が死んだの」
「そうだ。理不尽だ」
これが理不尽でなかったら、この世に理不尽でないことはなくなる。
それが瞬の運命だったというのなら――運命ってやつが そんなふうに理不尽なものだというのなら、人間が真面目に自分の命を生きることは、完全に無意味で無駄だ。

「生きている価値がないのに生きている人間が腐るほどいるのに、俺の瞬は死んだ」
「生きている価値のない人なんて、いないよ」
「瞬に比べたら! おまえは、さっきのチンピラにも生きている価値があると思うのか!」
「もちろんだよ」
言下に肯定。
そんなことを、よく断言できるもんだ。
無礼女の潔さというか、単純さというか――いっそ 男らしさというべきなんだろうか――に、俺は感心した。
せっかく感心してやったのに、この無礼女は あとがいかん。
「瞬さんって、そんなに優しかったの? 幼い子供の優しさなんて、たかが知れていると思うけど」
やはり、この無礼女は根性が 捻くれている。
瞬の優しさを疑うなんて、人間失格だ。

「瞬は優しかった」
「どんなふうに?」
そんなことを訊いて、貴様は 偉そうに瞬の優しさを評価採点でもするつもりか。
他人に どんな評価を下されようと、俺の考えと心は 絶対に変わらないぞ。
それは変わるようなものじゃないんだ。
それは、俺が 俺自身で触れ、経験し、感じ、判断したことなんだから。
荷物の重さや大きさを測る時はともかく、人間が人間を評価する時、評価者は他人の物差しは借りないし、使わない。

「聖闘士ってものが どんなものなのかを、おまえが どこまで知っているのかは知らないが――俺たちはガキの頃に、聖闘士になるべく、城戸の――グラードの糞ジジイの家に引き取られて、毎日 きついトレーニングメニューを こなすことを義務づけられていたんだ。集められたガキ共は、瞬以外は どいつもこいつも ぎゃーぎゃー騒いで走りまわっていたい悪ガキばかりで、俺たちは 怪我の絶えない日々を送っていた。怪我をした悪ガキ共の簡単な手当は いつも瞬の仕事だった」
「うん……」
「俺が、いつだったか、トレーニングマシンの操作を間違えて 指に怪我をした時、“痛いの痛いの飛んでけ”をしてくれと頼んだら、瞬は真剣な顔をして、それをしてくれた」

「は……? えっ?」
何だ、その間の抜けた声は。
ハエがどうしたっていうんだ。
「それは……冗談か何か? それが、あなたが瞬さんを“優しい”と思う根拠なの?」
それが根拠じゃいけないのか?
むかつく女だな。

「マーマは いつもそうしてくれていたと言ったら」
「それはジョーク? ここは笑うところ?」
しつこい。
それが俺の“優しさ”の物差しだ。
瞬が優しかったことを、なぜ そんなに笑い話にしたがるんだ、この女は!
――と腹を立てかけて、だが、俺は すぐに思い直した。
それは、俺が腹を立てていいようなことじゃない。
この無礼女には、この無礼女なりの“優しさ”の物差しがあるんだから。

「ああ。笑うところだ。笑うのが普通だ。瞬だけでいいんだ。真剣な目をして、“痛いの痛いの飛んでけ”をしてくれるのは」
瞬は、笑わずに、真剣な目をして“痛いの痛いの飛んでけ”をしてくれた。
100人いた子供。
そんなことをしてくれるのは瞬ひとりだけだった。
どれだけ経験を積んだ看護士より、どんなに高価な薬より、俺の傷を癒して、痛みを消してくれる魔法の おまじない。
マーマと同じ魔法を、瞬は使える。
瞬だけが、その優しい魔法を使えるんだ。
誰が笑おうと、誰に笑われようと、俺は大真面目。俺は笑わない。
それは、俺にとって、何より大事な思い出だ。
マーマと瞬と――二重の意味で。

「あなた、すごく強いんだよね? さっきの柄の悪い人が 一度に100人かかっても敵わないくらい」
「200人でも、一瞬で片付けられる」
無礼女が笑うのをやめたのは――いや、無礼女は、最初から笑っていなかった。
笑い話にしようとしていただけで。
無礼女が それを笑い話にするのをやめたのは――俺が強いからではないようだった。
そうではなく――俺が笑っていないから、俺が大真面目だったから――のようだった。
笑わずに、無礼な女は言った。
「笑わずに、真剣に、“痛いの痛いの飛んでけ”をしてくれたのなら、瞬さんは本当に優しい人だったんだね」
「ああ。大好きだった」

今も好きだ。
マーマを除けば瞬だけが、俺の特別な人だ。
瞬が死んでしまったというのなら、それは、おそらく俺が死ぬ時まで変わらない――変えようがない。

「そっか……」
無礼女が、神妙な顔で頷く。
そして、無礼女は(いつのまにか、スコーンを綺麗に平らげていた)は伝票を手にして、掛けていた椅子から立ち上がった。
ああ、そういえば、これは無礼女の礼の席だったな。
一応、無礼女は――もとい、彼女は――最低限の礼儀だけは心得ていたらしい。

「希望を捨てないで。僕も捨てない。捨てるのをやめた」
それが、彼女の別れの辞。
彼女との やりとりで日本脱出の気が殺がれて――結局、俺は、大陸行きのチケットを手に入れないまま、城戸邸に戻ったんだ。
希望――そんなものが 今の俺にもあるんだろうかと疑いながら。






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