「小さな女の子が城戸邸にいるなんて、珍しいな。どうせ 辰巳は あれこれ難癖をつけて ヒスを起こすに決まってるんだから、新年だからって、そんな気配りなんかせずに、正体を探ってくればよかったのに。俺たちには 新年も旧年も関係ない。お年玉をもらえるわけでも、初詣に行かせてもらえるわけでもないんだからさ」 「女神アテナに仕える聖闘士になろうという者が、寺や神社に初詣に行くのは まずいのではないか」 紫龍の至極尤もな指摘を受けて、星矢は派手に口を尖らせた。 星矢は、お年玉が欲しいのではなく、初詣に行きたいわけでもなく、ただ新年と旧年で何が違う訳でもない現状に 文句を言いたいだけだったから。 「アテナって、ギリシャの神様なんだっけ? なら、ギリシャにお参りに連れてくくらいのことしてくれてもいいのにな。それができないなら、せめて おせち料理を食わせてくれるくらいのことはさあ……」 「星矢は おせち料理が食べたいの?」 「そういうことじゃなくて、いつもと変わり映えしない“栄養と熱量が考慮された完璧な食事”ってのには もう飽きたって言ってるんだよ。トレーニングもいつも通りだし、新しい年になったってのに、特別感が全然ないじゃん。クリスマスもそうだったから、諦めはついてるけどさあ」 「確かに 特別感はないけど……。でも、この世界には、おせち料理どころか 普通のご飯も満足に食べられない子供も たくさんいるんだから――」 星矢に『諦め』などという言葉を口にされると、せっかくの新年に、本当に希望がなくなるような気がする。 自分たちより気の毒な境遇にある子供たちに比べれば 自分たちは恵まれているのだと主張するためではなく、星矢に いつも通りの元気で明るい星矢でいてもらいたくて、瞬は 自分たちの幸運に言及した。 「瞬の言う通りだ」 紫龍が 瞬の言葉に賛同したのも、瞬と同じ考えからだったろう。 新年だというのに特別感のない食事が 相当不満らしく、星矢は瞬たちに言いくるめられてはくれなかったが。 「でもさ。そういう奴等は、敵と戦って倒す技を身につけろなんて言われないんだぜ?」 「星矢……」 事実なだけに反論できない星矢の反論に、瞬が切なそうに眉根を寄せる。 途端に 星矢は、氷河と一輝に右と左から 同時に頭を はたかれた。 「なんだよ、二人揃って! 暴力はんたーい!」 星矢が、叩かれなかった頭の てっぺんを両手で押さえて、突然 暴力沙汰に及んだ氷河と一輝に文句を言う。 が、“正義は我にあり”と信じている氷河と一輝は、星矢の文句など まともに受け付けることもしなかった。 氷河は 更に星矢を責め、一輝は弟の慰撫にまわる。 「何が暴力反対だ! 瞬は、おまえのために言っているんだぞ。分別のないガキみたいなことを わめいて、瞬を困らせるな!」 「瞬。上を見ても、下を見ても きりがない。俺たちは、俺たちに与えられた環境で頑張るしかないんだ」 「うん……。はい、兄さん」 瞬は 素直に兄の言葉に頷いたが、星矢は そうはいかなかった。 氷河と一輝が 瞬を贔屓するのは自然で当然なことだと思うが、そのために 彼等が当たりまえのことのように 瞬以外の人間に暴力を振るうのは、正当な振舞いだと思うことができない。 「おまえら、いつも そうやって、寄ってたかって いたいけな子供をいじめやがって!」 「誰が“いたいけな子供”だ! おまえ、“いたいけ”の意味がわかっているのか」 氷河が 不機嫌そのものの顔つきで、不信感でいっぱいの視線を星矢に投げてくるのは、一輝が瞬に 分別顔で 立派そうなことを言っているのが気に入らないからである。 氷河と一輝は、瞬の愛情と敬意を どちらが より多く勝ち得るかを、新年と旧年の別もなく恒常的に争っているライバル同士だった。 瞬が兄を見ていると、氷河の機嫌が悪くなり、瞬が氷河に優しくすると、一輝の機嫌が悪くなる。 今は 前者の状態で、不機嫌になった氷河は、その鬱憤を星矢に当たることで晴らそうとしているのだ。 星矢には、それこそ いい迷惑だった。 「それくらい知ってるぜ。辰巳と違って、引っ張られると痛いくらい髪の毛が たっぷりある若くて可愛い子供のことだろ」 「なに?」 氷河が、不機嫌を忘れた顔になる。 そして、氷河は、一瞬で疲れきってしまったように、頭を左右に振った。 「おまえに 訊いた俺が馬鹿だった」 「違うのか?」 真顔で問い返されて、氷河は 更に疲れが増したらしい。 殴る気も失せたのか、彼は 一度は握りしめた拳から 力を抜いてしまった。 氷河と一輝の周囲にあった殺気だった空気が消え去ったことを感じ取った瞬が、気遣わしげに星矢に尋ねてくる。 「ごめんね、星矢。痛かった?」 「なんで おまえが謝るんだよ。おまえは悪いこと何もしてないだろ」 「でも、元はと言えば、僕が知らない女の子の話を持ち出したのが原因だから……」 「違うだろ。一輝と氷河が何でも暴力で解決しようとするのが よくねーんだよ!」 星矢の得意技は、墓穴掘りと 藪を突いて蛇を出すこと。 「おまえが考えなしに いらんことを言うからだっ」 結局 星矢は、今度は 氷河と一輝に左右の足を同時に蹴られて、その場に尻餅をつくことになった。 氷河と一輝は、互いに互いを毛嫌いしているくせに、こういう時だけは 妙に息が合う。 「ってーな!」 いつも通りと言えば、いつも通り。 新年の特別感もなく、まさに日常。 「兄さん! 氷河!」 氷河と一輝の いじめ(?)が激しくなると、瞬が星矢を庇い始めるのも、いつも通りだった。 「星矢、大丈夫?」 「なんとか……」 尻餅をついたまま 起き上がろうとしない星矢の側に駆け寄り、瞬が星矢を助け起こすのも 毎度のことと言えば毎度のことである。 今日が いつもと少し違うのは、そこに紫龍が口を挟んできたことだった。 「二人とも、いい加減にしろ。こんなふうに 何でもかんでも 力で解決しようとするのはよろしくない」 氷河と一輝が 新年早々 進歩も成長もなく いつも通り攻撃的なのに呆れたのか、あるいは、せっかく新しい年を迎えたのだからと考えて、何らかの変化を求めたのか。 仲間たちの少々 荒っぽいスキンシップ(?)を、いつもは、いいトレーニングだと言って放っておく紫龍が、珍しく氷河と一輝を 諫めるということをしたのだ。 無論、そんなことで 大人しく反省をするような瞬の兄ではない。 「世の中には、殴られなきゃ わからん奴もいるんだ。どこの誰とは言わないが」 どこの誰と名指しをしなくても、この場に該当者は一人しかいない。 名指しされなかった該当者は、一輝の嫌味に むっとなった。 ここで 星矢に反撃を許すと、新年早々 本格的な喧嘩が始まってしまう。 紫龍が、一輝の嫌味に嫌味で反論したのは、その事態を避けるためだったろう。 そんなことになったら、あれこれ難癖をつけて子供たちに罰を与えたがっている辰巳を新年早々 喜ばせるだけなのだ。 「殴られても言動を改めないとわかりきっている者を殴るのは、全く無意味。労力の無駄使いだ。無駄使いならまだしも、瞬を困らせるだけだ。おまえたち、少し外で頭を冷やしてこい」 星矢以上に むっとした顔になった氷河と一輝が、それでも紫龍に刃向かおうとしないのは、自分たちが口で紫龍には敵わないということを知っているから。 そして、彼等が本当に叩きのめしたいのは星矢ではないから――である。 氷河と一輝が本当に叩きのめしたいのは、何かにつけて自分に張り合ってくる星矢以外の目障りな仲間なのだ。 紫龍の言に従って、一輝と氷河がジムを出ていく。 ジムのドアを出たところで、彼等は右と左に分かれた。 別に、廊下の右と左に 彼等の行きたい場所があるわけではない。 氷河は一輝の行かない方に行くために、一輝は氷河の行かない方に行くために、彼等は そうするのだ。 呆れるほど息の合った氷河と一輝の振舞いは、面白い見世物といえば 面白い見世なのだが、傍迷惑といえば傍迷惑。 二人がジムを出ていくと、瞬の手を借りて その場に立ち上がった星矢は、床に 強かに打ちつけた尻をさすりながら、疲れた溜め息を洩らした。 そして、紫龍に、文句という名の礼を言う。 「紫龍。氷河と一輝の暴力を止めてくれたのは助かったけど、今の、全然 フォローになってなかったぞ」 「おまえをフォローするつもりはなかったからな」 クールな紫龍の答えに、星矢は くしゃりと顔を歪めた。 僅かに下唇を突き出して、不満の念を示す。 「ったく、友だち甲斐のない奴ばっかなんだから」 「友だちだと思っていなかったら、兄さんや氷河は、きっと星矢と口もきかないよ」 瞬のフォローも、今の星矢には ほとんど無効。 星矢は 縦にとも横にともなく首を振って、肩をすくめた。 「そりゃ、俺は大切な友だちだろうさ。俺は、あいつ等が直接対決しないためのサンドバッグなんだ」 「そんなことは……」 『ない』とは、瞬にも言えない。 どうして 氷河と兄が こうまで 反りが合わないのか、実は瞬には よくわかっていなかった。 『おまえが原因だ』と紫龍や星矢は言うのだが、瞬は むしろ、自分が二人の対立のダシに使われているような気がしてならなかったのである。 体力でも運動能力でも、実力が伯仲している二人が、体力や運動能力で勝負がつかないから、違う分野で優劣をはっきりさせようとしているだけなのではないかと。 対立の真の原因は、二人には もはや どうでもいいことなのかもしれなかった。 今では、氷河と一輝は 対立し 対抗し合うために、対立し 対抗し合っている。 二人の不仲が、瞬の目には そう見えていた。 二人の対立が自分のせいだと思いたくない瞬の、それは一種の逃避だと、星矢と紫龍は思っていたが。 「僕、ちょっと、厨房のおばさんのところに行って、何か お正月らしい おやつを貰ってくるよ」 兄と氷河の対立を自分のせいだとは思っていないが、星矢が 常日頃から二人の対立のとばっちりを受けているのは 紛れもない事実。 その事実に関しては、瞬は責任を感じていた。 「おまえのせいじゃないんだから、んなこと しなくてもいいって! ま、正月っぽくなくても、おやつは食いたいけど」 「うん」 瞬は 兄と氷河が星矢に迷惑をかけた詫びをしたがっていて、それを拒むと、瞬は いつまでもずっと罪悪感と いたたまれない気持ちを抱き続ける。 星矢が 瞬の詫びを受け入れる意思を示すと、瞬は嬉しそうにジムを出ていった。 |