「私は、そんなことないと思うけどなー。瞬先生って、ちょっと謎めいてて危険なところもありそうでしょ。瞬先生は、あんまりプライベートを大っぴらにしてないし」
整形外科の看護師の異見に、
「うんうん。“いい人”だから恋愛対象にならないっていうのは、私も 違うような気がする。瞬先生は、頭の回転も速いし、絶対に優しいだけの人じゃないはず」
眼科の新人看護師が同調してきた。

「欠点なき瞬先生。完璧すぎて、毒もなければ、癖もなさすぎで、かえって引っ掛かるところがないのかもよ」
と言い出したのは、麻酔科の新人看護師。
これには、皮膚科の新人看護師が反論を述べてきた。
「欠点なき瞬先生っていうけど、あの美貌は欠点なんじゃない? 瞬先生といると、女としての自信を持てないっていうか、隣りにいたら見劣りしそうで、妙な女の見栄とかプライドが働いて、近付きすぎたくないっていう気持ちになるのかも。私も どっちかっていうと、瞬先生は 程よい距離を保ったところから 眺めていたいって思うなぁ」

「そりゃ、鑑賞物としては そうでしょうけど……。瞬先生って、他に誰もいないところで、二人きりで超接近しても、嫌な感じが全然しないでしょ? あれって、何ていうか、下心が全くないのが わかりすぎるほど わかるから、すごく接近しても平気なんですよ」
「わかる わかる。あの清潔な感じ。瞬先生は 絶対に変なこと考えてないって、否応なく感じ取れちゃうの」
それは“意見”ではなく、単なる“事実”なので、30人の看護師がいても反対意見は出なかった。
新人看護師も先輩看護師も、全員が揃って頷く。

「でもさー。瞬先生の彼女になるのって、ちょっと恐くない? 誰にでも優しい、みんなの瞬先生。特定の誰かのものになったら、その誰かが みんなに恨まれることになるんじゃないの?」
「妬まないわよ。瞬先生が選んだ人なら、素晴らしい人に決まってるし」
「問題は、その評価に価する人が この病院の看護師や職員の中にいるかどうかってことね」
「……」
神経内科の新人看護師の その言葉が、突然 カンファレンス・ルームに重苦しい沈黙を運んできた。
「やだ。なに、この沈黙。我こそはって、手を挙げる勇者は一人もいないの?」
沈黙の原因を作った看護師が、困ったように室内を見まわす。
残念ながら、彼女の問い掛けに、『我こそは』と手を挙げる勇者は、その場に一人もいなかった。
代わりに、救急科の新人看護師が、微妙に話の方向を変えることで沈黙を破ってくる。

「内科の先輩からのリークなんだけど、ウチの医局長が、医師会のお偉いさんの令嬢と瞬先生との結婚を取り持とうとして 瞬先生に話を持っていったけど、丁重に断られたって」
その話が出た途端に、またカンファレンス・ルームが騒がしくなったのは、瞬先生の恋愛問題に関して 当事者になりたいと考えている看護師が その場にいないことの証左だったかもしれない。
彼女等は あくまで、第三者として、なぜか気になる瞬先生の噂話をしていたいだけだったのかもしれなかった。
「聞いた聞いた。ご期待には沿えないと思いますので――って、即答だったって。普通は、嘘でも 揺れてる振りくらいするもんでしょ。きっぱり断って、でも そのすぐあとで、その話を断ることで 医局長の立場が悪くなったりしないか、医局長を気遣ったとか。気配りの人なのよねー」

「草食系が過ぎて絶食系になっちゃったのかな? 最近、そういうオトコが多いんでしょ。瞬先生、同性の友だちは たくさんいるみたいだし、女性抜きで、気の置けない友だちと付き合ってるのが楽しくて、恋愛に興味を持てないのかも」
「でも、瞬先生の優秀な遺伝子を後世に伝えないって、世界の損失じゃない? おつむの方も もちろんだけど、瞬先生に似た子供って、男の子でも女の子でも 滅茶苦茶 可愛いよ、きっと」
「子供が嫌いってことはないの?」
「それはないでしょ。入院してる子供たちには、すごく優しくて、慕われてるもん」
「瞬先生は、子供の相手は上手よ。待合室で騒いだり泣いたりしてる子を あやすの、天才的にうまいもの」
「瞬先生の側にいると、子供たち、安心するみたい」
「瞬先生が優しいこと、子供たちは直感でわかるんでしょうね」
「消毒薬じゃなく、バニラの香りがするし」
「あははははー」

数人の看護師が、どこか空虚な笑い声を響かせる。
おそらく 彼女等は、消毒薬の匂いから注射器を連想されて 子供に泣かれた経験を持つ看護師なのだろう。
空虚な笑いを浮かべた看護師の中には、新人だけでなく先輩看護師も数名 混じっていた。
「瞬先生は、子供は好きなはずよ。瞬先生、こないだ お引越ししたらしくて、事務局で届け出住所の変更手続きをしてたの。なんで こんな時季に お引越ししたのかって 探りを入れたら、それが 子供のため。なんか、瞬先生のお友だちが、事故で 両親を亡くした遠縁の小さな女の子を養子として引き取ったんだって。瞬先生が引っ越した先は、その お友だちのいるマンションで、子供を育てたことのない お友だちと、そのお友だちに 引き取られた子供が危なっかしくて、放っとけなかったみたい」

「あ、それは 私も、ナースセンターのセンター長さんに聞きましたー。お休みの日に、光が丘公園で、その子と遊んでる瞬先生に会ったんだって。瞬先生、その子に『マーマ』って呼ばれてたとか。両親を亡くした子でしょ。新しいパパの近くに、美人の瞬先生。新しいママだと誤解しても当然といえば当然なんだけど、瞬先生、優しいから、ママじゃないって言えないでいるみたい。『寂しい思いをさせたくないので、本当のことは知らせないでください』ってお願いされたって、センター長が言ってた。女の子で、ナターシャちゃんだかスターシャちゃんだか」
「その女の子、外人なの?」
「瞬先生のお友だちって人が 金髪の外人さんみたい」

「瞬先生、優しー。普通、友だちの養子のために そこまでしないでしょ。よっぽど、その子のことが心配だったのね」
「実子だったら、もっと可愛がるんじゃない?」
「逆に厳しくするかもよ」
「やーん、厳しくされたいー!」
もはや完全に休憩時の茶飲み話になり果てていたミーティングの場に、精神科の新人看護師が ひときわ素頓狂な雄叫びをあげる。
同期の神経内科の看護師が、さすがに呆れた顔になった。

「あんたが厳しくされて、どーすんのよ」
「どーすんのも こーすんのも、あの優しい顔の瞬先生に厳しくされたら、ぞくぞくするわよー」
「その気持ちは、ちょっと わかる――かも」
「でしょ でしょ」
「コレコレ、キミタチ」
それでなくても脱線気味だったミーティングが、同期の新人看護師たちによって 更に はなはだしく 脱線していくのに、消化器内科の新人看護師が 医局長の口調を真似て 彼女等を制し、軌道修正を入れてくる。
軌道修正を入れてきたといっても、それは、
「どっちにしても、“子供が嫌いだから独身”説は違うみたいね」
程度の軌道修正だったが。


ミーティング開始から既に55分が経過。
意見は百出したが、『社会人としても医師としても模範的で、夫としての条件も揃っている瞬先生が、なぜ 浮いた噂一つなく 独身なのか』についての答えが判明する気配は全くない。
そして、光が丘病院では、事前に定められた時間を延長してのミーティングは許されていなかった。
結論が出なくても、ミーティングは時間内に終えなければならない。
これは、24時間 患者を見守り続ける看護師の業務を遂行するためでもあるが、定められた時間内に結論に至らない話し合いは、そのまま だらだら続けても結局 結論は出ず 時間の無駄になる――という院長の考えによる。
壁に掛かった時計を見て、議案提出者の新人看護師はミーティングの総括に入った。

「そろそろ時間です。このままミーティングを続けても 答えは出そうにないので――。このミーティングの議事録と、質問状を瞬先生に送ることにしましょう。『瞬先生に結婚の意思はないんですか』って」
それまで 新人看護師たちと ほぼ同じレベルで噂話に興じていた先輩看護師が、初めて お目付け役らしいことを口にしたのは、まさに その時――残されたミーティング時間も残すところ、あと2分という段になってから――だった。
「結婚の意思を訊くのは、逆セクハラになるかもしれないから、その質問内容は駄目。議事録を送って、『ご感想をお願いします』にして」

「逆セクハラしてみたーい!」
瞬先生に厳しくされたい精神科の新人看護師が また奇天烈な声を上げ、同期の神経内科の新人看護師に、
「あんた、そればっか」
と突っ込みを入れられる。
無事に(?)落ちがついたところで ミーティング終了の時刻になり、光が丘病院のミーティング実施ルールにのっとって、お目付け役の先輩看護師の一人が 新人看護師たちに解散を指示した。

「はい。以上で、今日のプリセプティ・ミーティングは終了します。意見がたくさん出て 白熱した 大変 有意義なミーティングでした」
「議題がよかったですからー。みんなが興味あって、絶対に悪口が出てこない先生って、他にいないですよねー」
「うちの病院に来て 日が浅いのに、それが わかっているということは、看護師間の情報連携が十分に できているということ。大変 いいことです。これからも、活気に満ち 働きやすい職場を目指して、皆さん、一層 努めてください。解散」
「お疲れ様でしたー!」
――という流れで、光が丘病院の2月第1週のプリセプティ・ミーティングは活況のうちに、(結論が出ないまま)終わったのである。






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