「キグナス、ドラゴンはともかく、アンドロメダは また数百年くらいは継承者が出ないんじゃないか」
星矢がアンドロメダ聖衣の特殊性に 繰り返し言及するのは――固執するのは――実は 彼がアンドロメダ聖衣の継承者に最も関心があるからだったろう。
あのピンクの聖衣を瞬の次にまとう人間をこそ、星矢は見たくて仕様がないのだ。
「ドーシテ? アテナの聖闘士は いっぱいいた方がいいんデショ? アンドロメダの聖衣はピンクで可愛いヨ?」
そして、ナターシャが星矢の言葉を奇異に思うのは、アンドロメダの聖衣が最もナターシャの好みに合致しているから。
お店にある洋服やリボンが可愛いものから売れていくように、聖衣も可愛いものに人気が集中するのが自然で当然だと、ナターシャは思っているに違いない。
可愛いピンクの聖衣の引き取り手が数百年も現れないだろうという星矢の推測が、ナターシャは不思議でならないようだった。
しかし、聖衣は、洋服やリボンとは存在の質が違うのだ。

「アンドロメダの聖衣が可愛いのは、聖衣をまとってるのが瞬だからだ。この聖衣を着こなすのは、相当 可愛い子じゃないと無理なんだよ。このピンクの聖衣をさ、瞬以外の誰かが装着してるとこを想像してみろ。俺や氷河や紫龍や一輝が」
「エ……」
星矢に そう言われて、ナターシャは律儀に想像してみたらしい。
アンドロメダ座の聖衣を身にまとい、お花畑の中で微笑んでいる星矢と パパと 紫龍と 一輝の姿を。
氷河の膝の上で、ナターシャの顔が徐々に引きつり始める。
息をするなと言われたわけでもないのに、なぜか呼吸まで止めて、ナターシャは その作業に真剣に取り組んでいるようだった。

「おい、ナターシャ、大丈夫か」
ひどく苦しそうな様子のナターシャを案じて、星矢がナターシャに声を掛ける。
その時が、ナターシャが息を止めていられる限界だったらしい。
次の瞬間、顔を真っ赤にして 頬を膨らませていたナターシャは、肺にため込んでいた空気を ぷはーっと盛大に吐き出した。
いたいけな幼児に、それは あまりにも厳しい試練だったのだろう。
「ナターシャ、頭が破裂しそうになったヨ !! 」
星矢に 報告するナターシャの声は、九死に一生を得た人間のそれだった。
さもありなんとばかりに、星矢が深く頷く。

「だろ? アンドロメダの聖衣はさ、瞬くらいの可愛さと瞬くらいの小宇宙がないと着こなせない超難しい聖衣なんだよ」
「ソッカー。モッタイナイネ。こんなに可愛いのに……」
アンドロメダの聖衣は可愛くないと着こなせないという星矢の説明に、ナターシャは、一片の疑いもなく心の底から同感したようだった。
そして、心の底からモッタイナイと思っているらしい。
「そ……そうだね……」
ナターシャが あまりに真面目な顔をして、可愛い聖衣の行く末を憂えているので、聖衣に対しても聖闘士にとっても、“可愛い”は褒め言葉ではないのだと、言いたくても言えない。
息を止めて真っ赤になるほどではなかったが、星矢とナターシャのやりとりは、瞬にとっても かなりの試練――むしろ屈辱――だった。


ナターシャが やたらとアンドロメダの聖衣に『可愛い』を連発することの意味を、その時点で、大人たちは気付くべきだったのである。
気が付かなかった彼等は、地上の平和を守るために戦うアテナの聖闘士であるにもかかわらず、危機感知能力が決定的に不足していた――と言わざるを得ない。
このところ 平和なファミリードラマに どっぷり浸かっていたせいで、彼等はバトル漫画にあるべき緊張感を忘れていたのかもしれなかった。

「聖闘士になるには、ドーすればいいの? 星矢お兄ちゃんたちは ドーヤッテ聖闘士になったノ?」
大人たちに尋ねてくるナターシャの口調は、あどけない少女のもの。
興味津々の(てい)で尋ねられても、そこにあるのは子供らしい無邪気な好奇心だけなのだと、大人たちが考えても――否、大人たちは“考えて”さえいなかった――それは致し方のないことだったかもしれない。
星矢が わざとらしく苦渋の表情を作って、彼が“ドーヤッテ聖闘士になったのか”をナターシャに伝授したのも、子供を楽しませるための芝居を演じただけのことだった――星矢は そのつもりだった。
残念ながら、ナターシャは その芝居をあまり楽しんではくれなかったようだったが。
むしろナターシャは、いよいよ真面目で真剣な顔つきになっていったのだが。

「聖闘士になるにはさ、うーんと厳しくて恐い先生の許で、つらくて痛い修行に何年間も耐え続けなきゃならないんだ。殴られたり蹴られたり、毎日、阿呆、馬鹿、すかぽんたんって怒鳴られながら」
「マーマやパパも、何年も つらくて痛いシュギョーをしたの? 毎日、厳しくて恐い先生に すかぽんたんって怒鳴られてたノ?」
「すかぽんたんは言われなかったけど、かなり大変だったかな。僕は、海の中にある大きな岩に鎖で縛りつけられて、自分一人で脱出しなきゃ溺れ死んじゃうテストを受けて、やっと聖闘士になったんだよ」
「俺は、よくシロクマと戦わさせられたな。それも 空腹のせいで目が血走っている凶暴なやつと」

「ソンナに危ないコトしなきゃ、聖闘士には なれないの?」
「聖闘士には強い身体だけじゃなく、どんなことにも挫けない強い心も必要だから、何があっても慌てないように、わざと危ないことをしたりもするんだよ。危ないことに慣れていれば、本当に危ない目に会った時、どうすればいいのかがわかるでしょう?」
「ソッカ。危ないコトの練習をするンダ。聖闘士の先生も聖闘士なの?」
「そうだよ。僕と星矢の先生は白銀聖闘士、氷河と紫龍の先生は黄金聖闘士だよ」
「ソーナンダ! 聖闘士の先生は聖闘士なんダ!」

瞬たちは、つらくて痛い修行の話をしたつもりだったのだが――そんな話を聞かされたというのに――なぜか ナターシャが嬉しそうに瞳を輝かせる。
“何かが おかしい”と、大人たちは気付くべきだったのである。
気が付かないから、彼等は、
「……ナターシャもアテナの聖闘士になろうカナー……」
などというナターシャの呟きを聞く羽目になってしまったのだ。






【next】