島の半分は、白い砂と岩だらけの浜。
残りの半分は、緑の樹林を抱いた山。
俺が、おかしな様子の島と感じた島は、本当に おかしな様子の島だった。
瞬が暮らす館は 白い砂と緑の山の ちょうど境目に建っているんだが、館の前方は見通しのいい砂浜、そして、俺が瞬に連れていかれた館の裏手は 花が咲き乱れる花園になっていて、その花園の緑は この島で ただ一つの山に つながっている。

山には たくさんの果樹があり、澄んだ真水の湧き出る泉もあって、それが川となり、途中から地中に潜った川は この館の地下にまで続いているらしい。
館の裏手は山に守られ、前方は敵の侵入を発見しやすい砂地の平地。
飲み水もあり、果樹もあり、心を慰撫する花園まである、不自然なほど よくできた島。
更に、欧州屈指の繁栄を誇っているイタリアの街から そのまま運んできたような、この島唯一の建造物。

神や魔物が作ったのでないなら、あまりにも整いすぎていている この環境。
この環境を整えることは、人間の力では不可能――とまでは言わないが、人間業なら百人単位の労働者を駆使しなければ実現することは、まず不可能だ。
瞬は どう見ても ただの絶世の美少女だから、何らかの特別な力を――それが神の力か、魔力か、権力なのかは定かじゃないが――持っているのは、瞬の兄の方なんだろう。
俺はアテナの聖闘士で、普通の人間とは言い難い人間だが、そんな俺でも、この島の姿に違和感を覚えずにいられない。
普通の人間なら、違和感だけでなく、不気味さだって覚えるはずだ。

この島の事情を 瞬が俺に語ってくれたのは、どうやら 苦境にある人間(つまり俺のことだ)に救いの手を差しのべてやれない心苦しさに 突き動かされてのことのようだった。
館の裏手の入り口から地下室に下りたのは、猜疑心の強い兄の目を逃れるためと、そこに飲料水があるからで、人気のないところで 俺と二人きりになるためではないようだった。
残念ながら、そういう嬉しい理由からではないようだった。
瞬の罪悪感のおかげで、アテナに探ってくるように言われた“人間業でないこと”の全貌を、労せずして把握できたのは有難かったから、文句を言うつもりはないんだが、残念なことは残念だ。

瞬が俺に語ってくれた この島の事情は、十分にアテナとアテナの聖闘士が乗り出さなければならないものだったので、俺は、俺にとって残念な状況を、のんびり残念がってもいられなかったが。
“人間業とは思えないこと”は、確かに人間業ではない事情だった。


この島は、現在 無人島ではない。
無人島ではないが、現在の島の人口は、僅か3人。
瞬と、瞬より2歳年上の瞬の兄の一輝。
そして、侍女として、二人と共に この島に渡ってきたパンドラという名の女――といっても、十代の少女。

人が生きていくのに最低限 必要なものは この島で得られるが、それ以外の食料や衣料品、生活雑貨は週に1度、船が運んでくるらしい。
この館や 瞬が身に着けているものがイタリア風なのは当然のことで、瞬の兄は、なんと前ミラノ大公。
それが よんどころない事情によって大公の地位を捨て、この島に隠れ住むことになった――んだそうだ。
そして、その“よんどころない事情”というのは、アテナが感じていた通り、人ではなく神によって もたらされた不都合。
瞬の兄に大公の地位を捨てることを余儀なくさせた、傍迷惑な邪神の正体もわかった。
問題の邪神は、アンドロメダ島の土着の神ではなく、ギリシャの神。
それも大物中の大物――超大物。
なんと、冥府の王ハーデスだというんだから、アテナが彼女の聖闘士を この島に派遣する必要を感じたのも、当然といえば当然のことだったんだ。
冥府の王ハーデスといえば、神話の時代からアテナ陣営との聖戦を繰り返してきた、アテナと聖域の宿敵といっていい神だからな。

俺は、男に興味がないんで知らなかったんだが、ハーデスというのは(もちろん男だ)途轍もなく面食いの神らしい。
瞬は そうは言わなかったが、瞬の話を聞いた限りでは そういう評価を下さざるを得ないな。

ミラノ大公だった瞬の兄は、ハーデスによる不都合がもたされるまでは 一応 カソリックだったらしいが、今は神と名のつくものを すべて毛嫌いしているということだった。
気持ちは わからないでもない。
なにしろ、場所もあろうにミラノ大聖堂で、一応カソリックだった一輝の前に 堂々とギリシャの神が現われ、地上で最も清らかな心の持ち主を差し出せと命じてきたんだ。
キリスト教の神なんて頼るに値しないと 一輝が断じたとしても、誰が それを不信心と非難することができるだろう。
ローマ教皇にだって、その権利はない。

“地上で最も清らかな心の持ち主”というのは、無論、瞬のことだ。
俺だって、神の身勝手に激怒する。
当然のことながら、一輝はハーデスの要求を拒絶。
キリスト教の神を軽く足蹴にできるらしいハーデスに、国はどうなってもいいのかと脅されて、瞬の兄はミラノ大公の地位と国を捨てた。
そして、ハーデスの報復が自国と自国の民に及ばないように、この絶海の孤島に渡ったんだ。

もはや神など信ずるに値しないという確信を抱いていた一輝を 猜疑心の塊りにしたのは、彼の家臣たちが 国のために瞬をハーデスに差し出そうとしたからだったらしい。
それで、瞬の兄は、清らかな弟以外の誰も信じられない人間になってしまったんだな。
瞬は、兄を そんなふうな人間にしてしまったことに罪悪感――というか、負い目を抱いているようだった。
瞬の兄が、神も人間も信じられない男になってしまったのは 瞬のせいじゃないと思うんだが。
それこそ、瞬以外の人間と神のせいだろう。

ちなみに、ミラノ大公位を放棄した一輝が 瞬と共に この島に渡ったのは、パンドラの導きだったとか。
パンドラは、代々 ミラノ大公家に仕えてきた家の娘で――“仕えてきた”といっても、それは大公家の子弟に乳母を輩出するという仕え方だったらしいが――大公家に何かが起きた時の避難場所として、この島の管理を秘密裏に受け継いでいたらしい。
彼女に その仕事を引き継いだ両親は 数年前に亡くなったそうだが、彼女は万一の時、大公家の人間が この島で快適に暮らせるよう、永遠に訪れないかもしれない“万一の時”に備えて、この島と館の保全に努めていたんだとか。

神か魔物でなければ整えられない この島の環境。
人間なら百人単位の人員を動員しなければ整えられない この島の環境は、神の強大な力ではなく、大勢の人間の力でもなく、パンドラが手配した ごく少数の人間が長い時間をかけて維持改善してきた成果だったらしい。

この島同様、よくできた――胡散臭いほど できすぎに思える話だが、猜疑心満載の瞬の兄も、彼女を退けることはできず、パンドラに この島への同行を許したらしい。
まあ、パンドラの案内がないことには、瞬の兄もこの島に渡ることはできなかったんだろうから、逃避行への同行を許可したからといって、瞬の兄が彼女を無条件に信頼している――ということでもないようだったが。

ともあれ、この島の事情は、そういうこと。
アテナが 怪しい気配を感じるはずだ。
元凶が、アテナの宿敵ハーデスの面食いという病気にあったんだから。
瞬は、自分のためにミラノの大公位を捨てることになった兄に負い目を感じ、兄に逆らうことができないらしい。
人間不信と神不信を発病して猜疑心でいっぱいの兄は、見知らぬ人間(俺のことだ)が この島での兄妹(と侍女)の隠遁生活に割り込んでくることを快く思わないだろう――むしろ、不快に思うだろう。
最悪の場合、ハーデスの手の者と誤解して 始末することを考えることもあるかもしれない。
瞬は、何より その事態を恐れているようだった。
元ミラノ大公だか前ミラノ大公だか知らないが、アテナの聖闘士である この俺が、所詮は一般人に過ぎない男に始末されるようなことなどあるはずがないのに。

綺麗で清らかなだけでなく、瞬は優しい心も備えている少女のようだった。
しかも善良で心配性。
可愛いじゃないか。
可愛すぎる。

こんなに可愛くて優しい子が、邪神の助平心のせいで、こんな辺鄙な島に隠れ住んでるなんて、人類の大損失。
人類の損失はさておくとしても、俺にとっての大不都合だ。
瞬は、この島を出て、明るく暖かい陽光のもと、多くの人間に その優れた美質を称賛され、輝かしい人生を(俺と一緒に)生きるべきなんだ。
そもそも こんな島に、若い男女が三人だけで暮らしてるなんて、淫靡の極み、不健康の極み。
いくら瞬の心が美しく清らかだったとしても、ずっと こんな小さな島に閉じ込められていたら、その澄んだ心さえ、暗く沈み、濁ってしまうことだってあるかもしれない。
瞬は、この島を出るべきなんだ。
ハーデスの面食い病の犠牲になる必要などない。
ハーデスなんぞ、俺が撃退してやる!






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