困難や不都合、トラブルというものは、その本当の原因がわかりさえすれば、解決し乗り越えることは 極めて容易だ。 大抵の人間は、その困難を生んでいる本当の原因を見極められないから、困難の泥沼から抜け出すことができないんだ。 昨日までの俺がそうだった。 ハーデスへの内通者(もしくはスパイ)であるパンドラの身の安全が保障されれば、瞬に聖域行きの決意をさせることができる。 瞬が その決意をすれば、何よりも弟の身の安全と幸福を願う一輝も、この島に こだわることはしない。 もちろん、俺の恋も実る。 そのためには、アテナに連絡を入れて、パンドラを含めた この島の住人全員を聖域に保護してもらえばいい。 パンドラを含めた この島の住人全員を、アテナの力で瞬時に聖域に移動させ、パンドラを含めた この島の住人全員を アテナに守ってもらえばいいんだ。 いいんだが――。 俺が聖域に戻ってアテナに助力を頼むわけにはいかなかった。 その間に、ハーデスと虫けら以下の神たちが 瞬を無理矢理 拉致していかないとは限らないからな。 虫けら以下のあの神は かなり短気そうだったから、その可能性は小さなものではない。 たとえば、俺がこの島で極限まで小宇宙を燃やせば、俺の願いはアテナの許まで届くかもしれないが、そんなことをすれば、ハーデスの手下たちにも 俺がしようとしていることが筒抜けになるだろう。 アテナの聖闘士の小宇宙は――少なくとも、俺の小宇宙は――いわゆるワープができない。 俺が 俺の小宇宙をアテナの許に届けようとしたら、俺の小宇宙は このアンドロメダ島からインド洋を北上し 地中海を飛び越えて、ギリシャのアテナの許に飛んでいかなければならないんだ。 無論、人の思念や小宇宙の速度は 光より速いが、神ってのは 光速以上の神速。 アテナと虫けら神たちが同時に動き始めたら、先に瞬に手を掛けられるのは、あの虫けら神たちの方だ。 アテナは、お出掛け前の準備に いつも結構な時間をかけるから。 ええい、くそっ。 どうして俺は、一人でここに来たんだ。 アテナは、どうして俺一人だけを この島に派遣したんだ。 想定外の事態が生じた時、一人が現場に残り、もう一人が情報伝達の務めを担うのが、斥候の常道だろう。 聖域行きに同道してくれとパンドラに頼んで、素直にパンドラが一緒に来てくれるとは思えないし、俺には 人や物を瞬間移動させられるほどの力はない。 せっかく 困難を生んでいる真の原因が わかったというのに、それ以降も、どうしたものかと悩む俺の日々は変わらなかった。 ただ、悩む問題の内容が変わっただけで。 いや、変わったことが もう一つあった。 どうしたものかと悩む俺と一緒に悩む人間が 一人 現れたこと。 つまり、一輝が。 パンドラを、ハーデスの側からアテナの陣営に寝返らせることはできないか。 定期的に島にやってくる物資運搬船を使えないか。 瞬の身を守るための方策を、俺は瞬の兄と一緒に あれこれ考えることになったんだ。 俺と一輝が何のために頭を突き合わせて相談しているのかも知らず、瞬は、 「氷河と一輝兄さんが仲良くなってくれて嬉しい」 と、その状況の変化を素直に喜んでいた。 瞬が嬉しくなってくれて、俺も嬉しいぞ、ったく。 だが、まあ、瞬に 絶対の信頼と深い愛情を抱かれているという点で、一輝は極めて不愉快な存在だったが、奴は救い難いほどの悪党じゃない。 そして、アテナを完全に信じているわけではないが、全く信じる気がないわけでもないようだった。 人間の力(だけ)では、ハーデスに瞬を諦めさせることはできないことも――神であるハーデスは人間の都合や考えなど意に介さないということも、一輝は承知している。 その上で、一輝は、俺に 一人で聖域に戻れと言った。 『そのまま帰ってこなくてもいいが、帰ってくるまで瞬は俺が守る』と。 突然 途轍もない幸運が天から降ってきて、この島と 俺たちの状況が変わらない限り、そうする以外に 対応のしようがないことは、俺にも わかっていた。 だが、俺は一輝を信用できない。 一輝という男の人間性ではなく、一輝の力を。 一輝は 普通の人間なんだ。 いかに瞬を守るために力を尽くすといったって、相手は冥府の王ハーデス。 ギリシャの神々の中でも五指に入るほど強大な力を持つ神だ。 同等か それ以上の力を持つ神――つまり、アテナでなくては太刀打ちできない。 あの 虫けら以下の神たちも、『その方がハーデスの益になる』と言って パンドラが牽制してるから、 暴挙に及ぶのを我慢しているだけなんだ。 俺が瞬の側を離れるわけにはいかない。 『貴様には 瞬を守る力がない』と 本当のことを言うと、一輝が荒れるだろうし、俺は アテナの聖闘士であるがゆえに、そんな一輝と一戦交えるわけにはいかないんだ。 俺が そんなことをしたら、弱い者いじめになってしまうからな。 進むもならず、退くもならず――為す術もなくも時間だけが過ぎていく。 瞬は、俺が この島に留まり続けていることを(単に動けずにいるだけのことなんだが)喜んでくれて、このまま ずっと俺がこの島にいてくれればいいのにとまで言ってくれた。 瞬は可愛いし、一緒にいると気持ちが和み、胸が弾む。 いっそ 瞬の言う通り、この島に永住してしまおうかと、俺は考え始めていた。 そして、俺が瞬を守ればいいんだ――と。 それで瞬の身が守られ、俺が幸福でいられるのは、ハーデスと その従属神たちが パンドラの意見を容れて大人しくしている間だけだということは わかっていたのに。 |