瞬と 雪の女王






ヒュペルボレイオスは、世界の いちばん北にある大きな国です。
世界で いちばん広い国ですから、国民もたくさんいます。
国の北方では金やダイヤや石炭などの鉱物資源に恵まれ、南方は 土地が肥沃で農業が盛ん。
北方で採掘される金やダイヤは宝飾品や工芸品として、石炭は もちろん日常生活や各種産業のエネルギーとして 国民の暮らしを豊かにし、南方で収穫される麦や野菜や果物は、食料として 多くの国民を養っていました。
広い国土のあちこちでは 牧畜も行われていましたし、国の周辺の海では魚も たくさん獲れました。

神々が住まう天上界ではありませんから、誰もが裕福で、誰もが不自由のない暮らしを営み、誰もが健康で、どんな争いもなく平和な理想郷というわけではありませんが、ヒュペルボレイオスは地上世界で人間が営む国としては最上の部類。
ヒュペルボレイオスに生まれた人間のほとんどが、自分の命を生き終えて、また人間として生まれ変わるのなら、やっぱりヒュペルボレイオスの民に生まれ変わりたいと願うような――ヒュペルボレイオスはとても幸福な国だったのです。

そんな幸福な国が 雪と氷に覆われた不毛の地になったのは、今から1年ほど前。
ヒュペルボレイオスの王様が病で亡くなって、まだ十代だった王子様が 新国王に即位することになった戴冠式の日のことでした。
ヒュペルボレイオスの王子様は17歳。
成人するまでには あと1歳ほど お歳が足りなかったので、王子様が成人するまでの1年間、王子様の お母様が摂政女王として ヒュペルボレイオスの国を治めることになったのです。

ところが。
それまで国民の誰も知らずにいたのですが、摂政女王になった 王子様のお母様が 強大な魔法の力を持った魔女だったものだから、さあ大変。
王子様の戴冠の儀を執り行うためにやってきた偉い教皇様が 王子様に王冠を授け、摂政女王の証である王笏を王妃様に手渡した途端、女王様は王子様の頭上に輝く王冠を凍りつかせてしまったのです。
戴冠式に列席していた きらびやかな衣装をまとった来賓の貴族たちは、思いがけない事態に びっくり仰天。
彼等以上に びっくりしたらしい王子様は、凍りついた王冠を、戴冠式が行われていた大広間の床に放り出してしまいました。

「魔法だ……! 魔法の力で、王冠が凍りついてしまった……! なんと不吉な……」
誰かが そう呟くと、その呟きは さざ波のように大広間に広がっていきました。
「魔法だ。魔法の力」
「なんて不吉な」
その言葉の さざ波が 大広間の端まで届いた時、摂政女王となった王妃様は 突然 大きな声で叫んだのです。
「私は、すべてを凍らせる力を持った魔女。この王冠のように凍りつきたくなかったら、皆、今すぐ この王城から立ち去りなさい!」
と。
何て恐ろしいことでしょう。
戴冠式に列席していた貴賓たちは、もちろん すぐに大広間から、王城から、逃げ出していきました。
偉い教皇様も、もちろん。
恐ろしい魔法の力を持った女王様が、その魔法の力で ヒュペルボレイオスの王城のすべてを凍りつかせてしまうのに、さほどの時間はかかりませんでした。

恐ろしい その魔法の力を、女王様は それまでずっと隠していたのでしょう。
ヒュペルボレイオスの女王様になって、国内に 自分より偉い人がいなくなり、恐いものがなくなったので、女王は様 ヒュペルボレイオスを氷雪で覆ってしまったのでしょう。
ヒュペルボレイオスの王城は、国の中央にある小高い丘の上に建っていたのですけれど、戴冠式の日、水晶のように輝く氷が 豊穣と平和の象徴だった王城を氷の城に変え、次いで、花吹雪のような雪が 繁栄を極めていたヒュペルボレイオスの都を真っ白に塗り替えてしまったのです。

招待客や教皇様たちだけでなく、戴冠式のお祝いのために 王城に集まっていた多くの国民も、王城を警備していた衛兵や召使たちも皆、王城が建っている丘を駆け下り、丘の麓に広がる都の自分の家に逃げ帰りました。
寒さや氷雪を恐れるからではなく、強大な魔法の力を持つ女王様を恐れて。
逃げ出した都の住人たちは、それから しばらく、自分の家の奥で震えながら、息を潜めて 成り行きを見守っていました。
王城を包んだ氷が、丘の下に広がる輝かしい都をも白く冷たい街に変えていくのを。
その雪と氷が早く消えるようと祈りながら。

けれど、ヒュペルボレイオスの都を白く染めた雪は いつまでも消えず、都は どんどん雪に埋もれていきます。
このまま都にいると、王城だけでなく、王城のあった丘だけでなく、自分たちも、都と一緒に凍りついてしまうだろう。
そう考えた都の住人たちは、ヒュペルボレイオスの都から南方に向かって脱出を始めました。
お金持ちから順に、馬車に家財道具を積み込んで。
王城から始まった雪と氷は 南方にも どんどん広がっていたのですけれどね。
半月もしないうちに、ヒュペルボレイオスの都に残っているのは、雪道を移動できる馬車や荷車等の手段を持たない貧しい人たちと、遠くに逃げていけるほどの体力のない老人や病人だけになってしまったのです。


誰もが女王様を憎んでいました。
当たりまえです。
『世界一幸福なヒュペルボレイオス』と 他国の誰もが羨んでいた豊かな国が、新国王の戴冠式から半月も経たないうちに、雪と氷の下に埋もれてしまったのですから。
王子様は、女王の言いなりなのか、あるいは凍らされてしまったのか、戴冠式以降、行方知れず。
このままでは、ヒュペルボレイオスの国は滅んでしまいます。
冷酷な雪の女王を退治しようと、勇気ある者たちが幾人も氷の城に乗り込もうとしたのですが、王城のあった丘は 今では すっかり険しい氷の山になっていて、誰一人 氷の山の上の王城に行き着くことはできなかったのでした。






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