「おまえは山を下りて、おまえの暮らしていた場所に帰れ。登ってきた道を逆に辿っていけば、おまえ一人でも山を下りることはできるだろう。俺の絶望は いずれ、ヒュペルボレイオスの国どころか世界中を凍りつかせてしまう。最期に一緒にいたい人の許で、最期の時を迎えるといい」
氷河が瞬に そう言って大広間を出、自分の部屋に閉じこもったのは、自国の民を幸福にするどころか、国そのものを滅ぼそうとしている愚かな国王を軽蔑し 憎むようになった瞬が、悄然と肩を落として王城を出ていく姿を見たくなかったからでした。
そんな姿を見てしまったら、自分の心は 悲しみと自分への怒りのために 今より一層 荒れ狂って、世界の滅亡の時を早めてしまうだろうと思ったから。
壁も床も、寝台すら凍りついている自分の部屋で、 こうなることは わかっていたのに、どうして自分は瞬を この城まで導いてしまったのかと、氷河は 自分のしたことを後悔したのです。

氷河が 力づくで瞬を この山から追い払わなかったのは、瞬が『女王様にお願いして、ヒュペルボレイオスの国を救ってもらう』と言ったからでした。
『悪い魔女を退治しに行く』と言わなかったから。
これまで 氷の山を登ろうとした大人たちは皆、女王を退治しに城に行くのだと言って、氷河の心を乱しました。
氷河がそうしようと思わなくても、彼等が口にする彼等の目的は 氷河の心を憤らせ、激しい吹雪を生んで、彼等を山の下に追い返してしまったのです。

けれど 瞬は――瞬だけは、自分こそ正義と信じていた他の大人たちとは違っていました。
小さくて、細くて、女王を悪者だと決めつけていなくて、そんなに優しい心を持っているのに、瞬は決して諦めようとしないのです。
氷河は、自分の愛が母を救えないと わかった瞬間に、さっさと すべてを諦めてしまったのに。
あんなに小さくて 細かったら、呪われた氷の山に挑もうなんて、普通は考えません。きっと、思いつきもしません。
けれど 瞬はそうすることを決意し、実際に挑み、そして やり遂げてしまいました。

氷河は、瞬の その強さが羨ましかったのです。
瞬と一緒にいたら、自分も強くなれるような気がしました。
できることなら、ずっと瞬と一緒にいたかった。
それは、見果てぬ夢でしたけれどね。
「氷河。扉を開けて。そこから 出てきて。何か方法を考えよう。きっと何か、いい方法があるよ……!」
氷河の部屋の扉の外で泣きながら訴えていた瞬の声も、もう聞こえなくなりました。

その華奢な身体に似合わぬ強い心を持った瞬も、さすがに この国の王の弱さと愚かさに呆れ、見捨ててしまったのだ。
瞬はヒュペルボレイオスの国と王を救うのを諦めて、瞬の大切な子供たちの許に戻っていってしまったのだ――。
そう考えて、氷河は、悲しさが尾を引いているような長い溜息を洩らしました。

こんな事態を招いたのは 自分自身。
瞬に愚かな王を見捨てさせたのも 自分自身。
母を救うことができないのなら、世界が滅んでしまっても構わないと考えたのも 氷河自身でした。
本当は――氷河は 今は、世界が滅んでもいいなんて思ってはいなかったのですけれどね。
氷河は 今は、瞬のために、世界を救えるものなら救いたいと思っていました。
そのために どうすればいいのかが わからないから、何もせずにいるだけで。

世界を救うには どうすればいいのか。
まさか、その答えが、向こうから自分の許にやってきてくれるなんて、氷河は思ってもいなかったのです。
けれど、それは やってきました。






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