After Carnival






「おまえ、最近 やたらと瞬を構ってるな」
星矢が氷河に そう告げたのは――もしかしたら 彼は、“告げた”のではなく“尋ねた”のだったかもしれない――殺生谷で死んだと思われていた瞬の兄が 実は生きていたことが わかって まもなく。
めでたく 幼馴染みたちが揃い、幼い頃のように 皆で楽しくやっていけると思われたのも束の間、『俺は群れるのが嫌いだ』と 訳のわからないことを言って、一輝がまた 幼馴染みの輪から離脱して数日が経った頃だった。

なぜ一輝が生きているのか――墓まで作って弔ったというのに、なぜ彼が生きているのか――彼の仲間たちは誰も合点がいっていなかったのだが、それでも、瞬の兄の生還を 氷河は素直に喜んいた――喜んでいるように見えていた。
氷河は一輝に『生きていてよかった』と言い、彼が“仲間”の一員になることに難色を示すようなこともしなかった。
にもかかわらず、群れることを嫌って 一輝が城戸邸を出ていった頃には、氷河と一輝の間には 極めて険悪な空気が漂っていた。
それで一輝は 居心地が悪くなり、城戸邸を出ていったのではないかと、星矢は思うともなく思っていたのである。

思い起こせば、殺生谷での戦いは、氷河にとって最悪なものだった。
血のつながった実の弟をすら倒そうとする一輝から、氷河は瞬を庇ったのに、瞬は 氷河が倒そうとしている兄を庇い、おかげで氷河は一輝の拳を受けることになった。
あげく、鳳凰座の聖闘士の最悪の拳である幻魔拳。
一輝が殺生谷で命を落とした(ことになっていた)からこそ、氷河は一輝への わだかまりを捨てることもできたのだろうに、実は一輝は生きていた。
その死で清算されたことになっていた わだかまりが、氷河の中に蘇ってきても不思議なことではない。
その氷河が やたらと瞬を構っている。

聖闘士として再会した時は――殺生谷のバトル以前には、星矢も 氷河が瞬を やたらと“構う”ことを さほど奇異なこととは思っていなかった。
中断されたとはいえ ギャラクシアンウォーズでのバトルで、10人の青銅聖闘士たちの強さのレベルが ある程度 明瞭になり、青銅聖闘士たちは実力上位のグループと下位グループに分けられることになった。
その上位グループで、天馬座の聖闘士と龍座の聖闘士が死闘を繰り広げた者同士で 何となく わかり合った状態になっていたので、自然に 白鳥座の聖闘士とアンドロメダ座の聖闘士が つるむことになった――と考えれば、それは さほど不自然なことではなかったのだ。
瞬は人当たりがいいし、幼い頃も 瞬は氷河の不愛想を気にせず、彼に接していた。
瞬は 幼い頃から何かにつけて『兄さん、兄さん』だったが、その兄がいないのだから、氷河と瞬が近付くことは 決して おかしなことではない。

だが、殺生谷。
瞬は聖闘士になっても、幼い頃と変わらず 『兄さん、兄さん』なのだということを、殺生谷で 氷河は思い知ったはずだった。
かなり手痛く――へたをすると、命を落としていたかもしれないほど手痛く。

その上で、殺生谷以前と変わらず、氷河が瞬を構い続けているのであるから、そこには 殺生谷以前にはなかった理由があるはず。なければ おかしい。
――と、星矢は思っていたのである。
たとえば、瞬が味方である氷河より 敵である一輝を選び庇ったことで、氷河の中に一輝への対抗心が生まれたとか、仲間同士が守るべき仁義より 兄への情に流された瞬に反省を促そうとしているとか、氷河の行為には 何かしらの理由があるだろう。

生死にかかわる場面で 仲間より 敵である兄のために動いた瞬に、氷河が どんな他意もなく、何も感じず、それ以前と同じように接していられたら、それは おかしなことなのだ。
殺生谷以前と以後で、氷河が何も変わっていないはずがない。
もし本当に何も変わっていないのなら、氷河には記憶障害の気があるに違いない――。

そういう思索を経た上での、『おまえ、最近 やたらと瞬を構ってるな』だったのだ。
つまり、星矢は、
「おまえ、まだ 殺生谷のことを 根に持ってるのか?」
という事態を案じていたのである。
だから氷河は瞬をやたらと構っているではないか――と。

「おまえは何を言っているんだ」
本当に何を言われたのか わかっていない顔で、氷河が問い返してくる。
おかげで 星矢は――氷河が演技力などというものを持ち合わせているとは思えなかったので――本気で 氷河の記憶障害の可能性を疑うことになってしまったのだった。
「いや。だから、おまえ、瞬と一輝のせいで死にかけただろ」
とりあえず、その記憶があるのか ないのかを探る口調で告げた星矢に、氷河は 今度は“全く 理解できないもの”を見る目を向けてきた。

「俺は、そんな、過ぎたことを いつまでも ねちねち根に持ち続けたりはしない」
「でも、あれは遺恨を残して当然のシチュエーションだったろ。復讐とか意趣返しの機会を狙ってるんじゃなかったら、普通は避ける方にいくぜ。なのに、おまえが 瞬を構い続けてるってことはさ――」
「下種の勘繰りはやめろ。そんなことをして何になる」
少なからず苛立っているような色の声で、氷河が星矢の言を遮る。

「そうは言うけどさ。おまえは死にかけたんだぞ」
それでも星矢が言葉を重ねたのは、『本当に そうであればいい』という希望ゆえ。
決して 氷河が嘘をついていることを疑ったからではなかった。
まして、瞬を責めたり 傷付ける意図は皆無。
だから、星矢は慌てたのである。
いつのまにかラウンジのドアの前に 瞬が立っていて、そして、その頬を青ざめさせていることに気付いた時には。
同じく、瞬の姿に気付いた氷河が――彼は、場をごまかすことと、事実をはっきりさせることの間で 一瞬 迷ったらしい。
そして、氷河は 事実を はっきりさせることの方を選んだようだった。

「瞬は俺を傷付けようとしたわけじゃない。一輝を守ろうとしただけだ。瞬の心情を思えば――あれは一輝の弟として自然な振舞いだった。瞬が一輝を庇わなかったら、逆に 俺は瞬を冷たい人間だと思い、幻滅さえしていただろう。瞬は 責められるようなことはしていない」
「そ……そーだよな! うん。そうに決まってる。んでも、なら、なんで、おまえは やたらと瞬を構うんだ? もしかして、おまえ、そっちの趣味でもあんのか?」
もちろん、星矢は、冗談のつもりで そう言ったのである。
瞬の青ざめた頬に血の気を取り戻すための、それは 渾身のギャグのつもりだった。
この場合、問題だったのは、そのギャグが氷河に通じなかったこと。
氷河が真顔で、
「瞬は俺の初恋の人に似ているんだ」
と答えてきたことだったろう。

「はへっ !? 」
素で、星矢は素頓狂な声を室内に響かせてしまったのである。
殺生谷も、青ざめた瞬の頬も、自身の きまりの悪さも、瞬時に どこかに飛んでいく。
氷河は何を言っているのか――突然 何を言い出したのか。
星矢は、氷河が口にした日本語の意味を、咄嗟に理解することができなかった。
理解できなかったので、説明を求める。

「……初恋の人って、何だよ」
「初恋の人は初恋の人だ」
「おまえ、マーマ以外の人にコイなんてできる男だったのか !? 」
「それくらい、おれにだってできる」
軽く言ってのける氷河に、星矢は仰天した。
驚くなという方が無理な話だった。

氷河は、自分を殺そうとする敵にすら、あまり頓着しない男である。
自分を倒そうとするだけの敵なら、憎みもしないし、恨みもしない。
まともに認識することすら、しない。
だが、彼の愛する者を傷付けたり、奪おうとしたり、侮辱する者に対しては、全く実害を被っていなくても、強い怒りや憎悪の感情を抱く。
氷河は殺生谷でのことを根に持っているのではないかと 星矢が考えたのも、瞬の兄の幻魔拳の内容が内容だったから。
その内容を知らされたからだったのだ。
マーマを侮辱されて、氷河が冷静でいられるはずがない。
そう考えたから。
その氷河に恋の経験があったとは。
それは殺生谷が熱唱谷になって 因果の果てに飛んでいってしまうほど――星矢には驚天動地の事実だった。






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