ギリシャ、ペロポネソス半島の 中央にあるアルカディア。 そこは 地上の楽園と呼ばれていた。 気候は温暖。 農作物の実りは豊か。 人が手を掛けなくても 果樹は多くの実を結び、広い緑野では 羊や牛が のんびりと草を食んでいる。 地上の楽園アルカディアには、飢えている人間はいない。 凍えている人間もいない。 そこに住む人の心も、極めて穏やか。 飢え凍える不安がないというだけで、人の心は荒まないものらしい。 アルカディアは、だが、望めば誰もが住める地ではなかった。 アルカディアには 世俗的な欲を持つ者は住めない――という、神々によって定められた決まりがあった。 富や名誉、武力や権力を欲する者は アルカディアに住むことはできない。 神々に アルカディアに入る資格があると認められた者以外は、その地に入ることすらできない。 アルカディアに 王家がないのも、そのためだった。 国の王というものは権力を持つ者――少なくとも、その権力を維持しようという欲がなければ務まらないものであるから。 また、住人に欲がないということは、その世界が発展しないということで、ゆえに アルカディアの住人たちの暮らしは、ギリシャの他の地域に比べると 極めて素朴なものだった。 地上の楽園といわれるアルカディアの人口は少ない。 否、“増えない”と言った方が正しいのかもしれない。 外部からの移住が容易に許されないという要因によるだけでなく――地上の楽園に生まれた者が、必ずしも その幸運を喜ぶとは限らないから。 富や名誉、人より優れた者であることを欲する人間は多い。 特に 若者には多い。 アルカディアで生まれた子供たちは、長ずるに及んで世俗的な欲を持つようになることが多かった。 彼等は意気盛んな若者らしい野心を、意気盛んな若者らしく抱くのだ。 だが、アルカディアでは、畑も果樹も羊も牛も、野ウサギ1羽ですら、我が物とすることはできない。 それらは すべて特定個人のものではなく、アルカディアのもの。 そういうアルカディア社会のルールに飽き足りなくなった多くの若者たちは アルカディアに暮らす資格を失い、地上の楽園アルカディアを出ていくしかなくなるのだ。 アルカディアは、そうして 地上の楽園であり続ける。 とはいえ、アルカディアは、あくまで地上の楽園にすぎない。 永遠の命が約束されている冥界の楽園エリシオンとは異なり、地上の楽園アルカディアに住む者たちには必ず死が訪れる。 その事実を忘れぬよう、アルカディアには有名な石碑――墓の形をした石碑――があった。 その石碑には、『 Et In Arcadia Ego ――(我はアルカディアにもある)』と刻まれている。 つまり、死はアルカディアにもある――と。 氷河は、そんなアルカディアの住人だった。 他に係累のない母と、そこに暮らしていた。 氷河は、他の若者たちのように、長じてからも権力や富を求める気持ちを持つことがなかった。 氷河の“欲”は、ただ一つ。 母と平穏に暮らすことだけ。 その母が 地上の楽園アルカディアのルールに従って亡くなってからは、欲らしい欲もなく――氷河は ただ“死なないから生きている”だけの存在だったかもしれない。 死に瀕した母の最期の言葉。 「私がいなくなったら、氷河は 氷河の幸福を見付けなければならないわ。私との幸福、私たちの幸福ではなく、氷河自身の、氷河だけの幸福。必ず見付けてね。それだけが、私の願いよ」 その言葉を守るために 生きていなければならなかったので、氷河は生き続けたのだ。 ただ それだけだった。 |