聖域にて






小宇宙やテレパシーでの意思の伝達は、敵側に あの人がいるのだとしたら、こちら側の情報が筒抜けになる可能性がある。
有線無線にかかわらず、ネットや電波でのやりとりは、普通の人間――顔の無い者たちを“普通”と言っていいのかどうかについては、俺も悩むところだが――にハッキングされる危険がある。
となれば、俺が直接 日本に出向くしかないかと考えていたんだが、こういう方法があったとは。
あなたからの手紙を邪武から受け取った時には、この世界には そういう情報伝達手段があったのかと驚いてしまった。
そして、なぜ この方法に思い至らなかったのかと、自分で自分の迂闊に呆れてしまった。

異世界からの攻撃に接するまで、大抵のことは 小宇宙で感じ取り、テレパシーで伝えていたし、聖闘士の力を使うことが はばかられるような日常のこまごましたことを伝える際には、文明の利器に頼っていた。
幼い子供だった頃には想像もできなかったほど 情報伝達のシステムが発達した今、結局 手紙というアナログな方法こそが 最も秘密が保たれる安全な情報伝達手段だという事実は、実に皮肉なことだ。

実は、俺は手紙を書くのはこれが初めてなんだ。
宛名の書き方から、切手の入手方法まで、手紙を出す手順を教えてくれてありがとう。
相変わらず、細かいところまで気が回る。
これが星矢や氷河だったら――いや、書いても詮無いことは書くまい。

お察しの通り、俺は、読み書きを あの人に習った。
俺の一人称がオイラだった頃。
聖闘士としての基本、聖衣の修復師としての基本、人間としての基本。
俺は、すべてをあの人から学んだんだ。

あの人が俺の敵――いや、この聖域に敵対する者として、アテナへの反逆者として、俺たちの前に再び現れる可能性は考えたくない。
だが、考えないわけにもいかない。
考えるまでもなく、そうなるだろうことが、今の俺には感じ取れている。
そうなっても動じないように、考えておくつもりだ。――考えている。
あの人が敵側にいるからといって、戦うことなく屈することなどできるわけがない。
これまでずっと守り続けてきた この地上の平和を、これまで通り、命をかけて守っていくだけだ。

案じてくれて、ありがとう。
あなたは、相変わらず 優しい。
昔――あなたがまだ アンドロメダの聖衣を 身にまとっていた頃、冷徹に敵を倒すことをしないあなたを、『甘い』と評する者たちがいたが、当時から その評価は完全な間違いだったと、俺は思った――今も思っている。

あなたは優しいんだ。
いつも 人の心を思い遣る。
対峙する相手が敵であっても、思い遣りすぎるほどに思い遣る。
『甘い』のは、あなたではなく、氷河の方なんだ。
氷河も優しい男だと言えないことはないが――あなたは すべての人に優しく、氷河は彼が気に入った人間にだけ優しいから――そこが『優しい』と『甘い』の違いなのかもしれない。

ともあれ、手紙という手段を用いること、承知した。
判断や決定に急を要しないこと、たっぷり時間をかけて考えた方がいいことは、手紙で伝えることにする。
あまり俺のことは心配しないでください。
俺はもう、あの人のおまけだった小さな子供ではないから。

でも、ありがとう。
考えが堂々巡りになりそうな時、その迷いを文章に書き起こすのは、自分の思考や感情を整理するのは非常に有効なようだ。

もう一度、ありがとう。


聖域にて   
貴鬼






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