氷河と違って紫龍は、人の都合を考慮することを知っている。
紫龍が 氷河と瞬の家にやってきたのは、その翌日。
もちろん、事前に二人の予定と都合を確認し、アポイントメントを取った上でのことだった。

「翔龍が、氷河に訳のわからない呼び出しを食らって、訳がわからないうちに 追い払われたと、知らせてきたんだが」
友人宅訪問のマナーを守って 氷河と瞬の家にやってきた紫龍は、星矢を伴っていた。
何か面白いことが起きていることを期待して、星矢が自主的に くっついてきたのか。
あるいは、氷河の前日の無作法のせいで(氷河ではなく)瞬に いたたまれない思いをさせないように、星矢の陽性の気質で場を和ませるべく、紫龍が同道を要請したのか。
それとも、単なる習性か。
ともかく、紫龍は星矢と共にやってきた。

「ほんと、相変わらず、人の都合を考えない奴だな。どうせまたナターシャ絡みなんだろ? 今度は何なんだ? 本場物のチャイナドレスが欲しいと言い出したか、本物の北京ダックが見たいと言い出したか」
星矢の推測は 完全に的外れだったが、微妙なところで鋭いものだった。
もしナターシャが 北京ダックなるものの存在を知ったなら、彼女は それを『食べたい』とは言わず、『見たい』と言うだろう。
そして、東京にある北京ダックは 東京ダックだと主張するに違いなかった。
『食べたい』にしろ『見たい』にしろ、ナターシャの求めるものが北京ダックだったら、どんなによかったか。
瞬は、星矢(と紫龍)に 力なく首を横に振った。

「違うのか? んじゃ、何だよ。何か悩み事か? そんなら、この俺に相談してみな。命をかけた戦いを共に戦ってきた仲間のよしみで、力になってやるぜ」
到底“明るい”とは言い難い表情の瞬に、星矢が 明るく水を向けてくる。
だが、これは星矢の力で どうにかなることではない。

「星矢じゃ、ちょっと……」
「紫龍もいるから」
「紫龍がいても……」
こればかりは どうにもならない。
口ごもる瞬を見て、紫龍は 僅かに眉根を寄せた。
「俺や星矢では力になれないが、翔龍なら どうにかなるかもしれない問題とは何なんだ」

紫龍の疑念は 至極尤も。
瞬が 家庭の事情を紫龍に告げることにしたのは、問題の解決を彼に期待したからではなく、彼の息子に迷惑をかけたことを 申し訳なく思っているからだった。
『父さんの気持ちを味わえて、楽しかった』と翔龍は言っていたが、ナターシャの両親が 彼の都合を考慮せず、彼の時間を奪ったのは紛れもない事実なのだ。

「……ナターシャちゃんが、急に 妹が欲しいって言い出したんだ」
「へ?」
「なに……?」
星矢と紫龍は もちろん驚くだろうと、瞬は思っていた。
パパに溺愛され、パパが大好きなナターシャ。
そこにマーマ以外の誰かが割り込んでくることを ナターシャが望むことがあるとは――実際にナターシャに『妹が欲しい』と言われるまで、瞬も 想像したことすらなかったのだ。
もちろん、星矢と紫龍は驚くだろう。
そう瞬は思っていたのだが。

命をかけた戦いを共に戦ってきた仲間だから、瞬には わかった――瞬は気付いたのである。
星矢と紫龍の驚き方が おかしいことに。
二人の驚き方は、確かにおかしかった。
たとえて言うなら、『アテナの聖闘士の中に 裏切者がいるようなのだが、心当たりはないか』と相談された裏切者のように おかしかった。

「紫龍。何か知ってるの?」
「いや、まさか」
「知っているんだな」
「俺は何も言わないぞ」
聖闘士の善悪を判断する役目を担う天秤座の黄金聖闘士が、黙秘権の行使を宣言する。
「それで白状したようなものだ。星矢! 犯人は貴様か!」
「なんで わかるんだよ! 紫龍はまだ 何も言ってないだろ!」
紫龍はまだ何も言っていないが、星矢は自白したも同然だった。
「何も言わないから、わかるんだ。自分に非があるなら、紫龍はさっさと自供するからな」
「う……」

命をかけた戦いを共に戦ってきた仲間同士の絆の強さを 甘く見てはならない。
それは、相手の価値観も性格も――欠点も美点も長所も短所もすべてを知り、認め、受け入れた上で築かれる信頼(と不信)なのだ。
氷河、瞬、星矢、紫龍、そして一輝の間には、それがあった。
当然、隠し事は 看破されるのである。






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