「おーい、誰かー。アンドロメダー。いないのかー!」 ギリシャ、聖域、処女宮。 そのファサードに、どこか間の抜けた しゃがれ声が響いていた。 処女宮は、その建物自体は 聖域の十二宮の中では中規模の宮なのだが、その奥に沙羅双樹の苑があり、更に次元の捻じ曲がった特別製のホームセキュリティシステムまでが設置されている。 声の主が建物の中に入っていかずに 宮の入り口で 声を張り上げているのは、そこが 一般人が 迂闊に足を踏み入れるのは危険な宮だということを知っているからのようだった。 「おーい」 「誰か、いないのかー」 「アンドロメダー!」 今ひとつ緊張感の欠けた声が 響き始めて、およそ15分。 やっと宮の奥から、一人の男が出てくる。 「何だ、貴様は」 彼が 嫌そうな顔をしているのは、しつこい客への不快感というより、居留守を決め込もうとしていたのに、客の しつこさに根負けして出てきてしまった自分に腹を立てているから――のようだった。 宮の奥から出てきた金髪の男の 不機嫌の極致といった顔を見て、15分以上“アンドロメダ”を呼んでいた40絡みの男が、顔を歪める。 否、もしかしたら、彼の顔は 最初から歪んでいたのかもしれなかった。 「ここは処女宮で、元アンドロメダの聖闘士が ここにいると聞いてきたんだが」 「その通りだ」 「俺が知っているアンドロメダは、もっと こう、ちんまりしてて、大人しそうで、女の子のように可愛いツラをした、澄んだ目の持ち主なんだが」 「その通りだ」 「ということは、おまえはアンドロメダではない」 「当たりまえだ。貴様、俺の瞬を侮辱するつもりか! 聞いて驚け。俺は水瓶座の黄金聖闘士、アクエリアスの氷河様だ!」 「では、アンドロメダは 以前のままなんだな。俺の知らないうちに、アンドロメダの顔が こんな凶悪なツラに変わってしまったのかと慌ててしまった。アンドロメダが あの顔のままなら よかった。俺は、あの女の子みたいな顔をしたアンドロメダに用があるんだ」 心底から安心したように そう言う、中年の正体不明男。 いったい この男の何に腹を立てるのが正しいのか、氷河は 暫時 迷ってしまったのである。 水瓶座の黄金聖闘士の名乗りを華麗に無視してくれたこと。 水瓶座の黄金聖闘士と乙女座の黄金聖闘士を いっしょくたにしてくれたこと。 一般人(聖闘士ではないという意味で)の分際で、瞬の容姿を気安く評すること。 不細工な一般人の分際で、黄金聖闘士である瞬との面会が 容易に叶えられると思っていること。 怒りの原因を 一つの事柄に絞ることができなかった氷河は、結局 すべての要因を一つにまとめて腹を立てた。 「瞬に何の用だ」 「おまえに言う必要があるか?」 「ある」 「なぜだ」 「なぜ? もちろん、瞬のためだ。瞬が黄金聖闘士になって宮を任されるようになってから こっち、黄金聖闘士の仕事が何なのかわかっていない奴等が、やたらと瞬に妙な陳情をしに やってくるようになったんだ。やれ 修行がつらいだの、やれ 聖闘士になるコツ講座を開催してほしいだの、自分の指導者が信用できないだの、先の戦いで壊れた道を元通りにしてほしいだの、絶対に黄金聖闘士の仕事ではないことばかり。言っておくが、瞬は、聖域の町内会会長でも町議会議員でもないんだ。街灯の電球が切れているなら、その対応は アテナか教皇に依頼しろ。聖域の設備管理の責任者は 黄金聖闘士ではなく、多分 アテナか教皇だ」 それで 本当に 知恵と戦いの女神アテナに 電球交換を依頼する馬鹿者が現われたら、氷河は どうするつもりなのか。 アテナの聖闘士の資格を剥奪されても 文句は言えないようなことを平気で言い、氷河は 瞬への陳情者を追い払おうとしたのだが、(氷河にとって)幸いなことに、彼の用向きは 聖域の設備管理に関することではなかったようだった。 「それは大変だな。だが、俺の頼み事は、切れた電球の交換なんかじゃない。アンドロメダにしかできないことなんだ」 「アンドロメダじゃない。今はバルゴだ」 「だから、元アンドロメダの現バルゴにしかできない仕事なんだ」 「駄目だ。帰れ。貴様のように見苦しい男のツラを見たら、瞬の綺麗な目が、あまりの衝撃に耐え切れず、潰れてしまう」 「そうだったら、俺だって苦労はしない」 「なに?」 この見苦しい顔をした男は、自分の顔が人様の目を潰してしまうほど強烈な醜さを持っていないから――醜さが足りないから――苦労しているということなのだろうか。 この男が 自分自身を美しいと思っているのなら、それはそれで迷惑な話だが、自分に醜さが足りないと思い、更なる醜さを欲しているのなら、そんな おかしな美意識を持っている男には、より一層 瞬に近寄ってほしくない。 そんな男に比べれば、電球の交換依頼をしてくる馬鹿者の方が よほどましである。 と、氷河は思った。 だが、氷河が そう思った途端に 瞬がその場にやってくるのが、運命(もしくは、ストーリー進行の お約束)というものなのである。 |