秋が深まり イチョウ並木が金色に染まり始めると、光が丘公園にやってくる人々の足と心の多くは そちらの方に向くようになる。 空気と地面が冷たくなるにつれ 緑色より枯草色の割合が増す芝生広場の人気は、相対的に低下してしまうのだ。 週末には お弁当持参で芝生広場にピクニックにやってくる家族連れも多いのだが、光が丘公園の この季節の平日の人気スポットは何と言っても金色のイチョウの並木道。 そして、1年を通して不動の人気を誇るちびっこ広場だった。 秋冬は人気が今一つの芝生広場。 それでも ナターシャが芝生広場を好きなのは、以前 ここでヤモリを見掛けたことがあるから――だった。 芝生広場のあちこちにある休憩所の柱に貼りついていた、体長8センチほどの灰色の身体。 ナターシャはてっきり恐がるものと思っていたのだが、彼女は ヤモリの5本の指のある小さな手を可愛いと言って、少しも恐がる素振りを見せなかった。 「“家を守る”と書いてヤモリって読むんだよ。ヤモリは、みんなのおうちを守ってくれる優しい動物なの。今日は 天気がいいから、お外にお出掛けにきたのかもしれないね」 瞬が そう説明すると、オデカケが好きな者同士ということで、ナターシャはヤモリに親近感を覚えたらしい。 家にいるからヤモリである。 当然、ナターシャが芝生広場でヤモリに会うことは滅多になかったが、だからこそ、たまに芝生広場に オデカケしてきているヤモリに会えるのが 嬉しい。 そういう事情で、ナターシャは、週に3度は芝生広場の巡回をすることにしていた。 バードサンクチュアリ脇の遊歩道を駆けて芝生広場に向かったナターシャが、『変な人がいる』と言って遊歩道を逆走し、瞬と氷河の許に駆け戻ってきたのは、光が丘公園のイチョウ並木が1年で いちばん華やかに金色に染まる秋の ある日。 芝生広場の人口密度が最も小さくなる月曜日の午前中のことだった。 「変な人?」 パパとマーマの許に戻ってきて、氷河の膝に しがみついたナターシャの脇に、瞬がしゃがみ込む。 「変な人って、どんな人?」 「変な人は変な人ダヨ。ンートネ、ちょっと蘭子ママに似てタ」 「え」 ナターシャの答えを聞いて、瞬は少なからず(内心で)慌てたのである。 それは、蘭子ママが変な人だということだろうか。 それがナターシャの認識なのだろうか。 “変”という言葉は、“普通ではない”“日常的ではない”という意味で使われるもの。 『蘭子は“変な人”ではない』とは言わないが、彼女を“変な人”と断じるのは、彼女の個性や価値観を否定することに つながりかねない。 瞬は、その言葉を 安易にナターシャに使ってほしくなかった。 蘭子の前で ナターシャが 不用意に その言葉を口にしないようにしなければならない。――と、氷河と視線で合図し合ってから、瞬は再度 ナターシャの上に視線を戻したのである。 「蘭子さんに似てるって、どんなふうに?」 ナターシャが蘭子をどう思っているのかを確認し、それが誤った認識によるものだったなら 正しておかなければならない。 そう考えて尋ねた瞬へのナターシャからの答えは、しかし、 「……ヨクワカンナイ」 という、実に曖昧で頼りないものだった。 これは、大人が実際に見て、ナターシャの感じた“変”の内容を確認するしかないだろう。 ナターシャの手を取って立ち上がった瞬は、氷河と共に、ナターシャが変な人を目撃した場所に行ってみることにしたのである。 そうして実際に 行ってみて――その“変な人”の姿を見た途端、なぜナターシャが その“変な人”を蘭子に似ていると思ったのかが、(蘭子には失礼なことだが)瞬と氷河には すとんと得心できてしまったのだった。 問題の“変な人”は、芝生広場を ぐるりと囲む遊歩道脇にあるベンチの一つに座っていた。 “変な人”は女性だった。 間違いなく、生まれながらの女性である。 30代後半の白人、ラテン系。 背は あまり高くなく、小柄と言っていい体型。 にもかかわらず、彼女は 四人は座れる公園のベンチを ただ一人で占領していた。 占領しようという意図はないのだろうが、着衣のせいで どうしてもそうなってしまうのだ。 ハロウィンは とうの昔に終わったというのに、彼女は 無駄に装飾が多く、無意味に幅をとる大仰なドレスを身に着けていた。 そのドレス――面積体積共に 彼女本体の3、4倍はありそうなドレス――が、4人掛けベンチの8割を覆っている。 エリマキトカゲの襟巻きのように 頭部全体を囲む、純白のレースの付け襟。 それでなくても膨らんでいる袖は、更に毛皮で覆われていて、まるで丸型の祭り提灯。 スカートはクリノリンで広げているのではなさそうだったが 釣り鐘型で、裾は地面についている。 素材は臙脂色のタフタで、ごてごてしたリボンやフリル等の装飾はないが、全体に金糸銀糸の細かい刺繍が施されていた。 一見したところでは、15世紀イタリアルネサンス風 もしくは 16世紀フランスルネサンス風のドレス。 コスチュームプレイをしているのなら、彼女は相当のマニアなのに違いなかった。 生え際の髪を剃っているのか、不自然に額が広く、羽毛と宝石を飾ったトーク帽で 頭部の大部分を覆っている。 髪は おそらく黒。 瞳は濃褐色。 決して 太っているわけではないのだが、元々の骨格とボリュームのあるドレスのせいで、不自然に横幅があるように見える。 顔も、頬と顎の骨のせいで方形。丸顔でも 卵型でもなく、四角。 顔も身体も 全体的に角ばっていて、そのせいで 男性が女装しているように見える――のだ。 頬や肩に やわらかさ、丸みが足りず、一言で言うなら“ごつい”。 目付きが鋭い。 表情も硬い。 一度でも 笑ったことがあるのだろうかと疑いたくなるほど、ごつごつした岩のような印象の顔。 間違いなく 女性なのだと思うが、女性らしい やわらかさが皆無なため、正真正銘 男子である瞬の方が、彼女より はるかに優しく甘い雰囲気と姿を有していた。 「岩石男と、お花の妖精みたいダヨ」 ナターシャが先日観たファンタジー映画の登場人物を思い出したのか、“変な人”と瞬を見比べて、正直すぎる感想を口にする。 「ナ……ナターシャちゃん……!」 瞬は、光速でナターシャの口を手で ふさいだのだが、それは 完全に無意味な行為だった。 瞬が動いたのは、ナターシャが その言葉を言い終えてからのことだったのだ。 光速だろうが神速だろうが、全くの無効。 そして、既に発せられてしまった声と言葉を消し去ることは、アテナの聖闘士にもできない。 瞬は、横目に“変な人”の様子を窺い見ながら、顔を引きつらせた。 女性が女性のためのドレスを着ているのである。 場所が東京、時代が21世紀だということを無視すれば、彼女は 至って 普通の出で立ち(変ではない出で立ち)をしていると言っていいだろう。 にもかかわらず、彼女は異性装嗜好者に見える。 つまり、女装をしている男性に見えるのだ。 彼女が蘭子に似ていると感じるナターシャの感性は、決して奇異なものではない。むしろ 妥当。 少なくとも 瞬や氷河の感性と同じ。 この公園にいる ほとんどの人と同じ。 だが、その妥当で一般的な感性が、その女性には気の毒で、失礼で、瞬は彼女に謝罪したい気持ちになった。 |