星矢と紫龍は、オデッセウスの姿が屋内に入っていくのを確認してから、おもむろに 氷河に向き直った。
どうせ ろくでもないことを企んでいるに違いないと決めつけていることを隠しもせず、氷河を問い詰め始める。

「氷河! おまえは、なんで急に んな馬鹿なことを思いついたんだよ! おまえの クールでない部分を取り除くだあ !? 」
「化粧をするような男とは関わり合いになりたくないと公言していなかったか、おまえは。オデッセウスを現代に呼び出すなど、沙織さんは知っているのか」
「アテナに対する俺の忠誠心が いかに篤いものであるかなんてことは、わざわざ アテナに報告するまでもないことだ。すべてはアテナのため、聖域のため、世界の平和のため。別に構わんだろう。俺がオデッセウスに ちょっとしたオペをしてもらったところで、誰に迷惑が掛かるわけでもない」
星矢と紫龍の詰問に、氷河は顔色一つ変えずに 白々しい答えを返してきた。
あまりの白々しさに、星矢と紫龍の臍が茶を空焚きしそうになる。

「その言葉が信じられないんだ! おまえの目的は何だ!」
「クールになって、アテナと地上の平和を守るためだ。そう言ったろう。何度 言わせるんだ」
「嘘をつくなっ!」
「氷河。オデッセウスは騙せても、俺たちは騙せないぞ。好きで付き合ってきたわけではないが、昨日今日の付き合いじゃないんだからな」

氷河が アテナと地上世界の平和のために、本心では関わり合いを持ちたくないと思っている厚化粧男の力を借りてまで クールな聖闘士になることを目指すはずがない。
――と、星矢と紫龍は信じていた。
氷河という男に対する彼等の信頼は、その点、全く揺るぎがなく、素晴らしく強固だった。

「おまえが アテナと地上の平和を守るために、本気でクールになりたいと思ってるなら、カーサとの戦いでクールに徹すると決意した5分後に、その場の感情に流されて、あとさき考えず 自分の目を潰したりするはずがない」
「昔の話を持ち出すな」
「つい この間の話だ」
「そうか? あれからもう20年も30年も経ったような気がするが」
「20年も30年も経ってるはずないだろ! おまえ、自分が十代のお子様だってこと、忘れてるんじゃないだろうな。さあ、本当のことを白状しろ! 何を企んでるんだ!」
「む……」

氷河は ろくでもないことしかしない。
氷河に対する星矢と紫龍の信頼は強固すぎ、結局 氷河には、彼等の信頼を打ち崩すことができなかったのである。
頑迷な仲間たちに口を尖らせながら、氷河は 彼のオデッセウス召喚の目的を しぶしぶ 白状した。

「だから、アテナと地上世界の平和を守るためだ。そのついでに、瞬にクールにカッコよく告白できたらいいなー……とは思っているが」
「そんなこったろうと思ったぜ!」
星矢が、嫌そうに舌打ちをし、
「そんなことのために、クロノスの力を使って、200年以上昔の聖闘士を呼び出すなんて無茶をしたのか! しかも、アテナと一輝の留守を狙って!」
紫龍は眉を吊り上げた。

二人の仲間に左右から同時に責め立てられても、氷河は 全く悪びれず、飄々としたものである。
否、彼は、仲間たちの言い方に、少しく気分を害したようだった。
「そんなこととは何だ、そんなこととは! 人間の人生において、好きな人に好きだという気持ちを伝えることほど、大事なことがあるか !? 俺は誰にも迷惑はかけていないし、クロノスは面白がっているようだった」
「そりゃあ、クロノスは面白がるだろうさ」
「あの神は、常に暇を持て余して 退屈している神だからな」
「そうとも。俺は、暇を持て余して退屈しているクロノスに わざわざ娯楽を提供してやってやったんだ。オデッセウスは、男のくせに化粧をするような男だから、多少 迷惑をかけても許されるだろうし、俺は誰にも迷惑をかけてはおらん!」

氷河の日本語は崩壊している。
言葉としてはともかく、論理は 完全に破綻している。
星矢は、氷河の主張の論理の破綻になど気付きもしなかった(あるいは、綺麗に無視した)が。
「誰にも迷惑かけてないなんて、なに寝ぼけたこと言ってんだよ! 瞬に迷惑がかかるだろ!」
「何を言う。俺が瞬に迷惑をかけるなんて、それこそ 俺が最も忌避することだ!」
噛みついてくる星矢に、氷河は心の底から心外という顔を作って反論してきた。

「俺の瞬は 控え目で、恥ずかしがり屋で、気にしなくていい道徳や倫理までをも気にする、超がつくほど真面目な人間だ。そんな瞬を迷わせたり 悩ませたりしないために、俺は 瞬にクールに告白し、クールにリードしてやらなければならないんだ。少し強引なくらいにな。だが、俺は 瞬が好きすぎて、瞬の意思や感情を尊重するあまり、強引に出ることができず、今日まで ずるずる来てしまった。つまり、色々なことが 曖昧で宙ぶらりんで どっちつかずの不安定な状態だった。だから、瞬は いつも 不安な気持ちでいたと思うんだ」

「氷河、おまえさ」
氷河が崩壊し 破綻しているのは、その日本語と論理だけだろうか。
彼は もっと根本的なところで、何かが壊れている。
星矢は その点を氷河に指摘しようとしたのだが、自分の考えと言動に(というより、愛に?)絶対の自信を持っているらしい氷河は、星矢が自分の話を中断させようとしていることにすら、気付きもしなかった。

「そこで俺は考えた。俺は、俺の瞬のために考えたんだ。俺がクールになり切れないのなら、その甘さというか、優柔不断というか、クールになり切れない部分を取り除いてしまえばいいんだと。そんなものは なくてもいいものだと思うし、瞬にクールにカッコよく告白し、瞬を中途半端で曖昧な状態から 安定した状態にしてやれば、瞬は俺の頼もしさに気付き、今より一層 俺のことを好きになってくれるだろう」
「いや、だからさ。氷河、おまえ、瞬も自分のことを好きでいるって決めつけて、勝手に一人で話を進めてないか?」
星矢の鋭い指摘は、あまりに鋭すぎたせいで、氷河は自分が星矢に刺されたことに気付きもしなかったらしい。

「これまでの俺は、瞬を好きな気持ちが 強すぎ、激しすぎ、大きすぎ、多すぎて、コップから あふれ出した自分の気持ちの始末に四苦八苦している状態だったんだ。それで 慌てて 馬脚を現わし、瞬の前で 頓珍漢なことばかりしていた。まともに『好きだ』の一言も言えない俺に、瞬はいつも がっかりしていたに違いない。本当に悪いことをした」
「瞬は、おまえがクールじゃないことは――クールどころか、似非クールですらなくて、アルミ鍋並みに熱しやすく、土鍋並みに冷めにくい男だってことを、とうの昔に知ってるだろ。今更 取り繕っても無駄だと思うぞ」
「俺から“クールでない部分”を取り除くと、“クール”と瞬への愛が残るはずなんだ」
「おまえから、クールでない部分を取り除いたら、何も残らないだろ。残るのは、せいぜい 助平心くらいのもんだ。マザコンはどうするんだ。残すのか取り除くのか」
「何を言う。俺はマザコンなどではない。普通にマーマを愛しているだけだ」
「マザコンじゃない普通の息子は、凍った海の底のマーマに毎日 薔薇の花を供えに行ったりしねーんだよ」
「瞬は、クールでカッコいい俺の、クールでカッコいい告白を待っているんだ。俺は、瞬を待たせ過ぎた。瞬には 本当に申し訳ないことをした」

「氷河、俺の話を聞けってば!」
氷河の耳は馬の耳。
何を言っても、氷河は馬耳東風。暖簾に腕押し。糠に釘。
あまりの話の通じなさに、紫龍は 呆れて声も出せずにいる。
「紫龍、おまえも この馬鹿に何か言ってやれよ!」
星矢に大声で怒鳴りつけられて、何とか我にかえることのできた紫龍が口にした“何とか”は、
「オデッセウスに、まず氷河の耳の治療を頼んでみてはどうだろう。いや、治療が必要なのは、氷河の耳より脳の方かもしれないが」
だった。

「そっか。訳のわからない病気の治療の天才が来てたんだっけ」
オデッセウスが現代に やってきているのは そのためだったのだと――氷河をクールな聖闘士にするためではなく、氷河を普通の人間にするためだったのだと思えば、世界も、聖域も、(氷河のような仲間を持ってしまった)自分たちも救われる。
そう考えることで、星矢と紫龍は 何とか態勢を立て直したのだった。






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