本音を言えば(嘘をつく気もないが)、瞬にも氷河にも わけがわからなかったのである。 これは、異次元や異世界や平行世界絡みの奇異な出来事ではない。 銀河を走る黒い蒸気機関車を目の当たりにすれば、どの世界に属する誰であっても、驚愕し、唖然とし、120パーセントの確率で、自身の正気を疑うはずだった。 そして、これは時の神クロノスの仕業でもない。 当たり前のように、地上を蒸気機関車が走っていた100年前の人間も、星の間を走る蒸気機関車を見たら、きっと驚く。 今より科学技術が進歩しているであろう100年後の人間も、星の間を走る蒸気機関車を見たら、やはり驚くに違いない。 銀河を行く蒸気機関車の奇異に、時の流れは関係がない。 過去に行ったことはある。 異次元を漂流させられそうになったこともある。 死者にしか行くことのできない冥府に、生きたまま行ったこともある。 異世界の人間と接したこともある。 蘇った死者、若返った死者は、普通に友人であり、仲間だった。 不思議には慣れているつもりだったが、これは そもそも どういう不思議なのか。 そこからして、瞬には理解できていなかったのである。 氷河は、理解しようという意欲をすら放棄。 この不思議に、ナターシャが最も動じていなかった。 ナターシャと彼女のパパとマーマが、ベランダ前の扉から黒い車両に乗り込むと、その時を待っていたように 黒い蒸気機関車は汽笛を鳴らして走り始めた。 もちろん、線路の上ではなく、線路のない夜空を。 何となく そうなのだろうと察していた通り、汽車の中に他の乗客の姿は一つもなかった。 座席は、ロングシートではなく、二人掛けの椅子が向かい合っている4人ずつのボックスシート。 乗り込んだ車両の ほぼ中央のボックスに駆けこんだナターシャは、ガラスに額を押しつけるようにして窓の外を眺め、元気な歓声をあげた。 「ワア、スゴイ! 地面にも お星様が いっぱい落ちてるヨ! おうちや車が きらきらダヨ。スカイツリーも東京タワーもぴかぴかダヨ!」 「ほんとだ。上も下も お星様でいっぱいだね」 汽車は かなりのスピードで、地表から遠ざかっていた。 宝石箱をひっくり返したような夜景が、1分足らずで 一つの小さな星になる。 この事象は、アテナの聖闘士にとっても理解不能で、もちろん不安。 ナターシャが嬉しそうなのが、ただ一つの救いだった。 自分たちは、もしかしたら ナターシャの夢の中に 引き込まれているのだろうか。 夢の共有、記憶の共有は、小宇宙の同調もしくは小宇宙の共鳴によって、意図的にも無意識状態ででも可能なことで、氷河と瞬は実際に経験もしていた。 それらのことが アテナの聖闘士同士でなくても可能だった。もしくは、地上世界で最も強大な小宇宙の持ち主二人と 日常的に接しているうちに、その能力がナターシャにも宿った。 これは、単にそれだけのことなのではないか。 ――という、瞬の楽観的観測は まもなく否定された。 瞬たちの乗った蒸気機関車が、氷河と瞬とナターシャの家を発車後に 最初に停車した駅が、北十字の白鳥の停車場だったのだ。 宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』と同じように。 ということは、これは 宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』の内容を知らないナターシャの夢でない。 誰かの夢だというのなら、その“誰か”は瞬 もしくは氷河。あるいは この夢に登場していない第三者――ということもあり得る。 瞬と氷河とナターシャと宮澤賢治を知る人間なら誰にでも、この夢を見ることは可能なのだ。 確実なことは、ただ一つ。 これはナターシャの夢ではない――ということだけだった。 |