12年に1度の儀式の日。
奇跡の石の授受の儀式は、北の国の北の大地の北端、永久氷壁と呼ばれる氷の壁の中で行なわれます。
永遠に解けない氷の壁。
誰も、その壁の向こうに行くことはできません。
永久氷壁の 定められた位置に、北の国の王が王の印である奇跡の石を押し当てると、王の来訪が神に伝わり、神が氷の壁を二つに割ります。
その先に広がっているのは、神に招かれた者以外は 足を踏み入れることの許されない超次元。
まず 生贄がその壁の中に入り、続いて王が入っていくと、氷の壁は閉じてしまいます。

次に壁が開いた時、壁の向こう側から こちら側に戻ってくるのは、生贄と王のどちらか一方だけです。
両方が現世に戻ってくることはありません。王か生贄の どちらかだけ。
両方が現世に戻ってこないこともありません。王か生贄の どちらか一方が、必ず奇跡の石を持って 戻ってきます。
それが、第三者の目で見た、生贄と奇跡の石の交換の儀式。
それが、第三者にわかる、生贄と奇跡の石の交換の儀式の式次第のすべてでした。

そんな第三者たちが見守る中、当事者である瞬が、続いて氷河が、氷の壁の向こうの超次元に入っていきます。
星矢と紫龍は、神の御前で氷河が何か とんでもないことをしでかすのではないかと心配顔でした。
氷壁の前に並んだ12氏族の長たちの表情は、12者12様。
諦め顔の者、困惑顔の者、案じ顔の者、渋面の者等々。
12人の氏族長がいて、12人全員が違う表情をしているのに、笑顔の者は ただの一人もいませんでした。


永久氷壁の向こうの超次元。
そこにあったのは、ありがちなシチュエーションで恐縮ですが、古代の神の神殿跡のような空間でした。
詳しく説明するのは面倒なので、『聖闘士星矢 ハーデス冥界編』のジュデッカの様子を思い浮かべてください。
幾本もの黒い石柱が並び、正面上座には黒いカーテンが たなびく薄暗い広間。
一段高いところに、やたらと大仰で 禍々しい装飾が施された玉座が置かれていて、黒と紫と金の長衣をまとった神(おそらく)が座っています。
神の顔は、日本の平安時代の帝や貴族の姫君のように、黒いカーテンの陰に隠されていて 窺い知ることはできません。

多分 神は 自分の顔に自信がないのだろうと、氷河は思いました。
瞬以外の人間の顔が綺麗でも醜くても、氷河には どうでもいいことでしたので、氷河は その件については何も言いませんでした。
これは 良い判断だったでしょう。

顔を見せない神は、彼の玉座の正面、広間の中央に立つ氷河と瞬を見て、いかにも高飛車な口調で声を掛けてきました。
最初の御声は、『こんにちは』でも『ご機嫌いかが』でもなく、
「初めて見る顔だ。若いな」
でした。
『若い』とは、王(氷河)のことを言っているのか、それとも 生贄(瞬)のことを言っているのでしょうか。
神の言葉は、さすがに、わかりにくく不親切でした。
それが王のことであっても、生贄のことであっても、若いのは当たり前です。
氷河は、ちょっとした大きな手違いで 北の国史上最年少で王位に就いた王。
瞬は その氷河より 更に一つ年下の生贄なのですから。

神が、人間に対して とても高飛車で無礼なのは、持てる力の差を考えれば 当然のことなのかもしれません。
氷河は 自分も礼儀知らずなので、そんなことは あまり気にしませんでした。
氷河自身、『こんにちは』も『ご機嫌いかが』も口にしませんでしたしね。
氷河は、『こんにちは』や『ご機嫌いかが』より もっとずっと重要な、神への言葉を用意していたのです。
すなわち、
「俺が瞬を連れて ここに来たのは、永久氷壁を開けてもらうには、王と生贄の二人が揃っている必要があると 聞いたからだ。瞬は このまま壁の向こうに帰してやってくれ。奇跡の石の代価は、王である俺が、俺の命で払う。国の王より価値のある生贄はいないだろう!」
という“お願い”――むしろ、要求を。

瞬がいないと生きていられそうにない自分。
世界の平和と故国の幸福を、誰よりも願っている瞬。
奇跡の石なしでは立ち行かない北の国。
それらの事柄を考慮して、氷河が考えた最善の策が、それだったのです。
奇跡の石の代価を 王である自分が、自分の命で払うこと。

「瞬には、生きて叶えたい夢や したいことが たくさん あるんだ。瞬は、俺よりもずっと真剣に国のことを思っている。ちゃらんぽらんで ぐーたらな俺とは違う。瞬こそが、俺よりも誰よりも生き続ける価値のある人間だ!」
「ほう?」
神は、自分は『こんにちは』も『ご機嫌いかが』も言わなかったのに、自分以外の人間の無礼には不快を感じるタイプだったようでした。
彼は、氷河の態度と訴えを、いかにも ご機嫌斜めな口調で咎めてきました。

「王よ。人間の分際で、神の支配する場所で 神の許しも得ずに 言いたいことを言い、神の主催する儀式の次第を乱すとは、不敬の極み。普通、人間は、神の前では まともに口もきけぬもの。余は、そなたに、まだ口を開いていいとすら言っておらぬ」
普通 人間は神の前では口もきけない――と言われても、現に口をきけてしまったのですから、それは神の思い違いだったのでしょう。
氷河は、神の思い違いを正してやろうとしたのですが、それは 瞬に止められてしまいました。
『神様を これ以上 怒らせないで』と、瞬が いつもの“お願い”の目で すがってきたので、氷河は 大人しくするしかなかったのです。
氷河は、神様に嫌われても怒られても平気でしたが、瞬に嫌われたり怒られたりするのは いやでしたから。
既に自分の望みを神に伝えたあとでしたし、神が機嫌を悪くして、生贄の瞬ではなく 王の命を奪うことにしてくれれば、氷河は それで満足だったのです。
けれど。
事は、氷河の思い通りには運びませんでした。

黒いカーデンの向こうから聞こえてくる神の声。
「王に価値があるかどうかは、これから余が判断する。そのために 生贄を呼ぶのだ。王の価値観と価値を見定めるためにな」
神は、聞こえよがしに説明的独り言を言って、氷河ではなく瞬に、
「余への供物として選ばれ、この超次元に入った時点で、そなたは もう地上世界の者ではなく、神のものだ。地上世界のどんな権威も権力も、そなたの身に及ぶことはない。正直に答えよ」
と 命じました。

神が王を無視して(氷河は、それは構わなかったのですが)、馴れ馴れしく(?) 瞬に話しかけていくのが、氷河は 大いに気に入りませんでした。
それでも 氷河が静かにしていたのは、瞬が氷河の手を握って、『静かにしてて』と手で命じてくるから。
そして、神には、瞬に危害を加える気がなさそうだったから――でした。






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