目付きだけは 変わらず反抗的ですが、一応 静かになった氷河に、黒いカーデンの向こうから、神は一瞥を投げたようでした。
それから 瞬の方に向き直り、神が瞬に尋ねます。

「そなたは、何のために ここに来たのだ」
「祖国と祖国の民と王のためです」
「そなたには 何ができる」
「何もできません。けれど、国と国の民と王のために 命をかけることはできます」
「心から望んで、ここに来たか」
「はい」
「王をどう思う」
「愛のために――愛を力に変えて 生きている人だと思っています」
「何か一つ、そなたの望みを叶える。何が望みか」
「え……?」

瞬が、返答を ためらったのは、神の質問の質が変わったからでした。
それまでの質問は、生贄が 奇跡の石の代価として ふさわしいかどうかを確かめるための質問でしたが(そう受け取ることができましたが)、『何か一つ、そなたの望みを叶える』は そうではありません。
神の質問の意図を、瞬は すぐに読み取ることができなかったのです。
瞬が答えに詰まったのは、でも、ほんの一瞬だけ。
神に 本気で生贄の望みを叶える気がなく、その質問を 質問のための質問なのだと思えば、『何が望みか』という質問は、生贄の人となりを見極めるのに最適の問い掛けだということに、瞬は気付きました。

「僕は、僕たちの国と民と王の幸福を願って、そのために 僕にできることがあるのならと思って、ここに来ました。それ以外の望みはありません」
「そなたは、そこの浅慮な王とは反対に、かなり思慮深い(たち)のようだ。だが、考えすぎもよろしくない。国のことは考えなくていい。生贄としての務めとは別に、そなた自身が、これからどうしたいかだ」
「……意味がわかりません。僕は、生贄としての務めを果たします。それは、命を神に捧げることと解していますが」
命を神に捧げて、国が守られれば、死にゆく者に望みなど抱きようがありません。
瞬が問い返すと、神は、黒いカーデンの向こうで 微かに首を横に振った――ようでした。

「それは違う。生贄が 奇跡の石の代償として 神に捧げるのは 命ではなく、それまでの人生だ。元の世界に 元の人間として戻ることはできないというだけだ。その後、人間界に生まれ変わることも、神に仕えることもできる。ただし、人間界に生まれ変わる場合は、すべての記憶を消され、北の国以外の国に 全くの別人として生まれ変わることになるがな」
「すべての記憶を消されて……?」
「そうだ。これまでの生贄の中には、今の自分のまま 元の世界に帰りたいから、自分ではなく王の命を奪ってほしいと言う者もいた。この場にやってきた者たちの中には、国のために望んで来た者、強いられて しぶしぶ来た者、人質を取られていた者、死を望んでいる者、王を憎んでいる者、王を敬っている者、王を愛している者、様々な者たちがいた。同様に、王も様々」
生贄が死なない。
それは、瞬には全く想定外の事態でした。

「奇跡の石の儀式の成否は、余が生贄を気に入ったかどうかで決まるものではない。余が 生贄に質問をして、その答えから、現国王が王としてふさわしい人間かどうかを確認し、次の12年間も王位に就けておくかどうかの判断を行なうための場だ。この儀式は、言うなれば、12年に1度の 王の資格更新試験だ」
紫龍と星矢が 似たような推測をしていたことを、瞬は思い出しました。
『神は 生贄の儀式を通して、国王の価値観や適性を審査し、不適切な国王を排除しているような気がするな』
『これ、普通に 国王適性試験、人事評価面談だよな』
『我が国の王は、王位に就いている限り死なないからな。不適切な王は、神が除いてやるしかない』
紫龍たちは、そんなことを話し合っていました。
彼等の推論は、あながち的外れではなかったようです――ほぼ 的中していました。

「王が国の民の幸福を願っているか。好戦的ではないか。人を不幸にする欲心を抱いてはいないかを確かめる。自国の民である生贄の命を 喜んで神に差し出すような王なら、まず それだけで王失格だ。生贄に恨まれているようなら、王の権力で 生贄の心を捻じ伏せたのだろうから、それも王失格。生贄の人間的レベルが低すぎる時も、王の判断力・価値観に問題ありで 王失格。王と生贄の関係が良好で、両者共に 国のための苦渋の選択を行ない、ここに来た場合にだけ、王は 次の12年も 北の国の王であり続ける。――この儀式での やりとりの記憶は消させてもらうがな。そして、余に、王失格とみなされた王は、速やかに冥界行きなのだが――」
黒いカーテンの向こうで、神は ふいに低い呻き声を洩らしました。

この儀式で、生贄は死ぬことがない。
生贄としての役目を全うした場合には、別の国に生まれ変わるだけ。
この儀式で、本当に死ぬ可能性があるのは、国王の方――。
色々なことが想定外で、頭の中が混乱していた氷河と瞬は、神の呻き声の理由が わかりませんでした。
氷河と瞬の混乱は 当然のことです。
自分たちが これからどうなるのかが――自分たちのどちらが死ぬのか生きるのかさえ、二人には わかっていなかったのですから。

神は いったい自分たちをどうするつもりなのか――。
瞬が神に 神の決定を尋ねようとした時でした。
神が、彼の呻き声の理由を教えてくれたのは。
神は、まさに、瞬が今 神に尋ねようとした事柄で悩んでいたのでした。

「そなたは 王にふさわしい者とは思えぬ。神の意向と威光を軽んじ、儀式の次第を乱し――神の怒りを買って、奇跡の石が手に入らなかった時のことを全く考えていない。だが、自分を犠牲にする覚悟はあるようだ。自分の代わりに 王を廃してくれと望んだ生贄は 過去に幾人もいたが、自分が生贄の身代わりになると言い出した王は、そなたが初めてだ」
褒められているのか、呆れられているのか。
神の言葉の意図するところを、氷河は 理解しかねました。
わからなくても、不都合はありませんでしたので、氷河は わざわざ確認するようなこともしませんでしたけれど。

「生贄は気に入っている。姿も心も美しいし、覚悟も見事だ。王も 完全に王失格というわけではない。余とて、北の国の民を苦しめたいわけではないので、石は授ける。だが、この儀式は、石の代わりに、一人の人間の人生を貰い受けることが、決して破ることのできぬ決まりなのだ。人間世界に戻せるのは、王と生贄のどちらか一人だけ。王と生贄の二人共を人間世界に帰すわけにはいかない。余は、そなたたちの どちらを人間世界に戻すべきか、それを決めかねていた」

神の呻き声は、そういうことだったようです。
瞬と氷河の どちらを、元の世界に戻すか。
氷河を元の世界に戻し、瞬を神の領域に留め置く(もしくは、人間界に別人として生まれ変わらせる)か。
瞬を元の世界に戻し、完全に王失格というわけではない氷河の命を奪うか。
神の呻き声は、その両者の一方を選びかねていたから。
そして、神が呻くのをやめたのは、その解決策を見い出したから――だったのです。
神が見い出した解決策。
それは、なんと、
「王が帰るか、そなたが帰るか。そなたが決めよ。そなたが選べ」
でした。
神は、(無責任にも)その決定を、瞬に丸投げしてきたのです。






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