「僕が選ぶ……?」
無責任ではありますが、決定権を氷河に委ねないあたり、神は それなりの判断力を備えてはいるようです。
氷河も、瞬が決めるのであれば、文句はないようでした。
「二人して、どこか 別の世界で生き直せたらいいと思う。だが、おまえが国の民を見捨てないことも知っている。おまえの好きにしろ。俺の命など助けなくていい」
「氷河……」

氷河は、一国の王としては まるで覚悟が足りませんでしたが、人を恋し愛する一人の人間としては、一点の非の打ち所もない優等生でした。
そんな氷河を、瞬は とても好きでした。
ですから、瞬は考えたのです。
氷河を幸せにするためには どうすればいいのかを、懸命に。
氷河の幸福とは何なのかを、真剣に。
考えて、考えて――瞬は、氷河の手を握りしめ、黒いカーデンの向こうにある神の影を見やりました。

「僕の――生贄になる者の願いは、必ず叶えていただけるんですか?」
「そなたの処遇に関することであれば、必ず叶う。だが、それ以外のこと――たとえば、北の国を常夏の国にするなどということは無理だ」
「僕の処遇に関することだけ……」
氷河の手を握りしめていた瞬の手から 少し力が抜けたのは、瞬の緊張が緩んだから。
氷河には、それがわかりました。
それしか わかりませんでした。
瞬が何を考えているのか、どういう決断をしたのかは、氷河にも わかりませんでした。
氷河に わかっているのは、ただ一つのこと。
瞬が間違った選択をすることはない――ということだけだったのです。

「この儀式で、神は、王と生贄――二人の命を手に入れることはできないんですね」
「その通りだ。王と生贄の二人共を、人間界に帰すこともできん」
「この儀式で神は二つの命を奪うことはできない」
「うむ」
「王でも生贄でもない第三者の命は奪えないんですね?」
「それは そうだが、ここにいるのは そなたたちだけだ」
「では、僕の願いを叶えてください」
「言うがよい」
「僕をこの国の王にしてください」
「――」

神に許しを得た者しか入ることのできない超次元。
そこでの時間の流れは 外の人間界と全く 同じなのでしょうか。
瞬の願いを聞いた神は、随分 長いこと 何も言わず、黒いカーテンの向こうで 呆然としていたようでした。
氷河も、神と同じだけの時間、ぽかんとしていました。
長い長い間を置いて、神が、
「なに?」
と、間の抜けた声を洩らします。
そんな二人(一人と一柱)とは対照的に、瞬の意識と意思と言葉は 確然としたものでした。

「そうすれば、僕は北の国の王であり、生贄でもあることになる。あなたは、王と生贄のどちらかを生かしたままで 現世に戻さなければならない。氷河は王でも生贄でもない者になりますから、そのまま 元の世界に帰ることができる――氷河の命は奪えませんね」
「……」
神からの答えがないのは、『諾』の意味でしょうか。
神は もしかしたら、瞬が思いついた超の字がつくほどの奇手に、いっそ感心していたのかもしれません。
氷河と瞬は、黒いカーテンの向こうで、神が初めて笑い声を生んだ――ような気がしました。

空耳だったかもしれませんけれどね、
生贄の命は(完全には)奪っていなかったとしても、王失格と見なした王の命は これまでに幾つも奪っていた恐い神様が、そんなことで笑うなんて、ちょっと考えにくいことですから。
でも、神様というのは、案外 そんなものなのかもしれません。
恐い時は とっても怖いけれど、慈悲深い時には とっても慈悲深く優しい。
要するに、気まぐれなんですね。
北の国の守護神は、今は寛大モードに入っているようでした。
氷河の無礼な振舞いを不問に付してくれたところを見ると。

「王に、決定的な落ち度はない。王としての資質はともかく、人としての覚悟もあるし、生贄の選択は申し分がない。王位を剥奪するわけにはいかん。とはいえ、神である余が、生贄の望みを叶える約束を反故にするわけにもいかぬ。それゆえ、この件は、王の判断に委ねようと思う。王自身が王位を瞬に譲っていいというのなら、余は それで構わぬ。12氏族での王位の持ち回りのルールは、余のあずかり知らぬところで 人間たちが勝手に決めた決まりだ」
神は どうやら、氷河と瞬の二人共を、生きたまま元の世界に戻す気になってくれたようでした。
もちろん、氷河に否やはありません。

「王位を瞬に譲れるのなら、俺は嬉しい。俺としては、これ以上の適材適所はないと思う」
氷河が“王の判断”を神に告げますと、
「では、そのように」
神は、氷河の判断を了承。
神の気配は消え、神の玉座の足元に、火焔式土器に似た鉢が一つ置かれていました。
鉢の中には、奇跡の石が12年分、300粒。
薄闇の超次元は、奇跡の石が放つ 透き通った薔薇色の光で満ちていました。






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