ナターシャの春






節分なので、星矢が 氷河と瞬の家に来ていた。
いつものように 紫龍を連れて。
星矢が氷河と瞬の家を来訪した理由(建前)は“節分だから”だったが、彼の来訪の目的は、豆を撒いて邪気を払うことではなかった。
そもそも アテナの聖闘士が、それも 他ならぬ天馬座の聖闘士が、邪気や災厄を払うのに 豆など使うはずがない。
星矢は、氷河と瞬の家のダイニングテーブルではなく リビングのセンターテーブルに綺麗に並べられた巻き寿司を眺めて、笑顔全開。
なにしろ、星矢は 永遠の育ち盛りなのだ。
他に目的はない。

「いや、まあ、綺麗だし、うまそうだし、おまえらが作ったんなら、実際 うまいに決まってるけど、恵方巻きって、チホウだかタホウだかを見て、丸ごと かぶりつくもんだろ? それを 食べやすい大きさに切って綺麗に並べるのって、ルール違反なんじゃねーの?」
「どうして、『チホウだかタホウだか』なの。恵方巻きなんだから、エホウに決まってるでしょう。そもそも 太巻きを丸かじりだなんて、そんな無茶な食べ方、医師としても 友としても奨励できないよ」
“チホウ”や“タホウ”は冗談だろうが、星矢は かなり本気で太巻寿司に丸ごと かぶりつく気でいたらしい。
だが、彼の計画は 最初から実現不可能な夢だった。

「ナターシャも 丸ごと かぶりつきは大反対ダヨ! 丸ごと かぶりつきだと、パパとマーマのナターシャの傑作が わからないヨ!」
「へっ」
瞬からのクレームは想定内だが、ナターシャの異議申し立ては想定外。
「傑作かどうかは食えばわかるだろ」
瞬の膝の上に座っているナターシャに告げた星矢の言葉は、
「それだけじゃ、アジワイカタが足りないヨ!」
ナターシャによって、言下に ぴしゃりと否定された。

「パパとマーマとナターシャの傑作は、目と舌で味わうキャラ巻き寿司なんダヨ。オニさんとオタフクさんのお寿司ダヨ。オニさんは、角1本のアオベエと角2本のアカネちゃん。黄色いのがキスケちゃんダヨ。アカネちゃんの顔のケチャップご飯は、パパとナターシャが作ったんダヨ。ナターシャはケチャップまぜまぜしたヨ。それから、オタフクのほっぺのピンクは、ナターシャがピンクのソーセージを置いて、マーマが巻いたんダヨ。ナターシャは パパと一緒に、お寿司の はじっこを食べる お手伝いもしたヨ!」
ナターシャの家でのご馳走作りや おやつ作りは、レクリエーションを兼ねた食育である。
そのため、ナターシャは飲食物への関心が高く、その点で “永遠の育ち盛り”星矢と気が合っていた。

「ナターシャ、頑張ったんだな。まあ、恵方巻きを 丸ごと食えなくたって、節分は節分だよな。どうせ、豆は丸ごと食うんだし。食っても食っても腹が減る成長期の中高生なら ともかく、いい歳した大人三人と ちっちゃな女の子が、黒い太巻きに かぶりついてる図なんて、すげー不気味だし」
「大人三人……?」
“いい歳した大人”の中に 自分を含んでいない星矢は、自分がわかっているのか、自分の年齢を忘れているのか。
そのどちらなのかが本気でわからず、かといって星矢に事実を確認して 後者だった場合が恐いので、紫龍は その件に関しては あえて触れることを避けた。
代わりに、もっと根本的な問題提起を行なってみる。

「星矢。おまえ、まさか、節分を 豆と恵方巻きを食う日だと思っているのではないだろうな?」
紫龍に 根本的な問題を提起された星矢が、
「えっ、違うのかっ」
と、真顔で驚く。
星矢に真顔で驚かれた紫龍は、星矢の10倍 驚いた。
驚いて、最終的に 力一杯 脱力する。
「恵方巻きなる食べ物は、今から20年前に某コンビニエンスストアが命名して発売した商品だ。少なくとも 恵方巻きを食することは、日本の伝統行事ではないぞ。太巻きを丸ごと食べる遊びは、大阪の花柳界にあったらしいが――」
「節分っていうのは、“季節を分ける”っていう意味だよ!」

星矢と紫龍の恵方巻き談議に、瞬が突然 割り込んでいったのは、ここでナターシャに『マーマ、カリュウカイってナニー?』と訊かれたりしたら困るから――だった。
そんな世界の存在は、知識として覚えるだけでも、ナターシャには10年 早い。
「節分っていうのは、春夏秋冬を分ける前の日のことだよ。特に立春の前日のことを言うことが多いかな。昔は、立春が1年の始まりだったから、立春の前日の節分は、今でいう大晦日みたいなものだったんだ。季節を分ける節目の日に、『鬼は外、福は内』と言いながら、鬼に豆をぶつけて邪気を払う。節分の豆撒きは、年末に大掃除をして、しめ飾りを飾るのと同じようなことなんだよ!」

一気に“節分”の説明を終えた瞬への ナターシャからの質問は、
「マーマ、リッシュンってナニー」
だった。
それが『マーマ、カリュウカイってナニー?』でなかったことに安堵して、瞬は 短く吐息したのである。

「立春っていうのは、春の初めのことだよ。節分の次の日の2月4日のこと。立春っていうのは、春が立つって書くんだ。春の気配が漂ってくる頃のことを立春って言うんだよ」
「2月4日は、まだ全然寒いヨ。春のケハイは、全然しないヨ」
「だよなー」
2月4日が なぜ春なのか。
ナターシャの疑念に同感してくるところを見ると、星矢も かねてからナターシャと同じ疑念を抱いていたのだろう。
地上世界の運命を その肩に担っている英雄が、幼い少女と同レベル。
瞬は軽い目眩いを覚えてしまった。
そこに氷河が、(あくまでナターシャのために)口を挟んでくる。

「確かに2月4日の頃はまだまだ寒い。だが、外が どれだけ寒くても、店で売っている洋服は春物だろう?」
「ア、ソッカ! あれが春のケハイなんダ!」
“ナターシャのための”氷河の説明は、ナターシャには非常に わかりやすい。
パパの説明に、ナターシャは大いに納得したようだった。
「氷河。ナターシャちゃんに あまりいい加減なことを教えないで。人って、小さな頃に教えられたことを、いつまでも憶えてるものなんだから」
「あながち嘘でもあるまい。季節を分ける日のことだ」
「それは……そうだけど……」

氷河の言う通り、それは あながち嘘ではない。
あながち嘘ではないから、ナターシャが それを完全な真実と思い込んでしまう危険がある――と、瞬は それを案じたのである。
しかし、瞬の心配は杞憂だった。
ナターシャは、自分が教えられた“あながち嘘ではないこと”を 自分の知識として丸々 受け入れてしまうことをせず、その知識を発展させることのできる子だったのだ。
ナターシャの その応用性や発展性を培ったのは、紫龍と星矢が 日頃 繰り返している『氷河の言うことを安易に信じるな』という注意だったかもしれない。
家族を含んで他者との会話が多い子供ほど、学習能力は高いものである。
今回 ナターシャは、“季節を分ける(ことはできるのか)”という点に、引っ掛かりを覚えたようだった。

「デモ、大抵は、冬はいつのまにか春になってるし、春もいつのまにか夏になってるヨ。夏も秋も、いつのまにか終わって、いつのまにか始まってるヨ。今日、季節が変わったって はっきりわかる日はないヨ。お洋服屋さんだって、全部のお洋服屋さんが おんなじ日に春にはならないヨ」
氷河の言を漫然と受け入れず、自分なりの観察と判断を行なうナターシャに、紫龍もまた(瞬同様)安堵したようだった。
父親が氷河なのに、娘が これほどの知性と判断力を育んでいるのなら、これは もはや 出来すぎと言っていい状況である。
問題は、この出来すぎの状況を、氷河が自分の手柄のように思っていることの方だったかもしれない。

「ナターシャは、日本の季節の移り変わりの曖昧さが わかっているな。不明瞭で流動的な日本的美を体得できている。日本人は、そういう曖昧さを好むところがあるから、かえって暦の節目節目の行事を重んじてきたのかもしれない。西洋は、そういう曖昧さより、数学的に はっきりした比例、均衡、対照、調和を美とする きらいがある」
そう言って 得意顔でナターシャを絶賛した時、氷河は自分を日本人に分類していたのか、西洋人に分類していたのか。
そして、ナターシャが、
「パパは 季節が変わったのが はっきりわかるノ?」
と氷河に尋ねた時、彼女は 彼女のパパを日本人に分類していたのか、西洋人に分類していたのか。
ナターシャの疑念は、氷河を“どちらでもある”と思っているから生まれたものだったのかもしれない。

氷河の帰属問題は さておいて、ナターシャの問い掛けへの氷河の答えは、
「瞬に会った時――俺は瞬が好きなんだと初めて気付いた時、俺は、俺の人生の季節が変わったと思ったな。春が来たと思った」
だった。
「エ……」
パパと一緒に お寿司の はじっこを食べる お手伝いを たくさんしたせいで、おなかが減っていなかったナターシャは、綺麗にできた お寿司を食べることより、パパのお話の方に 気持ちを惹きつけられてしまったらしい。
パパとマーマのラブストーリーを聞くのが大好きなナターシャは、きらきらと瞳を輝かせて パパの顔を見上げた。






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