「ナターシャちゃん……? ナターシャちゃん、大丈夫? また恐い夢を見たの?」 夕べは、マーマに『親指姫』の絵本を読んでもらった。 ナターシャは、親指姫が 怪我の癒えたツバメの背に乗り、南の国を目指して 空に飛び立つところが大好きで、その箇所を3回も読んでもらった。 その後、親指姫は 美しい花が咲き乱れる南の国に到着し、ナターシャも幸せな気持ちで眠りの中に落ちていった。 にもかかわらず、ナターシャの目覚めが明るいものではなかったので、マーマは心配しているようだった。 つい先ほどまで ナターシャが見ていた夢は、それほど恐いものではなかったと思う。 ただ、とても つらく切なく、そして 悲しい夢だったと思う。 『恐かったことは全部 忘れて』 “マーマ”が そう言ったのだから、恐かったことは忘れる。 もう少しも恐くない。 だが、 『僕たちのことも忘れて』 『瞬の言う通りにしろ。俺たちのことは忘れて、幸せになれ』 それはできない。 それは難しすぎる。 “パパ”と“マーマ”は なぜ そんなことを言ったのか。 それが ナターシャの幸せを願っての言葉だったことは わかっているが、その言葉を悲しいと感じる心は変えられない。 目覚めて、マーマに髪を撫でてもらっているのに、ナターシャは、夢の中での“悲しい気持ち”を すっかり拭い去ってしまうことができなかった。 「恐い夢じゃなくて、悲しい夢ナノ。世界が壊れて、パパとマーマは ナターシャを守ってくれたノ。でも、夢の中のパパとマーマは、パパとマーマのことを忘れなさいって、ナターシャに言うノ」 確か、そんな夢だったと思う。 『僕たちのことも忘れて』 “マーマ”に そう言われたことが悲しくて、悲しかった“感じ”だけを 鮮明に憶えている。 悲しかった気持ちだけを、ナターシャは自分の中に鮮やかに蘇らせることができた。 「ナターシャちゃんの夢の中で、僕が そんなことを言ったの? ナターシャちゃんは、それが悲しかったの? でも、きっと、夢の中の僕は ナターシャちゃんのために そう言ったんだと思うよ」 「ウン……」 ナターシャも、それはわかっていた。 わかっているから なお一層 悲しいのだ。 「でも、もう ナターシャちゃんは悲しくないよ。僕と氷河が、必ず ナターシャちゃんを守ってあげるから。たとえ この世界が壊れたとしても、ナターシャちゃんが幸せに生きていける世界を、僕と氷河が ちゃんと見付けてあげるから」 「エ……」 マーマが ナターシャの顔を覗き込んで告げた その言葉を、ナターシャは ひどく不思議な気持ちで聞いていたのである。 『たとえ この世界が壊れたとしても、ナターシャちゃんが幸せに生きていける世界を、僕と氷河が ちゃんと見付けてあげるから』 夢と現実のシンクロ。奇妙な符合。 今は、夢の外。 ここは 夢の世界の外――壊れていない世界の中だというのに。 ナターシャは、マーマにしがみついた。 「パパとマーマと一緒に? そこは、パパとマーマと一緒にいられる世界だヨネ?」 小さな手で必死に しがみついてくるナターシャに、マーマは少なからず驚いたようだった。 だが、すぐに笑顔になる。 「もちろんだよ。ナターシャちゃんと氷河と僕は、いつも一緒。ナターシャちゃんが一緒でなかったら、氷河が寂しくて泣いちゃうもの。氷河は、今度の日曜日、僕たち三人でチョコレート作り教室に参加する計画を立ててるんだよ。氷河は きっと、ナターシャちゃんからバレンタインチョコレートを もらいたいなあって、期待してると思うよ」 「バレンタインチョコレート作りっ !? 」 それは初めて聞く遊びである。 パパのためのバレンタインチョコレートを、自分の手で作る。 考えただけで、ナターシャの胸は期待に膨らんだ。 恐い夢や悲しい気持ちが、希望の光で眩しい現実の世界の明るさの中に消えていく。 ナターシャは、マーマにしがみついていた手を解き、ベッドの下に飛び下りた。 「ナターシャは傑作チョコを作るヨ! パパは感激して、お陽様に届くくらい高く、ナターシャにタカイタカイしてくれるヨ!」 「うん。きっとね」 ナターシャの明るい笑顔に安心したように、マーマの表情も明るくなる。 ナターシャが一緒でないと、パパが寂しくて泣いてしまうと、マーマが言っているのだから、この世界では、夢の中の世界のように悲しいことは起こらないに決まっている。 心配事がなくなったナターシャの心は、パパとマーマと一緒に作る傑作バレンタインチョコレートの想像図で一杯になってしまった。 |