氷河が 最後に辿り着いた異世界は、とても変な国でした。
愛や正義、武力や経済力、社会的同調圧力や法。価値観はごちゃごちゃ。何もかもが混沌としているカオスの世界です。
氷河は、そこで、一組の親子に出会いました。

氷河と同じ金色の髪のパパ。
瞬と同じ優しい瞳のマーマ。
そして、元気いっぱいの小さな女の子。
優しそうなマーマは、氷河の姿を認めると、
「あなたは、僕の氷河に似てる。僕の氷河と同じ目」
氷河に そう言った人は、愛の心を消し去る前のピュシスの瞬に似た、澄んだ瞳と暖かい眼差しの持ち主でした。
氷河の事情を聞くと、とても気の毒そうな目で氷河を見詰めてきました。

この人の愛なら、ピュシスの瞬の中に入れても、瞬の心と身体は拒否反応を示すようなことはあるまいと、氷河は思ったのです。
ですから、氷河は、
「あなたの愛を分けてください」
と、異世界のマーマに頼みました。
金髪のパパが、氷河の頼みに むっとした顔になりましたが、マーマが パパの不機嫌を目で制してくれました。
白い細い指で、異世界のマーマは 氷河の唇に指で触れて、
「これを あなたの瞬さんに飲ませてあげて。優しいキスでね」
と、とんでもないことを氷河に言ってくれたのです。

せっかく瞬にふさわしい愛を見付けられたのに、そんな無理難題を言われるなんて。
氷河は、大慌てに慌てて、幾度も大きく 頭を横に振りました。
当たりまえです。
「そんなことはできない。そんな畏れ多いことが できるわけがない。瞬はピュシスで最も高い地位に就いていた、ピュシスで最も高貴な人なんだぞ! 本当なら、俺なんかは口もきいてもらえないくらい、尊く清らかな人なんだ!」
尻込みする氷河に、優しい眼差しにもかかわらず、異世界のマーマは強硬でした。

「キスでなきゃ、無効なの。真実の愛のキスが、あなたの瞬さんの眠っている愛の心を目覚めさせる」
「瞬の……眠っている愛……?」
氷河の鸚鵡返しの呟きに、異世界のマーマは 迷いのない力強さで頷きました。
「愛の心を消し去られても、あなたの瞬さんの中には、あなたへの恋の心だけは残っていたのだと思います。その恋の心が、愛の心を育み始めている。あなたの瞬さんの心が痛いのは、あなたが瞬さんのために尽くして仕えて――尽くして仕えるだけで、どんな報いも瞬さんに求めないからだと思います。だから、あなた瞬さんに キスを求めて。そして、あなたもキスをあげて。それで、きっと あなたたちは 痛くなくなりますから」
「……」

そんなことがあるのでしょうか。
にわかに信じ難く、ぼうっとしてしまった氷河に、パパに抱っこされていた小さな女の子が、自信満々の断言口調で、氷河に教えくれました。
「ナターシャ、知ってるヨ! 真実の愛のキスは、白雪姫を生き返らせて、眠り姫を目覚めさせるんダヨ。いちばん すごい愛の魔法ダヨ。愛が愛を目覚めさせるんダヨ。愛は命の素で、愛の素ダヨ!」

愛は命の素で、愛の素。
愛は愛から生まれ、愛は愛を目覚めさせる。
小さなナターシャちゃんの大きな声に、異世界のパパとマーマは微笑みながら頷き、それに釣られて、氷河も同じように頷いてしまいました。
氷河自身、瞬の側にいることで 自分の愛の力が大きく強くなっていくことは経験済みでしたから、ナターシャちゃんの言葉を疑い続けることは とても難しかったのです。

氷河は、異世界を探しまわらなくても よかったのです。きっと、本当は。
愛は最初から瞬の中にあり、氷河の中にあったのですから。
それは、ほんの少しだけ、臆病のために眠りに就いていただけだったのでしょう。

氷河は、異世界のパパとマーマとナターシャちゃんの言葉を信じて、彼の瞬の許に戻ったのです。
そして、勇気を出して瞬にキスをしました。






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