「デキター!」
ナターシャの傑作三人雛人形が完成したのは、浅草橋での千代紙購入の日から2週間後。
3月に入った最初の日だった、
菜の花色の台紙に、桃色の着物のお雛様と、水色の着物を着た金髪のお内裏様。
お内裏様パパとお雛様マーマの間にいるナターシャの髪はツインテール。
着物はお雛様と お揃いの桃色。リボンはお内裏様とお揃いの水色。
お内裏様とお雛様の間に ちょこんと座っているナターシャ人形は、今は とても小さい。
小さくて、可愛らしかった。

「これは世界に ただ一つの傑作雛人形だ。お雛様と お内裏様の間に、可愛い女の子がいる雛人形は、世界中 どこを探しても、これ一つしかないだろう。素晴らしいアイデアだ。ナターシャは、さすが俺と瞬の娘だけある。ナターシャは天才なんじゃないか」
ナターシャの力作を手にした氷河の大絶賛に、ナターシャは鼻高々で満足顔。
氷河の大絶賛通りに ナターシャも、お雛様と お内裏様の間にナターシャ人形がいることが、この雛人形の最大のチャームポイントだと思っていたのだろう。
色々な角度から ナターシャの力作を眺めて頷く氷河の様子を見て、彼女の笑顔は、いよいよ 嬉しそうに、いよいよ明るさを増していった。

「ナターシャは、これから毎年 お雛様のお祭りのたびに、パパとマーマとナターシャの お雛様のお人形を作って、お部屋の壁に並べて飾るんダヨ。お人形のナターシャは、毎年 大きくなっていくヨ!」
未就学児童の身で既に、ナターシャは 自分の成長を見越しているようだった。
彼女の計画性は、どう考えても氷河の100倍を超えている。
「デモ、大きくなるのは チョットずつダヨ。ナターシャが急に大きくなって重くなったら、パパがナターシャを抱っこできなくなるかもしれないカラ」
本当は パパに抱っこしてもらえなくなるのが嫌なのだろうナターシャの、巧みな表現力。
パパの体面を気遣いつつ、さりげなく 自らの抱っこ期間の延長を図るナターシャの優れた技に、瞬は大いに感心した。

「素敵な計画だね。20年分くらい並べて飾ったら、きっと壮観――とっても綺麗な眺めになると思うよ。ナターシャちゃんの お雛様歴史博物館だ。氷河が感激して泣いちゃうよ」
「パパはドーシテ 泣くノ? オヒナサマが悲しいノ?」
得意満面だったナターシャが、少し心配そうな目になって、瞬の顔を見上げてくる。
彼女を安心させるために、瞬は、氷河の手からナターシャの傑作を預かり、代わりにナターシャをソファに掛けていた氷河の膝に座らせてやった。
二人の隣りに、瞬も腰を下ろす。

「嬉しすぎても、人は泣くんだよ。氷河がナターシャちゃんのことで泣く時は、いつも嬉しいからだよ。ナターシャちゃんは、とっても親孝行な いい子だからね」
「オヤコーコーってナニー」
「親孝行っていうのは、子供が 親を嬉しい気持ちにして幸せにしてくれること、かな。ナターシャちゃんは、世界一、親孝行な女の子だと思うよ。ナターシャちゃんは、氷河を世界一 幸せなパパにしてくれているから」
「ソーナノ?」
「もちろんだよ」
「デモ、ナターシャ、何もしてないヨ」
「ナターシャちゃんが優しくて いい子でいてくれれば、それが いちばんの親孝行なんだよ」
「優しくて、いい子なだけでは駄目だ。可愛くて、優しい いい子でないと」

ナターシャに親孝行など求めるつもりはないから沈黙しているのだと思っていた氷河が、ふいに 口を挟んでくる。
ふざけている気配皆無の真面目な顔で、親孝行の条件に『可愛い』を追加してみせる氷河に、瞬は 心中 穏やかではいられなかったのである。
パパが大好きで、パパの言葉を素直に信じるナターシャは、それが冗談でも大法螺でも、冗談や大法螺だと気付かず、そのまま鵜呑みにしてしまうのだ。
瞬が懸念した通り、
「カワイクテ、ヤサシイ、イイコ」
氷河が口にした親孝行の条件を、ナターシャが真剣な目をして復唱する。
小学校にも入っていない幼い娘の親孝行に注文をつける氷河(おや)に呆れながら、それでも瞬が氷河の追加条件を却下しなかったのは、既に可愛いナターシャには“カワイクテ、ヤサシイ、イイコ”の実践が全く難題ではないだろうと思ったからだった。

「ナターシャちゃんが いい子でいてくれるのは、とっても嬉しいけど、それは 親孝行のためじゃなくていいんだよ。親孝行のために いい子になるんじゃなく、いい子でいることが 結果的に親孝行になるのがいいの」
「エ……」
“目的が親孝行”と“結果が親孝行”の違いが、ナターシャには よくわからなかったらしい。
首をかしげるナターシャの様子が、いかにも可愛くて優しげだったので、瞬の唇は ついほころんだ。
「親孝行をしようと思わなくていいってことだよ。ナターシャちゃんは、今のままで十分に“カワイクテ、ヤサシイ、イイコ”だから」
「デモ、ナターシャは もっとオヤコーコーしたいヨ! ナターシャは、パパとマーマを いっぱい嬉しい気持ちにして、パパとマーマを いっぱい幸せにしたいヨ!」
「“もっと”は無理じゃないかな。ナターシャちゃんの親孝行は もう世界一だから」
「世界一の次は宇宙一ダヨ!」

親孝行が、パパとマーマを嬉しい気持ちにして幸せにすることだと説明され、ナターシャは 俄然 親孝行に意欲的になってしまったらしい。
「ナターシャは、オヤコーコーを全部、いっぱいして、パパとマーマを宇宙一 嬉しくて幸せなパパとマーマにするヨ! ヨソのおうちでは、どんなオヤコーコーしてるノ?」
「よそのおうちの親孝行?」

瞬自身は親孝行をしたことはない。
したくても、できなかった。
当然、よそのおうちの親孝行や親不幸についての情報の持ち合わせは ほとんどなかった。
「うーん。昔は、素敵な彼氏と幸せな結婚をして、孫を見せてくれるのが、親孝行の定番だったみたいだけど、今は――」
『“今は” そんなことはない』というより、『“氷河は” そんなことはないだろう』――と、瞬が思うより先に、
「昔の親孝行はいらん」
という、氷河の不機嫌そのものの声が降ってくる。
『やっぱり、そうだよね』が、瞬の胸中の呟き。

「彼氏と孫はいらない。ナターシャはずっと俺と瞬と一緒にいればいい。それが、ナターシャの最高の親孝行だ」
「ナターシャのサイコーのオヤコーコー?」
それが冗談でも大法螺でも真面目な発言でも、正しい意見でも不正な意見でも、ナターシャは素直に氷河の言葉を信じる。
ナターシャは、今日も、パパを信じる素直なナターシャだった。

「ウン、ナターシャはずっとパパとマーマと一緒にいるヨ!」
「よし。指切りだ」
「氷河!」
瞬の非難の声が聞こえていない振りをして、
「指切りげんまん、嘘ついたら、針千本飲ーます」
氷河はナターシャとの指切りを完了してしまった。
ナターシャと堅い約束を交わしたことを、氷河は(表情を変えずに)かなり喜んでいる。
「もう……」
相変わらず、心底から 大人げない氷河に、瞬は溜め息を禁じ得なかった。






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