泣き虫姫君の幸福






昔々のお話です。
え? どれくらい昔の お話なのか、はっきりさせろって?
そうですね。
世界中のあちこちで、日常茶飯のことのように、国同士の戦争や 同国人同士が起こす内乱、宗教の違う者同士の戦いや領土争い、王位継承争い、権力闘争、それから、自分が何のために戦っているのか わかっていない人たちの争いが起きていた頃のことです。

そんなの、今も同じじゃないかって?
鋭いですね。全くその通りです。
つまり、この地上世界は いつもそうだったわけで、してみると、その話が いつ頃のことだったのかということは、あまり重要なことではないのかもしれません。
我々の国は、その頃は、今とは違う名前の国だったのですけれど、それも、今に生きている我々には どうでもいいことなのかもしれません。

その頃の我々の国には 皇帝(女帝陛下でした)がいて、貴族がいて、平民と農奴がいました。
皇帝・女帝というのは、国でいちばん偉い人です。
貴族というのは、広大な自分の領地を持っていて、そこで大勢の農奴を働かせて 莫大な利益を得る人たち。
平民というのは、自分の土地は持っていませんが、貴族の農地で こき使われる農奴でもない人たち。
貴族に非ず、農奴に非ず。要するに“その他”に分類される人たちです。
そう思っていれば、まず 大きな間違いはありません。
当時、我々の国では、たった数万人の貴族が数千万人の農奴を所有する(雇用ではなく、所有です)――という、極めて いびつな社会体制下にあったのです。
まあ、それも、ごく少数の富豪が 世界の富のほとんどを所有している今と、大して変わりはありませんけれどね。


ともかく、そんなふうに、今と大して変わらない昔、ある貴族の館に、とても泣き虫の子供がいました。
その子が、本当に、とっても泣き虫なのです。
花が散ったと言っては泣き、星が流れたと言っては泣き、意地悪な人を見掛けたと言っては(自分がいじめられたわけではないのに)泣き、いじめられている人を助けてあげることができなかった自分が悲しいと言っては泣きました。
飢えている人がいるという話を聞いては(自分が飢えているわけではないのに)泣き、西方で戦争が始まったと聞いては(自分が戦争に巻き込まれるわけではないのに)泣き、その戦争で大勢の人が死んだと聞いては(自分が死んだわけではないのに)泣きました。

あ、今、『ドロップスのうた』の泣き虫神様を思い出したでしょう?
朝焼けを見て泣いて、夕焼けを見て泣いて、悲しくても泣いて、嬉しくても泣く、あの神様。
そう、その子供は、まるで『ドロップスのうた』の泣き虫神様のような子でした。
その子が 泣き虫神様と違っていたのは、その子の流した涙がドロップにならなかったことと、その子がまだ小さな子供で、そして、とっても綺麗だったということ。

いえ、決して、『ドロップスのうた』の泣き虫神様が醜かったと言っているわけではありませんよ。
私は、『ドロップスのうた』の泣き虫神様を見たことがありませんから、無責任な発言は控えます。
けれど、その子は多分、『ドロップスのうた』の泣き虫神様より綺麗だったでしょう。
昔のことですから、本当かどうかは わかりませんが、その子が野原を歩くと、寒い真冬でも 花たちが喜んで 色とりどりの花を咲かせたという逸話が残っているくらい。
その子は、花も喜ぶほど綺麗な瞳の持ち主だったとか。
『ドロップスのうた』の泣き虫神様には、ただの噂でも、そんな逸話はありませんからね。

綺麗な泣き虫の子供。
その子供の名前は 瞬と言いました。
瞬は綺麗なだけでなく、とても優しい心の持ち主でした。
当時、我々の国では、あちこちの貴族の領地で、主人に虐げられた農奴たちの反乱が起きていたのですが、瞬の家であるモスコヴィア大公家の領地で反乱が起きなかったのは、農奴を酷使すると 瞬が泣くので、当主である兄君が農奴を冷酷に扱えなかったからなのではないかと言われていました。

瞬と瞬の兄君は、モスコヴィア大公の正妻の子ではありません。
そのため幼い頃は大公家の館に入ることが許されず、館を追い出されて下町の あばら家で 貧しい暮らしをしていたので、強者に虐げられている弱者の気持ちがわかったのでしょう。
やがて 二人の父であるモスコヴィア大公が、正妻との間に子供を儲けることは叶わないと判断し、二人を館に引き取り、保護。
その時、瞬は7歳、瞬の兄は9歳。
モスコヴィア大公家の人間にふさわしい――つまり、貴族の子弟にふさわしい教育を開始する年齢には、ぎりぎりセーフというところだったでしょうか。
長じてからも、貧困の中で苦しんだ頃のことを、兄弟が忘れることはありませんでしたけれど。

強大な権力を持つ大貴族の老人が 若く美しい農奴の娘を弄び、貴族出身の正妻が、哀れな農奴の娘とその子を着の身着のままで冷酷に館から追い払う。
そんなことは、どこの貴族の館でも 当たり前に行なわれていたことでした。
ですから、そんなことをした大公や彼の正妻を非難する人は、どこにもいませんでした(少なくとも、貴族の中にはいませんでした)。

瞬の兄と瞬は、幸いにも、父である老人に他の子供がいなかったので、大公位と広大な領地を手に入れることができたのです。
二人のお母様は、二人が大公家に引き取られる前に、貧しさの中で亡くなっていました。
父親の死後、瞬の兄が大公位を継ぐのは、兄弟が大公家に引き取られてから6年後のことになるのですが、モスコヴィア大公位を継いだ瞬の兄が最初にしたことは、亡父の正妻を実家に追い返すことでした。
けれど、それは、彼が非情だったからでも、大公家の財産を独占したかったからでもなかったでしょう。
自分の母を野良猫を追い払うように 父の館から追い出した女性と一緒に暮らすことが、兄弟には 耐え難い苦痛だったのです。






【next】