我が子を見捨てて貧困生活に追いやり、見捨てた我が子が必要になると、自分が追いやった貧困の中から引き上げた、瞬たちの父 モスコヴィア大公。
それから、瞬と瞬の兄は、貴族の子弟にふさわしい教育を受けることになった――と言いましたが、その頃、我々の国には、大勢の子供たちが通える学校はありませんでした。
農奴の子供は(つまり、我々の国の ほとんどの子供は)勉強をしなくていいというのが、当時の貴族階級の考えだったのです。
勉強をしなくていいなんて、羨ましい?
そんなことを言ってはいけませんよ。
勉強をさせてもらえないというのは、とても不幸なことなのです。

勉強をさせてもらえないと、人は 自分の権利を主張することもできません。
だって、自分に権利があることを教えてもらえないのですから。
知らないものは、主張したくてもできませんよね。
人間は 毎日 ご飯を食べてもいいということ、働いている人間には その権利があるのだということを 教えてもらえなかったから、昔の農奴は、飢えや暴力を仕方のないことなのだと諦めて、毎日 ひもじくても 棒や鞭で殴られても我慢していたんです。
我慢したまま死んでしまう人も、大勢いました。

おなかを空かせて死んでしまってもいいというのなら、勉強しないのは その人の勝手。
私も何も言いません。
けれど、皆さんは そんなのは嫌でしょう?
勉強というのは、とても大切なものなんです。
そして、勉強できるということは、とても幸運なことなんです。
もし 皆さんに『勉強なんか しなくてもいい』と言う人がいたら、きっと その人は 皆さんから何かを騙し取ろうとしている人ですから、用心しましょう。

話が逸れてしまいました。
その頃は、学校がなかったので、農奴たちは勉強をさせてもらえませんでしたが(学校があっても、農奴たちは学校に通わせてもらえなかったでしょうけれど)、貴族の子弟は家庭教師について 色々なことを学んでいました。
昔は、貴族の家では、科目ごとに、何人もの家庭教師を雇っていたんですよ。
歴史の先生、地理の先生、国語の先生、外国語の先生、お作法やダンス、剣術や音楽の先生もいました。
有能で人気のある家庭教師は、何軒もの貴族の家の掛け持ちをしていました。
たとえば、モスコヴィア大公家で 瞬と瞬の兄に歴史を教えてくれていた童虎先生は、シベリア公家の氷河、キエフ公家の紫龍、クリミア公家の星矢にも、歴史を教えていました。
フランス語のカミュ先生、剣術のシュラ先生、音楽のオルフェ先生も同じく。

掛け持ちの家庭教師の先生たちから、よその家の生徒の話を聞いて、同年代の彼等は友だち同士になったのです。
最初の出会いは、まだ彼等が幼い頃――瞬と星矢は7歳、氷河と紫龍は8歳。いちばん年長の瞬の兄の一輝は9歳になっていました。

他にも貴族の家は たくさんあって、家庭教師の先生方も、もっといろいろな家に出入りしていたのですが、その中で 特に瞬と一輝と星矢と氷河と紫龍の五人が仲良くなったのは、彼等が皆、正妻の子供ではなく農奴の子供だったから。
そして、紆余曲折の末、父親である貴族に跡継ぎとして認められ、父の許に引き取られた子供たちだったからです。
同じ境遇にあった彼等は貧しく弱い立場の者たちの生活を知り、弱い立場の人たちの心を思い遣ることのできる子供たちだったのです。
その上、彼等は、勉強ができることの有難さを知っていて、大層 勉強熱心でもありましたので、家庭教師の先生たちも 彼等が友情を育むことを有益なことと考え、彼等の交流に積極的に協力してくれたのです。
彼等のような家庭教師たちの身分は、大抵 平民でした。
平民で、社会的責任を自覚した知識人。いわゆるインテリゲンチャと呼ばれる人々です。

ちなみに、モスコヴィア大公家の領地はモスクワ、シベリア公家の領地はシベリア、キエフ公家の領地はキエフ、クリミア公家の領地はクリミアにありました。
ですが、瞬たちは 基本的に女帝陛下のいる宮殿のあるペテルスブルクの都の館で暮らしていました。
領地に赴くのは、年に数度。数えるほどだけ。
それは第一に、教育の都合――地方では、優秀な家庭教師を見付けるのが困難なため。
第二に、昔の貴族たちは、何よりもまず皇帝に仕える者たちでしたので、貴族の子弟は 若いうちは皇帝のいる宮殿に出入りして、皇室への忠誠心を養うのが当然とされていたため。
第三に、これは瞬たちだけの事情でしたが、彼等は領地の管理監督をしている自分の父親に あまり会いたくなかったのです。悲しみや憎しみの感情を活発にしないために。






【next】