境遇が似ている五人は、幼い頃から 互いの館を行き来して、一緒に勉強したり、遊んだり。 その親交は、五人が長じてからも途絶えることはありませんでした。 五人は皆 親密な友人同士でしたが、氷河は特に瞬が好きでした。 一生、一緒にいられたらいいと思うくらい大好きでした。 実は、氷河は、瞬たちと知り合ってまもなく、瞬に命を救われたことがあるのです。 それ以来ずっと、氷河にとって瞬は特別な人でした。 瞬と瞬の兄、星矢と紫龍のお母様たちは、彼等が貴族の子弟として父の館に引き取られる前に、貧しさの中で亡くなっていましたが、氷河のお母様は存命でした。 ですが、氷河の父親であるシベリア公は、公爵家に必要なのは 自分の血を引いた息子だけだと言って、氷河のお母様から力づくで氷河を奪い取り、シベリア公の都の館に連れてきました。 ほとんど拉致してきたようなものです。 氷河はお母様の側に戻りたかったのです。 氷河は、美しくて優しいお母様が大好きでしたから。 けれど、氷河が公爵家の館に留まれば、お母様に何不自由ない暮らしを約束すると、父であるシベリア公に言われた氷河は、大好きな お母様のために お母様と離れて暮らす道を選ぶしかなかったのです。 それもこれも、親も夫もいない女性が 小さな子供を抱えて生きる苦労を、物心いた頃から ずっと見てきたから。 自分が寂しいのを我慢すれば、マーマは飢えずに済むのだと思ったから。 なのに、氷河の父 シベリア公は、氷河との約束を守っていなかったのです。 シベリア公の跡継ぎには 農奴の母親などいない方がいいと、彼は考えていたようでした。 そして、ある日、氷河は、大切なマーマが たった一人で、貧しさの中、病に罹って死んでいったことを知らされたのです。 氷河は、大切なマーマが、何不自由ない暮らしどころか、食べるものも ろくに食べられず、病を得ても医者にかかることができず、下町の みすぼらしい あばら家で、たった一人で死んでいったことを知りました。 氷河は、大好きなマーマのために、大嫌いな父の館で、母を虐げた父の正妻と暮らすことを我慢していたというのに。 母の死を知った氷河は、即座に マーマの側に行くことを決意しました。 マーマのためだけに つらい環境で生きていたのに、そのマーマが死んでしまったのですから、それは当然のことです。 折しも、季節は真冬。 氷河は、冷酷な父の館を飛び出しました。 皆さんも知っているでしょうが、我々の国は、真冬に薄着で外にいれば それだけで、たとえ昼間でも 簡単に死んでしまえる寒い国です。 真冬――氷点下 数十度にもなる真冬。 銀ぎつねの毛皮を着ていたって、外に立っていられるのは せいぜい30分が限度でしょう。 なのに、氷河は外套も羽織らずに、シャツ一枚で外に飛び出て、ネヴァ河の岸に向かいました。 皆さん、知っていますよね。 都を流れるネヴァ河は、川幅が500メートル以上。 真冬には、水の流れの滞る両岸は凍りつきますが、流れの速い河の真ん中辺りは凍らずに、かろうじて水が流れています。 氷河は、そこに身を投げようと考えて、凍りついている河の上を とぼとぼ歩いていました。 ですが、その年は寒さが特に厳しくて、ネヴァ河は全面凍結。 身を投げられる場所は、なかなか見付かりませんでした。 仕方なく、氷河は、とぼとぼと歩き続け――何か様子がおかしいと感じた氷河が ふと顔を上げると、そこには全く凍っていない広い河があったのです。 黒と灰色の中間の色をした水――凍っていない水。 河が凍っていないということは、水が冷たくないということで、つまり、そこに身を投げても死ねないということです。 どうしたものかと 氷河が迷っていたら、そこに、 「そっちに行っちゃ駄目だよ。氷河、こっちに来て」 という、瞬の声が聞こえてきたのです。 瞬は、『そっちに行っちゃ駄目』と言いますが、氷河は、“そっち”にマーマがいるような気がしてなりませんでした。 いったい 瞬は、なぜ そんなことを言うのか。 なぜ『そっちに行っちゃ駄目』なのか。 氷河は瞬に確かめようと思い、瞬の姿を探すために顔を上げました。 瞬の姿は見えません。 なのに、声だけは聞こえるのです。 純白の鈴蘭の花のような声。 氷河は、小さな純白の鈴が可愛らしく絡んでいるような鈴蘭の花が、白い涙の滴を並べたようにも見えるので、いつも瞬の声を鈴蘭の花のようだと思っていました。 鈴蘭の花の声なんて、もちろん一度も聞いたことはなかったのですけれどね。 「氷河、氷河、氷河。氷河が行っちゃったら、僕、悲しくて、死ぬまで泣き続けるよ。僕の目は、涙で融けちゃうよ」 瞬の綺麗な目が涙で融けてしまう。 それは一大事です。 氷河は、澄んで綺麗な瞬の瞳が大好きだったので、それがなくなってしまわないよう、慌てて、姿の見えない瞬のところに戻っていきました。 そして、瞬が自分に手を差しのべてくれていることに気付いて、その手を取ったのです。 瞬が差しのべてくれた手に、自分の手を重ねた氷河は、瞬の手が燃えるように熱いことに仰天しました。 すぐに、瞬の手が燃えているのではなく、自分の手が氷より冷たくなっているせいで、そう感じられるのだということに、氷河は気付きましたけれど。 こんなに冷たい手には、きっと触れるだけで痛いでしょう。 なのに、瞬は、氷より冷たい氷河の手を、小さな白い二つの手で 包むように握りしめてくれました。 それだけでは不安だったのか、氷河を両腕でしっかりと抱きしめて、氷より悲しく冷え切っていた氷河の身体と心を包み、温めてくれたのです。 あとで元気を取り戻してから、星矢たちに聞いたところによると。 氷河のマーマが亡くなったことをカミュ先生から聞いた瞬は、氷河を慰め励ますために、すぐにシベリア公の館を訪ねたのだそうです。 そこで 氷河が家を飛び出たことを知らされた瞬は、マーマの許に行こうとしている氷河の心を察し、ネヴァ河の岸を、冬の宮殿ドヴォルツォヴォイ橋からブラゴヴェシェンスキー橋まで 必死に駆けて、ネヴァ河の氷の上に倒れている氷河を見付けてくれたのだとか。 半分 死んだように倒れている氷河の冷たさに驚き、氷河を温めなければならないと思ったのでしょう。 瞬は、自分が着ていた外套を氷河に着せ、ずっと氷河を抱きしめてくれていたのです。 星矢たちが、ネヴァ河の氷の上で 一つの氷像のように抱き合っている氷河と瞬を見付けた時、死にそうになっていたのは、氷河ではなく瞬の方でした。 どこまで行っても凍っていたネヴァ河と、凍っていなかった黒灰色の川。 マーマがいるような気がした、その河の向こう。 『そっちに行っちゃ駄目』と、氷河を引きとめてくれた鈴蘭の花のような瞬の声。 どこまでが夢で、どこまでが本当にあったことなのか、はっきりとは わからないのですが、自分が 瞬のおかげで死ななかったことだけは、氷河にもわかりました。 氷河は、瞬のせいで死ねなくて、瞬の綺麗な瞳を守るために死なないことを選んだのです。 そして、氷河を死なせまいとする瞬のおかげで、氷河は命を永らえました。 氷河の父は、自分の息子が凍え死にかけて、九死に一生を得たことを知らされると、 「シベリア公爵家の血が途絶えずに済んでよかった」 と、冷ややかに言っただけでした、 シベリア公爵は、ネヴァ河の氷よりも冷たい声で、 「いっそ死んでしまえばよかったのに」 と言い放った彼の正式な夫人より 優しかったでしょうか。 氷河には、そうは思えなかったのです。 そして、形式上の自分の父母である人たちが冷たい分、なお一層、瞬の優しさが身に染みたのです。 だから。 これまで マーマのために生きてきた氷河は(実際には、氷河の生は“マーマのため”になっていませんでしたけれど)、今度は瞬のために生きていくことに決めたのです。 氷河を誰よりも愛してくれたマーマは、もういません。 氷河が誰よりも愛していたマーマは、もういないのです。 氷河には、マーマの代わりに愛する人が必要でした。 氷河は、愛する人がいないと生きていけない子供でしたから。 氷河が、マーマの代わりに心から愛せる人。 それが瞬だったのです。 氷河は、瞬を、一生 愛し守ることを決意しました。 そして、いつか、瞬も自分を世界一大好きになって 愛してくれるようになったらいいと、思いました。 氷河が8歳、瞬が7歳。 この国が最も寒い季節のことでした。 |